森上真:天啓
酷い目にあった。
出会い頭にいきなり爆殺を狙ってくる三条先輩は容赦の無い人だと思う。
退避がぎりぎり間に合ったお陰で致命傷こそ受けていないものの、飛び散った破片がいくつも直撃していた。特に左腕に当たったのは建材の大きな破片で、それ以後左腕が動かない。どうやら骨折の判定が下っている。
まあ弓が無事だったのだから、骨折程度は許容範囲のダメージだ。
そんな風に思えるのも相棒が回復術を使う水無瀬だからだ。あいつの腕前なら骨折程度は難無く完治させてくれる。対して、弓は壊れてしまったらそれまでだ。最悪弓無しでも矢を飛ばすくらいはできるが、戦闘力は間違いなくガタ落ちになる。
俺が陣取っていた特殊教室棟は複数の出入り口を有している。階段は内外合わせて三カ所。二カ所の出入り口と隣接する建物(職員棟とは逆側)への連絡通路がある。連絡通路の屋上部分も二階同士をつなぐ構造になっており、計五カ所が退避ルートとして選択できた。
外には天音先輩と三条先輩がいる。見つからないようにして進むなら渡り通路の屋上が良さそうだった。下から発見されないように姿勢を低くして一気に走り抜け、隣の建物経由で逃走を完了する。
向かうのは当然ながら学食棟だ。水無瀬との通信で他の選手がいないのは確認している。
もう少しで学食棟、というところで不意に通信が入った。相手は水無瀬ではなく、Mコース選択の一年男子だ。
こいつも大会参加者だが、さっき確認したリストでは名前が灰色になっていて既に敗退ずみである。
こんな時になんだ?
思いつつも受信状態にすると、死に戻りした選手から生き残った選手へのナビができるそうだ。彼のクラスは既に二人とも敗退しているため、同じ一年、またMコース選択のよしみで1-Cのサポートを申し出てくれた。
死に戻り先は闘技場で、あそこには全選手の動向を映しだす巨大スクリーンがある。大会が進行して選手数が減ってくればなかなか遭遇しなくなってくる。そうして大会がダレるのを防ぐための措置だと思えた。
丁度学食棟に着き、調理スペースに隠れていた水無瀬と合流する。
水無瀬も心得たもので、俺の左腕を見ると何も言わずに回復術の呪文詠唱を始めていた。
そんな水無瀬にも聞こえるように通信をオープンにする。
通信には一回あたり三分間という時間制限がある。上手に纏めて他の選手の動向を伝えてくれる相手に感謝しつつ、脳内に思い描いた学園マップに各選手の現在位置を重ねていく。
それらは大変重要な情報であり、そしてこうした情報が選手に提供されるという事実を知れた事自体もまた重要な情報だった。闘技場でならどの選手がどこにいるのか手に取るように判る。
水無瀬を一人で隠れさせておくのは危険である。それが知れたのだ。
制限時間を気にして可能な限り簡潔な連絡に徹した結果、逆に少しばかり時間が余ってしまった。そこで直接は関係ないものの、気になった事を聞いてみる。
「なあ、2-Bはまだ二人とも生き残ってるよな? 誰かサポートついてるのか?」
「2-B……ああ、三条先輩の所か。どうやら姫木先輩が連絡したみたいだな」
「姫木先輩が? あの人は天音先輩にやられたんじゃなかったのか?」
状況からしてそれ以外考えられないのだが。
自分を倒した相手のサポートにつくなんて姫木先輩は心が広い。普段から仲が良いし、勝負は勝負、友情は友情で割り切っているのだろうか。
そんな感じで聞いてみたら、いきなり通信相手が吹き出していた。
「なんだよ、おい!?」
「す、すまん……! 姫木先輩は確かに天音先輩にやられたんだけどな……思い出すだけで腹筋が痛え!」
そして笑いを堪えながらの説明で、あの時校舎の中で何があったのかを知った。
「まるでコントみたいだったぞ。天音先輩はもっと固い人かと思ってたけど、意外と面白い人だったな……しっかしCODでモザイク出るなんて初めて見たよ」
そしてとうとう堪え切れなくなった笑い声を最後にして制限時間となり通信は切れた。
治療中の水無瀬もくすくすと笑っていた。
「あの人がそんな事をするなんて想像ができないね。見てみたかったなあ」
それは同感だ。天音先輩の新たな一面を発見できるに違いない。
だが、それよりもだ。コントのくだりは見逃してはいけないとても大事な示唆を含んでいたように思う。
内容を要約すればこうだ。
俺が放った矢を受けた防具の金属パーツが熱せられ、姫木先輩には継続ダメージが入る状態になっていた。それを見かねた天音先輩が刀を一閃させて防具を破壊したところ、着衣データのマッチングの問題でその下は裸。倫理コードに従がってモザイクが発生するとともに、強制ログアウトのカウントダウンが始まる。さらにそれを見かねた天音先輩がモザイクを消すべく取った行動は、姫木先輩の胸を揉みしだいているようにしか見えなかったとか。ここで天音先輩にはハラスメントコードによる警告とカウントダウン。なんやかやのやりとりの最中に姫木先輩のカウントがゼロになって強制ログアウト、という顛末だ。
天音先輩が姫木先輩の胸を揉んでいる瞬間、その部位が隠れたためか一時的にモザイクが消えたそうで、それはもう完全に百合動画の様相を呈していたらしい。
「どうしたの? 黙り込んじゃって」
不思議そうに水無瀬が訊いてくる。
俺の思考はフル回転状態だ。水無瀬に答える余裕は無い。
なんだろう。どこが引っかかるのか。
防具破壊……着衣データ……倫理コード……強制ログアウト……。
余計な部分が削ぎ落され、幾つかの単語がぐるぐると繰り返される。
そして、パズルのピースがぴたりと嵌り込むように、一つの結論が導き出された。
「そうか!! その手があったくわっ!!」
思わず上げた叫びは、興奮のために語尾が変になってしまった。水無瀬がなんだか引いているが、俺は思い付いたばかりの妙案に我を忘れそうだった。
「ちょ……森上君、キミ大丈夫かい?」
「大丈夫かだと? 大丈夫に決まっている!」
「そ、それは良かった。けど『その手』って何のことなの」
「防具破壊だよ!」
俺の目標を憶えているだろうか?
