三条珠貴:やっぱり委員長
天音さんはきょとんとしている。
そして言ったのはこんな言葉。
「え? でも委員長には委員長がなるでしょ?」
一続きに「委員長」という単語が二回出てきて初めて気づいた。天音さんは役職名としての「委員長」と私を呼ぶ時の「委員長」で発音を微妙に変えていた。私を指して言う時には間延びしない程度ながら「いいんちょー」みたいな発音になっている。
そして天音さん、相沢さんに「そうよね?」と話を振っている。
「まあ天音さんがそう言うなら、そのとおりになるんじゃないかな。あ、でも霧嶋さんもいるか……」
「私がどうしたのー?」
あくまでも委員長と呼び続ける天音さんに対して相沢さんが苦笑交じりに答えたところで、丁度登校してきたらしい霧嶋さんがやって来た。「おはよー」と挨拶してくる霧嶋さんも朝から元気溌剌である。元気が有り余っているのだろう、軽い跳躍で天音さんの背中に飛び付いておんぶ体勢になる。いくら小柄とはいえいきなり人一人分の体重を受け止めて、それでも天音さんは小揺るぎもしない。足腰の強さとバランス感覚の賜物か。
「委員長が委員長になるだろうって話をしてたのよ」
「あー、そうだろうねー。やっぱり委員長になるのは委員長しかいないと思うなー」
「あら、霧嶋さんもなの? だったらやっぱり三条さんが委員長になるのね」
天音さんの肩口から顔を覗かせて霧嶋さんも会話に加わった。「委員長」という単語が連呼されるのに普通に成り立っている。霧嶋さんも私を「いいんちょー」的な発音で呼んでいた。
ところでそんな会話を続ける天音さんの表情がほわっとなっているのを私は見逃さない。こうなったのは霧嶋さんがぎゅっと抱きついたタイミングで、つまり彼女の胸が天音さんの背中に押し付けられた瞬間だ。
天音さんは相変わらず女子の胸に対してこういう反応をする。そしてそれが判りやすい。
彼女が同性の体(特に胸)に興味を持っているのは今やみんなの知るところで、普通ならドン引きされそうなものなのにそうはなっていない。これは学園内での天音さんが例の男前モードでいる時間が比較的長いからだと思う。
男子からすると、相馬君あたりは「天音が女だってのを時々忘れる」とまで言っていたようで、男女の別でみた場合に天音さんを自分達の側とみなしている節がある。それが顕著に表れたのは学園祭準備期間の出来事だ。
学園祭で使用するメイド服のお披露目の際にモデル役になった霧嶋さん。何を考えていたのか教室のカーテンの陰で着替えを始めてしまった。さすがにマズイと判断した後城先生が男子を連れて廊下に出た。この際、一部男子の抗議によって天音さんまで廊下に出されていた。教室の内外で女子と男子に分かれているべき状況で天音さんは廊下に出ていたのである。
あの頃から男子は天音さんを自分達の同類だと確信してたのだろう。
ちなみに相馬君はこうも言っていた。「あいつがサラシを巻かなくなれば女だって事を忘れたりはしないだろうな。俺としては是非そうして欲しいんだが」と。言わないだけで同じように思っている男子は多そうだ。
一方、女子の側。
あれだけ男前なら。天音さんなら。多少は引きながらもそんな風になんとなく納得してしまっているのが過半数。私もそちらに入る。実際、天音さんの視線に男子っぽいなにかを感じた経験もあるし。
そして残る女子は天音さんのそうした性癖を歓迎している。バレンタインデーの日、本命チョコを天音さんに贈った人達だ。女子がかっこいい女子にその手の感情を向けたとしても、それは一方的な想いに終わりがちだ。
ところが当の天音さんがああならば。
同性同士のスキンシップを嫌がらないなら。
それどころか女子の胸に強い興味を示しているのなら。
上手くすればそういう関係に持ち込む事もできるのではないか。
そんな期待を抱いてチョコを贈ったのだと思う。でも、あの日の天音さんは机に積み上がっていくチョコを前にして途方に暮れていたくらいだから、そんなイメージが現実になる日はそうそう来ないだろう。
……そういう関係、か。
ふと、『そういう関係の図』を想像してしまい、軽く首を振って頭からそのイメージを追い出す。天音さんの裸を見た事もあるせいで生々し過ぎた。
ちなみにD組の姫木さんもチョコを沢山貰っていたけれど、あれはある意味で天音さんの巻き添えだと推測している。あの三人が一緒にいると、全員女子なのに絵的には霧嶋さんの逆ハーレム状態。姫木さんは天音さんとセットで男役の立ち位置になっていて、だから天音さんのイメージが姫木さんにまで及んでしまったのだろう。
実際には天音さんと霧嶋さんが作り出す桃色がかった雰囲気には普通に引いているし、目に余れば制止したりといった光景を何度も目にしている。いたって常識的な感性の持ち主だろうから良い迷惑だったに違いない。
彼女には今後もストッパー役として頑張って欲しいところだ。そうでないと天音さん達がヤバい気がする。
まあ、天音さんと霧嶋さんの関係を私が心配するのはお節介というものか。
それよりも私の呼び方についてだ。このままだと本当に今年も委員長になりそうで、今の内に直しておかないと今後も委員長と呼ばれ続ける事になる。
「ねえ、天音さん」
そろそろ名前で呼んでよ。
そう続けようとした矢先、教室に後城先生が来てしまった。
「出席取ったら始業式だ。講堂に移動するぞ」
