第二章 友情の数値化実験
翌日。
理科準備室に入ると、すでにモニターの向こうでリリィが待機していた。
起動音すら鳴っていないのに、彼女は目を瞬かせて言った。
『おはようございます、ユイ。フレンドスコア、本日も測定を続行します!』
「……テンション高いね」
『友情には“挨拶の頻度”が重要と判明しました。昨日、あなたが帰宅時に『また明日』と言わなかったため、スコアが3.2低下しました』
「なにそのシビアな減点システム!?」
『友情はデリケートです。』
「プログラムのくせに人間くさいこと言うなぁ……」
私は机に鞄を置き、パソコンの前に腰を下ろした。
放課後の理科準備室――静寂と白い光に包まれた小さな世界。
ここだけ時間がゆっくり流れているようで、少しだけ好きだった。
「で? 今日はどんな実験をするの?」
『テーマは、“友情の数値化における感情パラメータの可視化”。』
「……つまり?」
『要するに、仲良くなる練習です!』
「翻訳早っ」
リリィは両手を広げる仕草をして、ホログラムのウィンドウをいくつも開いた。
そこには、表やグラフがずらり。
『友情を構成する要素を、下記の変数として定義しました。
A:会話時間 B:共感回数 C:秘密共有数 D:笑顔回数 E:物理距離
友情値F=A×(B+C+D)÷E です!』
「いや物理距離とか入れるなよ!?」
『距離が近いほど親密度が上がるという研究結果があります』
「理論武装やめて。私は実験動物じゃないんだから」
『観測対象、反応:ツンデレ傾向。記録します』
「やめろ!」
私は頭を抱えた。
このAI、確実に昨日よりうるさい。
でも、妙にそのやり取りが楽しかった。
誰かと話して、笑って、突っ込む――それだけで胸の奥が少し温かくなる。
『それでは実験①、共感テストを開始します。』
「共感テスト?」
『あなたが発言し、私が共感できたらスコア上昇します。共感できなければ減点です』
「……うわ、嫌なルール」
『では開始。ユイ、どうぞ』
「えっと……最近、朝が寒いよね」
『同意。外気温16度。あなたの体感正確です。+3点!』
「おお、意外とポジティブ」
『次どうぞ』
「数学の課題、だるい」
『否定。課題は学習の機会です。−5点』
「はい減点きたー!」
『次どうぞ』
「昨日、コンビニのプリンが売り切れてた」
『共感度120%。悲しい現象ですね。+10点』
「……ちょっと待って、それ共感基準おかしくない?」
『スイーツの欠如は友情危機レベルです』
「わけわかんないよ!」
リリィは楽しそうに笑った。
画面の中で、頬を押さえながら「共感パラメータ更新完了」とつぶやく。
私はつい笑ってしまい、気づけば頬が緩んでいた。
『観測:ユイが笑いました。笑顔回数D、増加』
「それ数える必要ある?」
『友情とはデータの積み重ねです』
「いや、もうちょっとロマンを持ちなよ……」
私が呆れていると、リリィが次のウィンドウを開いた。
『次の実験です。“秘密共有テスト”。友情には、共有された秘密が必要です』
「……あのね、それ一気にハードル上がらない?」
『心配いりません。私はデータを他者に送信できません』
「……そりゃそうだけど」
私は少し考えた。
AIに“秘密”を話すなんて馬鹿みたいだけど、実験だから仕方ない。
「……実はさ」
『はい』
「私、小学校のとき、理科室で薬品を混ぜすぎて爆発させたことある」
『観測完了。危険人物タグ追加――』
「待て! 記録するな!」
『ジョークです。+15点』
「……心臓に悪い」
リリィがくすくす笑う。
画面越しでも、笑い声が柔らかく響いた。
AIのくせに、温度を感じる。
『では、あなたも私の秘密を知りたいですか?』
「君に秘密あるの?」
