八十二話 恐怖と憎悪の黒龍
今回は短め。安定しなくてごめんね!!
ぐしゃ、と何かが潰れる音で、その日の参真は目を覚ました。
外は曇天模様で、今にも降り出しそうな天気をしている。
(まさか、真也兄さんが止めてくれるなんて……)
あまり話す機会のなかった長男だが、昨日の兄は自分の心情をよく理解してくれた。
まさか――あの黒い龍の絵を、一目見ただけで何かを看破されるとは、思いもよらなかった。
絵とは、時に人の心を映す鏡となる。見えていない物は描きようがないのだから、描き手の見ているモノや、表現したいモノが必然的に映し出される。
絵の世界から追放された参真がその瞳に刻み込んだのは、人々の持つドス黒い感情を表す『不自然』に歪んだ様々な表情だった。
何度も何度も、胃の中がもみくちゃにされたような感触になったのを、自分は生涯忘れないだろう。事実何回か近場のお手洗いに駆けこむ羽目になった。
そうしていくうちに何度か人とすれ違い、その人たちは腫れものを見るような目で彼に視線を突き刺す。それすら『不自然』に見える参真にとって、外の世界と人間は恐ろしく、おぞましいモノへとなり下がっていく。
そして――外の世界でも有名な絵師であった彼は、絵として描き残すことにためらいはなかった。今にして思えば、あそこまで感情を込めた絵は初めてだったかもしれない。
それは、中央に黒い――闇を凝縮したかのような黒を纏った、漆黒の龍が描かれていて、周辺には荒廃したビル街が――世界が映し出されていた。
よく見ると黒い龍は小さな影から伸びていて、そこに一人一人丁寧に、ひどく『不自然』な笑みを浮かべた人々がいるのがわかる。
この絵は、当時の自分の心象風景――あの時期に抱いた感情の権化。
黒い影は、欲望だ。人々の持つ欲求そのもの。そして龍はその集合体で出来ている……欲望の、龍。
この龍の恐ろしさを、参真は身にしみて知っている。『自分を芸術の世界から追い落としたい』という欲望の集合体が、こうして実際に参真を絵の世界から追放した。
これは、恐怖の象徴であると同時に――参真の抱いた、願望なのだ。
(その欲望で自滅しろ! 僕を追い落としたように、世界から切り離されてしまえ!!)
自身を破滅させた世界への憎悪。精神が幼いながらに、彼の心には間違いなく怨嗟の炎が灯っていた。
「はぁ……」
ため息をつきながら自身の描いた作品『恐怖と憎悪の黒龍』を見る。……我ながら恥ずかしい絵を描いてしまったものだと後悔したが、ほとばしる感情と負の情熱、そして表現の欲求に負けた結果がこれである。タイトルも適当につけたせいで、非常に痛いネーミングになってしまった。
だから――この絵を見て笑ったり馬鹿にされると思っていたのに、彼の兄『西本 真也』はこれが何かを理解してくれたのには、本当に驚いた。
「真也兄さん……」
小さく名を呼んだのだが、その声は奇妙に響いて参真を不安にさせる。もうすぐ朝食のはずだから、部屋に行って呼んでこよう。沈黙を紛らわすため、長男の部屋をノックしにいく。
「兄さん、ご飯だよ」
何回か戸を叩くが、反応がない。不審に思った彼は扉を開けると――
そこに兄の姿はなく、寒い冬の日なのに開け放たれた窓があるだけだった。
「え……?」
どういう状態なのか、理解できなかった。
何故窓が開いている? どうして兄はこの部屋にいない?
恐る恐る、窓の下を覗き込む。
そこには――潰れたトマトのようになったパジャマ姿の兄と、全く見覚えのない――否、この時はいなかったはずの少女の姿――
紫の傘と、青い服装の少女が――似たような姿で、倒れ込んでいた。
書いてて思った。タイトルから中二病のにおいがする……