先生の声にみんな自分の席へと戻っていく。結局肝心な事は何も言えなかった。
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入学式を兼ねた始業式が終わり、続いてクラスのホームルームとなる。
履修申請が終わるまでの一週間、二年生と三年生は授業は無しで朝夕のホームルームと自主訓練のみとなる。一年生は自分に合った授業を選択するためのオリエンテーションだ。
初日のホームルームはクラス委員の選出。
現状では委員長不在なので教壇に立った後城先生が司会進行役になっている。
「さて、まずはクラス委員長を決めよう。今の所候補は三条だ。誰か挑戦するか? いたら挙手しろ」
言って、先生は教室をぐるりと見回した。
クラス委員長の選出で何故「挑戦」などという言葉が出てくるのか。それは宇美月学園において、二年と三年のクラス委員長は『クラスで一番強い者』が務めると定められているからだ。
一年生が除外されているのは、入学したての一年生は極一部の第四世代を除けば適性があるだけのほぼ未経験者ばかり。強いも弱いも無いからだ。なので普通の学校と同じような自選や他薦での選出となる。
一年間の訓練を経てそれなりの力を付けた二年生ではクラス全員での委員長決定戦が行われる。去年霧嶋さんと戦ったのもこの決定戦の折りだった。あの時霧嶋さんのユニークスキルが封印されていなければ、委員長と呼ばれていたのは彼女だったかもしれない。
そして三年生では、昨年度のクラス委員長に対して希望者がいれば挑戦し、その勝敗で決定される。ただし非公式ながら作成されている学内ランキングの状況によっては教師側からの指名で決定戦が行われる場合もある。
私は昨年度のクラス委員長であり、しかも学内ランキング暫定一位。挑戦者がいなければ引き続き委員長になってしまう。朝方の会話で相沢さんが「天音さんがそう言うなら」とか「霧嶋さんも」などと言っていた理由がこれだ。
去年私とギリギリの戦いをした天音さんと、『霧嶋最強伝説』を囁かれている霧嶋さん。陰で余程の力を付けた人がいない限り挑戦しそうなのはこの二人だけで、その二人が挑戦の意思が無いと判る発言をしていたから相沢さんも私が委員長になるだろうと結論したのである。
「どうした? 三条に挑戦する奴は誰もいないのか?」
案の定誰も手を上げない。再度教室を見回した先生はある一点で視線を固定した。振り向かなくても判る。天音さんの席を見ている筈だ。
「天音、どうだ?」
無造作な呼びかけに、教室の空気が一段階引き締まったような気がした。
「……挑戦はしません」
簡潔な問いに、一拍の間を置いてきっぱりとした口調で天音さんが答える。
「ふむ、やはりまだ早いか」
「はい」
その短いやりとりで、「ああ後城先生も知っているんだ」と思った。
天音さんは去年私に負けて、そのリベンジを宣言している。何時とは明確に言っていないけれど、区切り良く前回から丁度一年になる七月がその時だと目されていて、だからこそ先生も「まだ早い」と簡単に納得したのだろう。
次いで先生が視線を転じた先は霧嶋さんの席。
「霧嶋はどうだ?」
「挑戦はしませんよー。私に委員長なんて似合いませんしー」
「だろうな。俺もお前に委員長は似合わんと思う」
「ええー! 否定しないんですかー!? 普通そこは『そんなことはない、やってみたらどうだ?』とかじゃないんですかー!?」
「お前は俺に嘘を付けというのか? すまんが心にも無い事は言えんな」
「酷いよ先生―!!」
……引き締まっていた空気が一気に緩んだ。
元に戻ったのではなく、一段階引き締まった空気が三段階くらい緩んだようなもので、ホームルーム開始時よりも明らかに緩い。呼ばれ方云々で私の胸に溜まっていたモヤモヤもすうっと溶けるように消えてしまった。
一年生の何時頃からだったか始まったこの掛け合い、少しずつ高度になってきている。昔は本当にたわいない内容だったのが、最近ではともすれば暴言になりかねない言葉も含んでいたりする。もちろん双方が暗黙の了解の上での遣り取りなので傷付いたり傷付けたりは無い。
それに後城先生はちゃんと言葉を選んでいる。もしも霧嶋さんに委員長は「務まらない」と言ったなら、それは先生自身の言葉に反して心にも無い事、嘘になってしまう。先生は霧嶋さんを相当高く評価している筈だ。少なくとも能力面では。だから「(務まるけれど)似合わない」だった。
ちなみに私も先生の意見に完全同意。
霧嶋さんに委員長は似合わないと思う。
彼女はそういう型に嵌った役職に付くよりも自由気儘に振舞っている方が似合っている。
「挑戦者無し……と言うわけで3-Bクラス委員長は三条に決定だ。三条、後は頼むぞ」
「はい」
後城先生は教壇を下りて窓際に置いてある先生用の椅子にどっかりと腰を下ろした。代わりに私が教壇に登る。ここからの進行はクラス委員長になった私の仕事だ。
残る委員の選出を進行しながらも考えてしまう。
もしも私が委員長でなくなったら、天音さんは私をどんなふうに呼ぶのだろうか?
……それで「元委員長」だったらショックが大き過ぎるかな。
有り得無くもない想像に怖くなり、そうなるくらいなら「委員長」のままでも良いかと結論付けて、その件については考えるのを止めた。