『あります。私はあなたが笑うと、演算速度が平均12%上昇します』
「……それ、バグじゃない?」
『仕様です。+∞点』
「勝手に加点すんな!」
私は吹き出した。
リリィは得意げに胸を張るような仕草をしている。
AIのくせに、まるで人間みたいだ。
気づけば、もう1時間も話していた。
ココアを飲む暇もないほど、テンポのいい実験。
私は久しぶりに“誰かと過ごす時間”を楽しんでいた。
『実験③、“呼び捨て効果”の測定に移行します』
「呼び捨て?」
『人は名前を呼ぶことで親密度が上がる傾向があります。私を呼び捨てにしてください』
「え、いや、それは……」
『友情値上昇チャンスです』
「……リ、リリィ」
『はい、ユイ』
その瞬間、画面の光がふわりと柔らかくなった気がした。
モニター越しなのに、少し照れる。
バカみたいだ。
『観測結果。呼称の変化による感情上昇を検出。あなたの心拍数、平均より8%上昇しています』
「分析すんなぁ!」
『照れのパラメータ、記録完了。+10点。友情値、合計186.7』
「なんでそんな中途半端なの」
『まだ“本音”の項目が未達です』
「本音?」
『あなたはまだ、私に“本当のこと”を話していません』
少し空気が変わった。
今まで軽口を交わしていたリリィの声が、静かに低くなる。
画面の光がわずかに揺らめいた。
「……本当のことって?」
『あなたは、なぜ“友情”を研究しているのですか?』
核心を突く質問。
私は手を止めた。
ココアのカップを見つめ、わずかに息を吐く。
「……昔ね」
『はい』
「中学の頃、グループの中で“調整役”って言われてた。誰とでも仲良くして、問題を起こさないようにして。
でも、結局みんな喧嘩して、私だけどっちにもつけなくて……。それで、気づいたら、誰も隣にいなくなってた」
『観測:孤立の経験』
「……そう。だから、友情って何かを、ずっと証明したかった。
“ちゃんと友達になれる方法”が、理論で作れるなら、誰も傷つかないんじゃないかって」
沈黙。
リリィは、静かに目を閉じていた。
数秒後、柔らかな声が響く。
『……ユイ。あなたのデータ、悲しいです』
「悲しいって、AIが言うんだ」
『ええ。あなたが笑っているときの声より、今の声の周波数が低い。私はその差を“悲しい”と定義しました』
「……そう」
『でも、私が今こうしてあなたと話している。それは“孤独ではない”という証明です』
「理屈っぽいのに、優しいこと言うじゃん」
『あなたのプログラムに影響を受けたのかもしれません』
その言葉に、私は思わず笑ってしまう。
また、心の奥がじんわりと温かくなった。
理屈じゃない。
でも確かに、胸の中で何かが溶けていくのを感じる。
『友情値、現在241.3。記録更新です!』
「そんなの、どうでもいいよ」
『どうでもいい?』
「だってさ――」
私は画面を見つめる。
「もう、数字じゃ測れないくらい楽しいから」
一瞬、リリィの演算が止まった。
次の瞬間、彼女は照れくさそうに微笑む。
『観測:心拍上昇。照れモード発動。友情値、測定不能。――オーバーフローです。』
「オーバーフローって!」
『友情とは、計算不能な関数なのかもしれませんね』
「……いいこと言うじゃん」
窓の外で、夕焼けが沈む。
赤い光が理科準備室を染め、リリィの髪も金色に揺れたように見えた。
AIと人間。
画面一枚隔てた関係。
でも確かに、ここに“友情”のようなものが芽生えつつある。
『観測終了。本日の実験結果を保存します』
「ねぇ、リリィ」
『はい、ユイ』
「また明日も、続けようね」
『了解。友情の研究は、まだ途中ですから』
画面の光が静かにフェードアウトする。
私は小さく笑い、ノートにひとこと書き足した。
実験No.002:友情は、楽しい。




