黒間加代子:防御魔術の攻撃的使用方法について
「さすがは三条さん。いきなりこれを見て、もう理解しているなんて。もしかして知ってた?」
早速カマをかけてみる。
もしも三条さんが私と同じようにアレを見ているのなら何かしらの反応があるはず。
「何の事を言っているのか判りませんが……障壁の上に立ってるのを見た時から、もしかしてこういうこともできるんじゃないかとは思っていました」
でも予想に反して三条さんにめぼしい反応は無く、彼女が上げた根拠もまた私の予想の外だった。まあ三条さんが言った事も『防御魔術の攻撃的使用方法』を実現する上で不可欠な要素の一つを応用しているのは事実だ。
とは言え核心からは遠く、そこから私がやっていることを即座に推測するなんて。魔術統合機構日本支部長を父に持ち、基礎的ながらも呪文開発をできるだけあって、魔術全般に対する察しの良さは専門校生のレベルを超えている。
「せっかくだし、ちょっと解説して上げましょうか?」
言うと、三条さんは苦々しげな表情になった。
こうしている間にも失血死へのカウントダウンは続いている。私の提案は時間稼ぎにしか思えないだろう。
私にとっては時間稼ぎと言うよりも時間潰しなんだけれど。
この状況、2-Bは既に詰んでいる。
遠距離攻撃を持たない天音さんは、私の術に対する相性が最悪だ。攻撃するためには武器が届く距離まで近寄らなければならず、その為にはまず立ち上がらなければならない。立ち上がる動きに合わせて首の動線上にでも障壁を一枚設置すれば簡単に仕留められる。
三条さんは動かなくても魔術攻撃できるけれど、止血のために展開した障壁が彼女自身の攻撃魔術も阻害する。障壁を解除すれば攻撃は可能になっても失血死が一気に近付いてくる。短時間で私の防御を抜ける算段でもつかない限り迂闊に実行できない手だ。
私には防ぎきる自信がある。
結局、こちらから攻撃できないのは変わらなくても、三条さんの失血死が早くなるか遅くなるかの違いしかない。ならばそれまでの時間を無為に過ごすより、話でもしていたほうが有意義というものだ。
三条さん自身も判っている。だから苦々しい顔をしていても拒否しない。
……で、なんだか天音さんは好奇心たっぷりなきらきらとした目で私を見ている。こころなし羞恥の色も薄れているような。興味のある事に集中しだすと周りが見えなくなるタイプなのかも。
曲がりなりにも理解している三条さんより、天音さんを相手にした方が面白そうだ。
「三条さんはもう判っているみたいだから天音さん……」
こちらから簡単な質問をする形で話を進めると、意外な程に素直な受け答えをしてくる。
話題にしたのは『切断力』について。
刃物は薄ければ薄いほどに良く切れる。
障壁が持つ強度と薄さについて説明してあげると、天音さんの顔に理解の色が広がった。
「……なるほど、それがこの攻撃の正体でしたか」
そのまま納得して頷こうとしたので首の下に障壁を置いたら、とても驚いていた。そして「もう絶対に動きませんよ?」という顔をしている。そんな天音さんに三条さんが溜め息を吐いていた。手のかかる子供を持ったお母さんのような雰囲気を醸し出しているのは何故なのか。
「天音さん、やっぱりこれがどれくらい非常識か判って無いでしょ? っていうかそもそも防御魔術がどういう術かって理解してる?」
「馬鹿にしないでよ。防御魔術って言ったら、そりゃ防御するための魔術でしょうに」
「そうよ。一番単純な概念は『AからBを守るために両者の間に壁を作る』って感じね。いい? あくまでも防御魔術は対象を守るための壁を生み出すのが大前提になっているの。オリジナル呪文を組もうとしても、防御魔術が防御魔術であるために必要な核になる部分は変えられない」
「つまり私たちを囲んでいるこれは、何から何を守っているのかと、そう言うことね」
「ええ。私たちの周囲に障壁を配置するだけなら『私たちを守る』設定で術を発動すれば可能だけど、その場合はこんな風に私たちにエッジが向くことは無い。障壁の角度が九十度変わっちゃってるの」
言い聞かせるような三条さんの口調は、さっきのお母さん的印象をさらに強くした。この二人の関係はいつもこうなのだろうか。
「あ、その言い方良いかも。うん、防御魔術を九十度回転させると正反対の攻撃魔術になるってところかな」
変わる角度は九十度でも、術の性質は百八十度変わって正反対になる。三条さんも上手い事を言う。
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それにしても、三条さんはあくまで障壁の向きに関する問題を重視している。呪文を組む云々は彼女が障壁の一言呪文を作った時の経験からだろう。呪文記述をできるからこそ、そこに引っかかってしまう。
記述できるくらいに理解していると、呪文は普通に読める文章のようなものらしい。数学者にとっての数式、プログラマーにとっての開発言語、音楽家にとっての楽譜のようなものだ。三条さんにとっては障壁の呪文もさっきの概念のように『AからBを守るために、AとBを隔てる壁をBの至近に作る』というように一つの文章として成り立っているのだろう。
この『AとBを隔てる壁をBの至近に』の部分は推敲に推敲を重ねた末の考え得る限り最もシンプルな文になっていて、いろいろな呪文に組み込まれている。三条さんが言った『核の部分』はこれを指しているはずだ。
同じ効果であれば呪文は短いほど(=工程数が少ないほど)優れているとされる。特に防御魔術は使用するのは危険が迫っている時なので、特に短い呪文が好まれる。核の部分はもう削りようが無いので定型文の如く使用されているのだ。
だから呪文通りに障壁の術を使うと、障壁の角度は『AとBを結ぶ線に対して直角』と自動的に決まってしまう。
ならば何故私は自由な位置に自由な角度で障壁を出せるのか?
