男前と言われて
「あのさ、桜。前々から思ってたんだけど……」
甘いマックスなコーヒーを少しずつ飲んでいる私に、沙織が躊躇いながらも言ってきた。
ちょうど缶に口を着けたところだったので「なに?」と目線で促す。
「桜って……男前だよね」
「ぶふぅ!」
おもむろな沙織の言葉に、私はコーヒーを吹き出してしまった。衝撃的な一口目でも吹き出さずに我慢したというのに、沙織はそれ以上の衝撃を言葉で与えてきた。
「な、な……何を言っているのかしら? 姫木沙織さん」
「なんでいきなりフルネームよ。いやほら、さっきみたいな言動を見てると潔いって言うかなんというか……そうそう、この間も成美に『俺の胸に飛び込んで来い!』ってやってたじゃない」
Sコース組でCOD対戦した時の事だろう。
「あれは『私の胸に飛び込んでおいで!』よ。『俺』じゃないから」
「脳内でどんなセリフを言っていたかは関係ないんだってば。それにさっき聞いたホームルームの事だって、どっちかと言うと男子っぽい対応じゃない?」
「えー? それは男女関係ないでしょ?」
全く、沙織は何を言っているのだろう。十七歳の女子高生を捕まえて男前はないだろう。いくらなんでも。
「うーん、そう言えば私も思い当たるなー」
成美までが沙織の男前発言に乗っかってきた。
「飛び込んでおいでーの後にさあ、私がステータス見せた時、桜も自分のステータス見せてくれたじゃない? なんかこう『これで貸し借り無しだぜ』みたいな感じで。格好良くってちょっとドキドキしちゃったなー」
「な、成美? あなたまで何を?」
あの時は一方的に見せてもらうのも心苦しかったから、お互い様だろうということで私もステータスを晒しただけだ。それに「だぜ」はないでしょう? 「だぜ」は。
私は動揺を押し殺すようにして再びコーヒーを飲む。相変わらずの凄まじい甘さだったけれど、暴力的なまでの甘さが逆に心を落ち着けてくれる。
「あとこれは男前って言うより男っぽいのかなー。なんだか私を見る目がたまにエロいのよねー。気がつくと胸を凝視してる時とかあるし」
「ぶふぅうっ!」
またも吹き出してしまった。言うに事欠いてエロいて。
……まあ、胸に注目しがちなのは否定できないけれど。
ただそれだって師匠に影響されて胸が揺れていると自然と視線が行ってしまうだけだ。成美は小柄な割に胸が大きくて、さらに元気に跳ねまわるので胸が良く揺れるから、視線が行く回数は多くなりがちだけれど。
「もしかして桜は女の子の胸が好きなの?」
どストレートに聞かれた。成美が私の目を覗き込んでくる。
ああ、そんな純真そうな瞳で私を見ないで欲しい。こんな瞳に見つめられながら嘘を吐くなんて私には無理だ。
「いや、好きとか嫌いとかじゃなくてね? ほら、私はこうしてサラシで抑えているじゃない? だから……揺れてるとどうしても目が行っちゃうのよ」
嘘は吐いていない。好きだとも嫌いだとも明言していないのだから。
「なんだぁ。私の胸が好きってわけじゃないのか……」
だから好きとも嫌いとも言ってないってば。
それにどうしてわざわざ「私の」と言い直す?
「そ、それはそれとして!」
なんだろう? また沙織が引き気味になっている。
「実際、私のクラスにも桜のファンだっていう女子は結構いるわよ」
「あー、それならB組にもいるねー」
そうなのか? と思って記憶をたぐってみると……。
思い当たるふしがあった。
教室のざわめきの中に、私に向けた女子の熱っぽい声が混じっているような気がした事が何度かある。あれは気のせいではなかったのだろうか。
まさか本当に男みたいに見られてる? その内女子から告白とかされちゃうんだろうか?
私はがっくりと項垂れてしまった。
「そりゃ私はでかいし、胸だって潰してるから女子っぽくないし、顔だって可愛いとは言えないだろうけど……」
項垂れた私の頭に成美の手が乗ってきた。「よしよし」と撫でてくれる。
「桜は可愛いって言うよりきれい、きれいっていうより格好いいからねー。まあそういう外見的な話だけじゃあないんだけど……」
成美、それはフォローしようとしてるの? それとも追い打ちをかけてる?
「それに沙織までダメージ受けてるからもう止めといてあげて」
「え?」
顔を上げると、沙織が私と同じように項垂れていた。
「でかい……胸がない……可愛くない……」
ぼそぼそと呟いている。
私と二センチ違いの身長で、胸が控え目で、美少年顔の沙織が落ち込んでいた。
なるほど、私の言った条件は全部沙織にもあてはまるのか。
私と沙織の視線が合う。
「沙織……」
「桜……」
「「この話はなかった事に」」
私たちの声はきれいにハモっていた。
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「で、委員長と勝負することになったわけね?」
「そうなのよ。私の不注意もあったけど、やっぱり成美に乗せられたとしか思えないわ」
移動中に簡単な経緯は説明してあったので、その続きから話を再開する。
「本当になかった事にするんだー」
「「なにを?」」
成美が良く判らない事を言ってきたので、私と沙織の問い返しがハモってしまった。
なかった事にって、何の話をしているのだろう?
