マックスなコーヒー
ホームルームが終わって後城が退室すると同時に、私は無言で席を立った。
机の間の通路を歩いて成美の席の横に立つ。
「成美、ちょっと話があるんだけど」
「やー、来ると思ったよー」
悪戯を見つかった子供のように成美が小さく舌を出す。
可愛いが、それに騙されてはいけない。
周りからの視線が気になる。ホームルームの遣り取りの後だけに注目されている。
私が周囲を見回すと、みな一様に視線をそらす。
さっき成美に賛同して私を陥れたSコースの面々が「くわばらくわばら」と言いながら私を拝む真似をした。
すこし気持ちが高ぶっているので、目付きがきつくなっているかもしれない。
……それにしても「くわばら」って古い言い回しを知ってるものだ。
「ここじゃ話もしにくいかなー。ちょっと着いて来てー」
席を立った成美がとことこと教室の出口に向かう。
逃がすわけには行かないので追いかける。
「ねえ天音さん、私の名前なんだけど……」
「ごめんなさい、急いでいるの」
取り巻きAが何か言ってきたが構っていられないので素通りする。
背後で落ち込む気配がするけれど、今は成美を追わないと。
廊下に出ると成美が待っていた。
逃げずにいるとは見上げたものだ。
「こっちこっち」
成美が私の手を握って、先導するように歩きだす。
うん、これなら逃がす心配はない。私は成美の手を握る手に力を込めた。ただし私の握力で思い切り握ると大変な事になりそうなので、程よい強さに加減しておく。
廊下を歩いていくと二つ隣のD組の教室から丁度沙織が出てくるのに出会った。
沙織は私達を見ると目を円くした。
「なんで手なんかつないでるのよ。あんた達本当に仲が良いわね」
「これは逃がさないように捕まえてるのよ」
「いや、そうは見えないんだけど」
訂正した私に沙織は苦笑を返した。
私と並んで歩きながら「学園祭の話聞いた?」と言ってくる。
「今まさにそのことで成美を問い詰めようとしているのよ。成美達の奸計で私がクラス代表になる破目に……」
「奸計はひどいなー」
成美の抗議には取り合わず、ホームルームでの一件を沙織に説明する。
一通り聞き終えた沙織は首を傾げている。
「それって……きっかけは成美だろうけど、結局決め手になったのはあんた自身の暴走なんじゃないの?」
「暴走とは心外ね。あの人……の発言は私達剣士タイプ全員に対する挑戦よ」
「Aさんでしょー」
成美がくすくすと笑っている。
「ねえねえ、それで委員長の取り巻きの誰がBで誰がCなの?」
なんて聞いてきた。
どうやら私が内心でABC設定をした事を見抜いているらしい。成美やるな。
沙織は不思議そうな顔をしたが、成美の奇妙な言動には慣れているのでスルーしていた。
良かった。改めて説明するのは恥ずかしい一件だ。
成美に引っ張られて行くうちに、あまり見覚えのない一角に来ていた。
選択式の授業や実習で校内の移動は多いけれど、どうしてもある程度決まった移動ルートができてくる。そういった普段の行動範囲からは外れた場所だった。
建物と建物に挟まれて中庭のようになっていて、片隅にジュース類の自動販売機とベンチがある。
「ここはあんまり人が来ない穴場なんだー。桜は座ってて。お詫びになんかおごるからさ」
成美の手がするりと抜けて行く。それなりに力を入れて握っていたのに、まるで抵抗なく抜けて行った。
言われた通りベンチに腰掛けて待つ。成美が続けて二本買って、入れ替わりに沙織が自動販売機の前に立つ。
「はい、これ飲んで」
成美が差し出してきたのは見たこともない缶コーヒーだった。成美自身も自分用に同じ缶を持っていた。二人揃って缶を開ける。
「それでさっきの事なんだけさー」
成美が話し始めるのを聞きながら、無意識に缶を口に近づけて……。
自分の分を買って振りむいた沙織が「あ、それ……」と言った時には、最初の一口は私の口の中にあった。
「!」
ものすごい衝撃が舌から脳へと伝わってきた。
最初なんなのか理解できなかったが、一拍遅れてそれが「甘い」という味覚情報なのだと分かった。分かってしまうと今度はひたすらにその強烈な甘みが脳に伝わってくる。
吹きだしそうになるのをどうにか堪えてその液体を飲み下し、私は荒い息を吐いていた。
「な、なによこれ!?」
自分が手にしている缶を見ると結構有名な飲料メーカーのロゴが入っている。商品名は「限界に挑戦! 甘さマックスなコーヒー」となっている。
挑戦しすぎでしょ、これ。甘いというより痛い感じすらした記憶がある。
「ごめん桜。もっと早く気付いてれば止められたんだけど」
済まなそうに沙織が私を見ている。
「成美! あんたいったいどういう……」
成美に詰め寄ろうとして私は言葉を飲み込んだ。彼女は同じ缶コーヒー手にして寂しそうにしている。
「やっぱり桜もだめだったかー。この味が分かる人っていないのかなー」
言って、その缶コーヒーを普通に飲んだ。
「美味しいと思うんだけどなー」
「あ……」
これはもしかして、成美は自分のお気に入りの缶コーヒーを勧めてくれただけ? そこに悪意の欠片を想像してしまったのは私の被害妄想だろうか?
