八倍速
珠貴と黒間先輩は、舞弥さんが使った魔術に必要な魔力の量に驚いていた。魔術に疎い私でも同じ術を重ねると効果が激減して消費魔力が激増するとかのデメリットは知っている。『視覚強化』は遠くを見るための、言ってみれば望遠鏡みたいなのが本来の使い方だ。『浮遊』という術は良く知らないが、珠貴が『重量操作』を引き合いに出したくらいだからあれよりももっと沢山の魔力を使うのだろう。
才能の無駄遣いは言い過ぎだとしても、近接職離れした魔力を持っているのは間違いなさそうだ。
が、実際に相対していた身としては、
「あんな短い時間で九つも魔術を発動させるなんて凄いですね。と言うか、呪文の詠唱が無かったから最初は魔術なのかどうかも判らなかったです」
こっちの方が気になっていた。
途中で左手のエフェクト光が『光盾』だと気付いたからこそ「ああ、魔術を使ってたんだな」と思ったものの、あれが無かったなら最後まで魔術なのか他のスキルなのか判断が付かなかったところだ。さらに特筆すべきは発動速度。私が『加速』と『筋力増強』の二つの呪文詠唱を終えた時、舞弥さんは九つの術を発動させた上で余裕を持って待っていた。私の呪文詠唱が遅いのを差し引いても驚くべき速さで、今となっては無詠唱だから速かったのかと……。
「桜! 詠唱が無かったって本当なの!?」
物凄い勢いで珠貴が喰い付いてきた。今度は黒間先輩も「全然無かったの!?」と珠貴に負けない勢い。
成美は相変わらずにこにこしている。
本当です本当ですとこくこく頷いていると「剣士タイプなのに無詠唱魔術……」「障壁一つを無詠唱にできるまでにどれくらいかかったと……」と珠貴と黒間先輩に詰め寄られた。いや、なんで私が責められているのか全く判らないのだが。
「舞弥さん、助けて下さい」
成美はにこにこしているばかりで頼りになりそうもなく、助けを求めたのは話題の中心である舞弥さんだった。こうなったらもう舞弥さんに場を収めてもらうより他に無い。
果たして舞弥さんは、
「珠貴さん、加代子さん、お二人とも落ち着いて。桜さんが困っていますわ。種明かしなら私がいたしますから、桜さんを放して差し上げて」
とやんわり仲裁に入り、開放された私には「申し訳ありませんわね。私のせいで」と謝ってまでくれた。
いいえ、舞弥さんは全く悪くありません。悪いのは珠貴と黒間先輩です。
そう言いたかったけれど、言ったら反撃されそうなので止めておいた。特に黒間先輩が怖い。
……あ、前の学校の人達もこういう感覚だったのかも。
脈絡無くそんな考えが浮かんで消えた。
例の『孤立しがちな第四世代』問題だ。
私と黒間先輩のスタイルは相性が最悪。仮に先輩が私を攻撃してきたら、私はそれに抵抗できない。多分一方的にやられてしまう。先輩が理不尽な暴力に訴えるような人ではないと判ってはいても、やはり心のどこかで怖いと思ってしまうのは避けられない。
私も前に通っていた普通科高校では友達らしい友達を作れなかったものだが、当時のクラスメイトが私に対して感じていたのは、私が黒間先輩に感じているのと似たような感情なのかも知れない。
「私は確かに呪文詠唱をしませんでしたが、さりとて無詠唱魔術を使えるというわけでもありませんわ」
一瞬の物思いは舞弥さんの声で破られた。
彼女はロッカーをごそごそと探り、戻ってくるとテーブルに小さな黒い物を置いた。
「イヤホン……と、メモリーオーディオですね」
「そうですわ」
それは珠貴が言った通りの物、無線式のメモリーオーディオとイヤホンだった。そう言えば試合の時に右耳に何かを押し込んでいた。それが、これか。
「呪文を詠唱するのは魔術の発動工程を間違えないように確認しながら実行するためですわね? でもそれなら自分で発声しなくても良いだろうと私は考えたのですわ。さあ、聞いてみてください。予備もありますから桜さんも成美さんも」
配られたイヤホンを全員が装着したのを確認して、舞弥さんはメモリーオーディオの再生操作をした。
「っ!?」
「うわっ!?」
息を飲む、思わず声を上げる。反応はさまざまながら、皆一様に驚いていた。
私も驚いた。
右耳の中でイヤホンから流れ出してきたのはキュルキュラという甲高い音だったからだ。てっきり呪文詠唱の声が聞こえてくると思っていたから不意打ちだった。
「これ、早回し……ですね」
再生が止まると、珠貴が呆然としながら言った。
早回し?
