八十六話 宴のあとに
今回は短めです。
ようやくすべての人妖を描き終えた参真は、疲労感たっぷりに、けれども満足げに息を吐き出した。
ただし、八雲 紫だけは本人に絵を渡してはいない。本当は描くつもりはなかったのだが、最後の最後で表現の欲求に負け、不貞腐れ、酒に酔って眠っている所をこっそり描いてしまった。
「どうしようかな……これ……」
本人に渡すか迷ったが、彼女はこの通り眠っているし、私怨もある。結論として、絵自体は二枚取っておくことにしておこう。
「ご主人さま……ちょっといい?」
「ん? どうしたの小傘ちゃん」
彼女の絵も描いたはずである。一枚絵も描いてほしいのかなとか、勝手な想像をしていた彼に、鋭い口調で問いかけた。
「今聞くことじゃないかもしれないけど……昔、何があったの?」
「え……? いや山籠り……」
「それより前の話……」
返答に詰まった。絵を描いていたよという回答が欲しい訳ではないのは流石に分かる。となると……彼女が欲しい回答は……
「それは、今知りたいことなのかな」
思い当たる節が一つあって、話すことをためらう。ついお茶を濁した。だけど、彼女は諦めてくれそうにない。彼女は全く瞳をそらさかった。
「……ここじゃ話づらい。ちょっと境内に出ようか」
散歩がてら喋ろうと思って、参真はその場を立った。小傘もその後に続く。
すっかり夜も更け、冷たい風が二人の身体にまとわりついてきた。桜の花弁と共に、夜空に舞い上がっていく。描くには持ってこいの空気だが、参真はそれを無視した。
「……描かなくていいの?」
「そのために外に出たんじゃないから……これから話すのは、絵に夢中になり過ぎたせいで、酷い目にあった話」
唇が震えた。
自分の身の上話など、話したことなど一度もない。さとりは心を読んだだけだから説明はいらなかったが、彼女に上手く伝わるかどうかが不安で仕方がない。
「そして……その時に気がついたけど、もう手遅れだった話」
唇が渇いた。
想起するのは二つの悪夢の記憶。人々がわからなくなる恐怖と、兄を失うまでの行程。
軽くめまいがする、胸の奥で、泥が詰まってるような感触がした。頭の中でぐるぐると、人々の笑い声が響く嗤い声が響く哂い声響くわらいごえひびくわライごエヒビくワライ――
それが収まったと拍子に、兄が、死んだ。
ぐちゃりと、赤い液体をまき散らしながら、すぐには死ねずに、苦しんで死んだ。
(はは……読まれただけと思いだすのじゃ、段違いだ)
精神の軋む音がする。魂に刻まれた傷口を開くのは、それだけで重労働どころか、下手したら死にかねないような苦痛だ。
それでも……それでも彼は、唇を開いた。
トラウマは想起したくないものです。それだけで怖気がします。