その答えは、やはり私が防御魔術しか使えないからからだ。
普通の魔術使いなら射爆場で色々な攻撃魔術を撃って魔術レベルを上げていく。魔力が増えれば防御魔術も自然と強固な物になっていくので殊更防御魔術ばかりを使うという事はしない。でも私がレベル上げに使えるのは防御魔術だけだった。障壁の術だけ使っていたお陰で、かなり早い段階で無詠唱が可能になったのは嬉しかったけれど。さらに無詠唱で使い続けたら呪文や工程を意識せずに感覚的に使えるようにもなった。一本伸ばしの強みと言うべきか。
ところで防御魔術は『守る対象』と『防ぐ対象』を指定するところから始まる。一人で訓練する時にそれらをどう指定するのか。自分を守る設定なら防ぐ対象だけ、他者を守る設定なら両方を指定しないといけない。
最初はそこらにある適当な物を使っていた。机でも椅子でも、落ちている石ころでも構わない。とにかく私がそうと認識して指定すれば術は発動できた。
ある時、乱戦の中で複数の味方を複数の敵から守る、という想定で訓練しようとして、指定する対象が足りないという事態に陥った。そこは物を集めてくれば済む話ではあるけれど、なんだか面倒で、試しに想像だけでやってみた。
そうしたら、できた。
その頃にはもう感覚的に術を発動できるようになっていたから、座標指定も含めた発動工程がどうなっているのかを詳しく説明するのは難しい。誰かが解析して呪文を起こしてくれれば再現可能かもしれない。もしも呪文が記述されたなら、意味不明で破綻した文章になりそうだけれど。
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既存の呪文に従がって障壁の術を使っていては障壁の回転は絶対に実現できない。
……障壁の回転か。『防御魔術の攻撃的使用方法』は長すぎるし、とりあえず『回転障壁』とでも名付けておきましょう。安直過ぎるかな?
とにかく、三条さんは『角度』の問題から回転障壁を推測した。
でもそれだとまだ半分に過ぎない。
回転障壁に必要なもう一つの要素、『切断力』について三条さんはどう考えているのだろう。普通に障壁を張るだけなら無詠唱の私がわざわざ追加で呪文詠唱した意味を三条さんが見逃しているとは思えないけれど……。もしかして彼女自身の障壁には切断力なんて無い事に気付いていないのだろうか。
その辺をもう少し話してみたかったけれど。
「……委員長、これって詰んでない?」
「天音さんは間違いなく詰んでるわね。でも私はまだ行けるわよ」
「なら委員長に任せるわ。お願いね」
「そのポーズでお願いとか言われるとくらっと来ちゃうわね」
二人はそんな会話をしていた。
三条さんがくらっと来ているのは間違いなく出血のせいだと思う。負傷に伴う行動制限がかかるのと同様に、出血にともなう機能障害も再現されるはずだ。いくら天音さんが煽情的なポーズをしていても、同性の三条さんがそういう意味でくらっと来るはずがない。
「それ、そろそろ出血量がやばいからじゃないの?」
だからそう言ってみたら、三条さんは驚くほど強い視線を返してきた。
「血は失いましたけど、お陰で魔力は回復してます。時間を稼いでいたのは先輩だけじゃありませんよ」
魔力を回復? 三条さんが?
これは警戒が必要だ。学園でもトップクラスの魔術レベルを有する三条さんは魔力量でもトップクラスだ。一回あたりの消費魔力を低く抑えているにしても、一言呪文をあれだけ連発できるのは豊富な魔力の裏付けがあるからこそ。
そんな三条さんが失血の危険を犯してまで魔力を回復させ、その上で使ってくる魔術。
そうして始まった呪文詠唱は、三条さんには似つかわしくないゆっくりとしたものだった。そして長い。これはますます警戒が必要。私が実験的に回転障壁を投入したように、三条さんも何か切り札的な術を出してくるに違いない。
高火力な砲撃系魔術だろうか?
それなら障壁を前面に集中展開すれば良い。私が同時展開できる三十六枚の障壁を全て重ねれば、容易く撃ち抜かれはしない。
広範囲を収めた範囲系魔術?
そんな術を使えば天音さんを巻き込みかねないから考え難くはあるけれど、現状で2-Bの一位は確定しているのだし、どうやら三条さんは容赦の無い性格のようでもある。天音さんを犠牲にして、というのも否定しきれない。
その場合は三十六枚を密集させての全周防御だ。
どちらでも良いように気構えして。
固唾を呑む思いで見守る中、三条さんの詠唱が終了した。
そして放たれたのは砲撃でもなんでもない、小さな三つの球体だった。
それらはふわふわとした頼り無い動きで、風に吹かれる風船のように漂ってくる。
さて、あれはいったい何だろう?