「それでどうして成美は私を推薦なんてしたの? 私が目立つの嫌いだって知ってるでしょう?」
「……えーと、うん、別に深い意味はないんだけどね。桜なら委員長にも勝てるんじゃないかと思って。でも誤解しないで欲しいんだけど、委員長に負けたお返しってわけじゃないの」
「ふうん?」
「私の隠形を見た二人なら判るでしょ? そこらの魔術タイプになら破神なしでも問題ないって」
見たというか隠形は見えないのだけれど、それを言ったら単なる揚げ足取りだ。
「私が委員長に負けたのは、委員長が魔術タイプだからじゃない。凄い魔術タイプだったからなの。でもほら、Aさんとかの言ってるのを聞けば判るでしょ? 私が負けたせいでますます魔術タイプのほうが絶対に強いって空気になっちゃってるのが」
成美は取り巻きAの本名を知っているはずなのに、わざわざAさんとか言って。
さりげなくまだ引っ張るつもりなのか。
とはいえ成美の言いたいことは理解できた。
成美が委員長に負けたのは、委員長個人が強かったからであって、そこにタイプによる有利不利は関係ない。それなのに周囲からは「やっぱり魔術タイプのほうが強いんだ」と思われている。
成美はそこに責任を感じてしまっているのだ。
「でもそれなら成美がリベンジするって手もあったんじゃないの?」
沙織が首を傾げる。同じような事は私も思った。なにも私を引っ張り出さなくても良いじゃないかと。
しかし成美は首を横に振る。
「もう一回やるとして、どうすれば勝てるかっていう算段はあるけどさー。私よりも剣士タイプっぽい剣士タイプな桜にやってもらった方が良いかと思ったんだー」
「確かに桜の方が正統派の剣士タイプよね」
「私が邪道だっていうのー!」
「そう思ったからあんたも桜に振ったんでしょう」
成美と沙織がじゃれあいを始めるのを横目に見ながら、私は考えていた。
私は一般に言われる魔術タイプ絶対有利説には異を唱えている。
現状で言われているのは、試合開始時にある程度の距離が取られていて、だから先に攻撃できる魔術タイプが有利だという事だ。
しかしその距離を詰めてしまえば、近接戦なら剣士タイプの方が圧倒的に強い。
だから剣士タイプ側は、まず最初の一撃に対処して距離を詰める方法を考える。
私が止水で攻撃を予測するのや、隠形で姿を消す成美、沙織が盾を装備しているのもそうだろう。
問題は成美の隠形を破るほどだという委員長の魔術だ。
「桜ー、どうしたの?」
成美が私の顔を覗き込んでいた。
どうやら考えごとに没頭していたようだ。
「なんでもないわよ。ちょっと委員長と戦うならどうするのが良いか考えてた」
「やる気になってくれたの?」
「勝負するのはもう決まってるんだし、成美の期待には応えてあげたいしね」
私が言うと、成美が「うひゃ」と変な声をだして頬を赤らめ、沙織はやれやれといった風に肩を竦めた。
「やっぱり男前……」
「沙織!」
「……あ!」
私と沙織は見つめあう。お互いが相手の呼吸を計り……。
今だ!
「「なかった事に」」
「それで何か考え付いたの?」
一瞬の空白の後、何事も無かったかのように沙織が聞いてきた。
ん? 何事も無かったように? 違う、実際に何も無かったのだった。
「CODでの委員長を実際に見たこと無いからなんともね。成美の話からすると速射と連射が得意らしいって事しか判らないし」
「それだけでもかなり厄介だけど」
魔術タイプは先に攻撃できるという優位性をより強固にするため、いかに速く最初の一撃を叩き込むかに腐心している。魔術タイプ同士の対戦の場合、攻撃を受けると自身の呪文詠唱は中断してしまうので、たいていの場合は最初に一発当てた方が勝ってしまう。ほとんどガンマンの早撃ち勝負の様相を呈しているくらいだ。
「委員長はシングル戦だと早撃ち特化型。オリジナル呪文を登録してるみたいでとにかく速いのよ。その分一発あたりの威力はかなり低いんだけど、こう、放射状に広がるような感じで飛んできて。その上連射も効くから弾幕っぽくなっちゃう」
「シングル戦だと、ていうのは?」
「パーティー戦やってるのを見たことあって、その時には火力特化の砲台役やってたから」
CODでは一対一で対戦するシングル戦の他、複数人で組んだチーム同士で戦うパーティー戦がある。パーティー戦の場合は剣士タイプと魔術タイプが入り混じり、魔術タイプも早撃ちができれば良いというものではなくなる。パーティー内での役割分担や戦術がより重要になり、魔術タイプは後方から威力のある術を撃ちこむ砲台役になる場合が多い。
「もともと魔術タイプとして高いスキルがあって、シングル戦に特化した呪文を用意してるってことか。近づけば終わりってわけにはいかなそうね」
パーティー戦は乱戦になることも多いから後衛職の魔術タイプといえども敵の接近を許してしまう事はある。ある程度は近接戦の経験もあると見るべきだろう。
聞けば聞くほど委員長は手強い相手のようだ。
「どうにかなりそう?」
心配そうに成美が聞いてくる。
「私も幾つか技を追加した方が良さそうね。先生が勝負をいつにするのか判らないし、急いだ方がいいかも」
「協力できることがあったら言ってねー。なんでもしてあげちゃうから」
「な、なんでも?」
「うん、なんでもー」
「……」
……はっ!
一瞬思考停止してしまった。
そう停止していたのだ。けして「なんでも」と言う言葉からいろいろと想像していたわけではない。断じてない。
そんな私に何を感じ取ったのか、成美が正面から言ってきた。
「揉む?」
揉むって何を!?
成美が何を言っているのかまるで分からない。
ふと気付くと沙織が私達から微妙に距離をとっていた。
「そ、そうだ。言い忘れてたけど、私D組の副代表になったから。もしかすると大会で当たるかも知れないわね。それじゃ!」
一息に言って、返事も待たずに歩き去ってしまった。
「どうしたんだろ?」
「どうしたんだろうねー。沙織もたまに変だよねー」
二人で顔を見合わせ、頷き合った。