成美の打ちひしがれた様子は演技ではなさそうだった。
「……」
私は意を決して再び缶に口を着けた。
「お?」(成美)
「え?」(沙織)
二人の驚きの声を聞きながら再びその液体を口中に送り込む。
成美は普通に飲んでいたのだから、これは毒でもなんでもない、商品名の通りに甘さを強調したコーヒーなのだと強く自分に言い聞かせる。
甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘いあ、コーヒーっぽい甘い甘い甘い甘い甘い甘い……
飲み込む。
「こ、こんな甘いコーヒー初めてだわ……」
「おお!」(成美)
「ええ!?」(沙織)
成美と沙織が上げたのはどちらも驚きの声だったけれど、その種類は全然違っていた。
「ちょっとちょっと、まさかそれをコーヒーだと認識できたの?」
「すっごい微かにだけど、確かにコーヒーっぽい味を感じたような気がする」
「嘘! 私も知らずに飲んじゃった事があったけど、甘いだけだったわよ。ううん、甘いって言うかもう味覚を利用した暴力だったわ」
「やー、桜ならこの味を判ってくれると思ってたよー。美味しいでしょー」
味覚を利用した暴力か。沙織はうまいことを言う。私にも痛みに似た感覚はあったし。
そして成美。さっきは「やっぱりだめか」と言っていなかったか。
「で、これはいったいなんなのよ?」
「コーヒーだけど?」
「いや、それはわかるけど、そうでなくて」
成美の説明によると、大手飲料メーカーが昔地方限定で通常よりも甘みを増した缶コーヒーを発売したところ、これが大変に受けた。地方限定のこの商品を買うために他の地方からわざわざ足を運んでくるファンもいたらしい。
そしてメーカーは限界に挑戦してしまった。
リメイクされるたびに甘みは天井知らずで増していき、とうとうメーカー自らが「これ以上はヤバイ」という意味でマックスの名を冠したこの商品が発売されたのだそうだ。
こうして自動販売機のラインナップに入っているということは、これでもまだ採算が取れる程度には売れているのだろう。一部のマニアックなファンが買い支えているだけも知れないが。
「世の中広いわ。こんなのがあったなんて知らなかったわよ」
もう一口飲む。やっぱり甘い。
それを見て成美がぱたぱたと手を振っていた。
「桜、いいって。無理して飲まなくても。残りは私が飲むから」
そう言ってくるところを見ると、これが一般受けしない味だという自覚はあるのだろう。
でもまあ最初はいきなりだったし、コーヒー用の口になっているところに物凄い甘みが来たからびっくりしただけだ。こういうものだと覚悟を決めて飲めば、別に飲めないほどの味じゃない。
……美味しいとまでは言えないけれど。
「大丈夫、全部もらうわよ。それに……」
おっと、危なかった。「間接になっちゃうでしょ」は言わなくても良いだろう。
「それに……せっかく成美がおごってくれたんだしね」
そんなにこのコーヒーが好きなのか、残念そうな顔をしていた成美が「え?」という顔になった。これは私の本心だ。人からの好意は素直に受けるべきであり、受けた好意は無にしてはならない。両親からはそう教わっている。
「は、はは……でも無理はしないでよ。もう駄目、ってなったら言ってよね」
なんだか成美の顔が赤くなっているような?
コーヒーの話で予定の倍以上字数を使ってしまいました。
今回後半に書くはずだった話は次回に持ち越します。
*文中では微妙な位置づけの「マックスなコーヒー」ですが、モデルになっている某飲料は普通に美味しいです。