そう、天音先輩の真の姿を見ることである。
だがそれにはサラシが邪魔だ。憎々しい一枚の布が、天音先輩の胸に息づく素晴らしき夢と希望を圧殺してしまっている。全く持って忌まわしい限りだ。サラシなどこの世から消えてしまえば良いのに。
しかしながらサラシは厳然と存在している。それを外してくれと頼んだりしたら先輩に軽蔑されてしまうからそんな事はできない。来年の夏まで待つしかないと、正直諦めてさえいた。
ところがどうだ。この仮想世界では『防具破壊』がシステムとして認められている。邪魔な胸当てやサラシを壊してしまえるのだ。
いや、何も先輩の胸を見たい一心で防具を狙いに行くわけじゃないぞ?
俺はもともと心臓などの急所を狙うようにしているのだし、天音先輩は持ち前の回避力で避けようとするだろう。さっきの高速射撃を間一髪で避けたように。あんな感じで胸当てやサラシにダメージが蓄積されて、偶然壊れてしまうことだってあるだろうという話だ。
そう、あくまでも偶然だ。俺にやましい所など無い。
そしてサラシに攻撃を到達させたとしても、システム的に着衣データは破損しない。倫理コードでモザイクが発生したり、天音先輩が強制ログアウトになる心配は無いのだ。当然戦いは続行される。
後は先輩を観賞……もとい、観察……もちとあれか。とにかく戦闘中に相手を注視するのは当たり前の事だ。誰を憚る事も無く見放題である。
そんな素晴らしい思い付きを説明してやると、水無瀬はあからさまに溜め息を吐きやがった。
「森上君、キミ本当に大丈夫かい?」
それさっきも訊いたよな? 俺は大丈夫だと答えたよな?
「クラスの順位もかかっているんだよ。そんな事に気を取られている場合じゃないだろ」
「……聞き捨てならないな。お前、天音先輩の胸を『そんな事』と言ったのか? 判ってない。お前は何にも判ってないよ。良いか、そもそも女性の胸の膨らみにはだな」
滔々と語ってやると、水無瀬も「そ、そうだね」と同意してくれた。奴も男だ。女性の胸の素晴らしさは伝わる。
それに、これは何も二兎を追おうという話では無く、勝利のために攻撃すれば防具も壊れるかもしれないという一石二鳥を狙う類の話だ。
「そうそう上手くいくとは俺も思っていないけどな。天音先輩はそんなに甘い相手じゃない」
天音先輩に止めを刺さず、防具だけを壊すように調整した攻撃なんて通用するはずがない。本気で倒しにいって、それですら勝てるかどうか怪しいのだ。悲願達成は心の隅に止め置き、実現できたらラッキー、くらいで丁度良いだろう。
期待し過ぎても失敗した時の落胆が激しくなるだけだしな。
「はあ……治療は終わったよ。違和感無いか確かめてみて」
何故か気抜けしたような水無瀬に言われて、ラジオ体操っぽく体を動かしてみた。骨折はもとより全身の打撲も全て完治しており、元通りに動けるようになっていた。
「問題無しだ。水無瀬の回復術は流石だな」
「褒めても何も出ないよ。それより、本当に真面目にやってくれよ?」
「くどいぞ。俺が自分の欲望を真剣勝負に優先させると思うのか」
「思わないけどさ。欲望4対勝負6でも一応勝負優先じゃないか。そんな気がするんだよ。何故だろうね?」
「何故だろうな。俺にも判らないぞ」
まったく水無瀬は俺を何だと思っているのか。いくらなんでも4:6はない。せいぜいが2:8……多くても3:7くらいだ。
あくまでも心情的には、だけどな。
重ねて言うが勝負はガチだ。
「おっと、誰か来たみたいだな。水無瀬は隠れててくれ」
「……判ったよ」
学食棟入口の方から近付いてくる物音を聞き付けて、水無瀬を再び調理スペースに隠れさせた。ナビが実行された後では水無瀬の存在はバレているだろうが、遮蔽物の影に居るだけでも生存率は上がるはずだ。
俺自身も柱の陰に隠れて侵入者の方を覗き見ると、警戒しながら注意深く進んで来たのは天音先輩と三条先輩だった。
……そりゃあの人達も合流するか。これは厳しいな。
あの壮絶な試合を演じた二人を同時に相手取るとか、これがゲームなら無理ゲー認定確実だ。