するとあの甲高い音は呪文の詠唱を高速で再生したものだったのか。
「呪文を詠唱していたら術の発動速度は詠唱速度に依存しますわね。これを短縮するために詠唱訓練をするにしても、それは所詮早口言葉のようなもの。どれほど頑張っても限界があります。その限界を飛び越えるのが無詠唱ですが……私には難し過ぎますわ」
「それで早回しですか」
「ええ。発動工程を確認するというなら『呪文を詠唱しながら』でも『呪文を聞きながら』でも、どちらでも良いですからね。ですから自分の呪文詠唱を録音して、それを高速で再生したのを聞きながら魔術を使っていたのです。今だと大体八倍速くらいですわ」
「八倍速!? 若林さんはあれを呪文として聞き取れているの?」
「もちろんですわ。そうでなければ術は発動しませんでしょ」
「こんなお手軽な方法で無詠唱紛いの発動速度って……」
黒間先輩の発言に珍しく舞弥さんが「お手軽とは心外ですわね」とムッとした顔になった。
「いきなり八倍速なんてできるわけありませんでしょう? 少しずつ耳を慣らしながら倍速を上げていったのですわ。四倍速以降は0.1刻み……ここに達するまでどれほど苦労したか……!」
自分が積み重ねてきたものをお手軽と言われては面白くないだろう。舞弥さんが怒るのも当然で、これは不用意な言葉を口にした黒間先輩が悪い。先輩もすぐに気付いたようで素直に「ごめんなさい」していた。
その脇で「地味だわ……私の一言呪文も大概地味だと思ってたけど……」などと珠貴がぶつぶつ言っているが放っておいた方が良さそうだ。私も魔術の修行には苦労したものの、珠貴や黒間先輩、そして舞弥さんに苦労具合では全然及ばない。変にコメントして突っ込まれたらどうしようもなくなる。
「ねえねえ、今いくつくらいそれで使えるようになってるの?」
「八倍速になっているのは十二個ですわね。他に慣らし中で六倍速程度のが二つありますわ」
「おー、舞弥さん凄いねー」
「ふふ、ありがとうございます」
なんだか煮詰ったようになって黙ってしまった珠貴と黒間先輩に代わり、これまでにこにこと静観していた成美が話を引き継いでいた。「使う術ってどうやって選んでるの?」「状況別に呪文を組み合わせて登録して、後は選曲機能をそのまま使っていますわ。試した中ではこの機種が一番使い易いですわね」「壊れたりしたら大変だねー」「予備が沢山ありますから心配無用ですわ」などと、正に聞かれるままに答えている状態。
「さすがに舞弥さんにばかり話して貰うのは気が引けます。どうでしょう。今後の為にもお互いに手の内を明かすというのは」
パーティーとしてやっていくならメンバーの特性を知っておくのはとても大事だ。誰がどんな能力を持っていて、何ができて何ができないのか。長所と短所を理解してカバーしあえば単なる人数分以上の戦闘能力を発揮できるようになるだろう。自己紹介で話したのは大雑把なスタイルくらいだったから、スキルも含めてもっと詳しく話し合う必要がある。
そう思って提案してみたら、黒間先輩に「それはやめておきましょう」と反対された。
「誤解しないでね。今は、って事よ。パーティーメンバーの能力を知っておくのは大事だからいずれやらなくちゃいけないのは確かだけど、やるなら全員揃っている時にやらなくちゃ。それは後城先生達もいる時にしましょう」
「そうですわね。私も加代子さんに賛成です」
年長者二人に反対されてしまった。
……確かにやるなら全員揃っている時にやるべきことだ。
ちょっと先走ってしまったのを反省していると、なにやら舞弥さんがうずうずとしている。
「でもちょっとだけ、よろしいかしら。私も先ほどの試合で桜さんがどんなスキルを使っていたのかが気になりますわ。最初の準備で唱えていたのは『加速』と『筋力増強』の呪文だった筈。珠貴さんを真似る訳ではありませんけれど、それだけであんな動きができるとは思えませんの。あの『手』は気功スキルと仰っていましたし……桜さんはどんなスキルを使っていたのかしら」
「私の天音新流は気功スキルがメインになっていて……」
取り敢えず私の分だけは聞いて貰っちゃおう。
幸い天音流剣術はそこそこ有名なので、そこに魔術を加えたのが天音新流だと言えば舞弥さんの理解も早かった。
「なるほど。気功スキルのステータスアップに魔術を重ねると重ね掛けのデメリットは回避できると。それに『止水』で攻撃予測……どおりで一撃も入れられなかったはずですわ」
舞弥さんが強く興味を示したのはこの二点だった。
珠貴も突っ込んでいたように魔術の重ね掛けはロスが大きい。これを回避できる気功と魔術の効果を重ねる手法に惹かれたようだ。
そして『止水』の攻撃予測。
まあ舞弥さんはああ言っているけれど、私だって一撃も入れられなかったのだ。舞弥さんは予測系のスキルを持っていなかったのに。
「気功スキルの応用の広さは驚くばかりですわね。魔術との相性も良いですし……私も気功スキルを学んでみようかしら」
「……あまりオススメはできませんよ」
「そうですの?」
「そうです。とりあえずのレベルで使えるようになるまでに何年もかかるようなスキルですから」
気功スキルがマイナーなのは、学び始めてからものになるまでが長いというのが大きな理由になっている。舞弥さんの八倍速ではないが、やろうと思ってすぐに使えるようになる程お手軽なスキルではない。私だって今のレベルに達するのに十年以上を掛けているのだ。
そう思っての忠告だったのだが、
「何年かで使えるようになるならやってみる価値はありそうですわね」
と、とても前向きな反応が返って来た。
この人のハイスペック振りからすると、本当に何年かで使えるようになってしまいそうで少し怖い。




