SAKURA
夢を見た。
ぼんやりとしか分からないけど
とても懐かしい匂いがして。
「…桜…?」
「はい」
「…」
(今、女の人の声が聞こえたような)
うっすらとした意識の中手を伸ばすと
細い手が握り返した。
「…っ!」
飛び上がって辺りを見回すと
優しく微笑む少女がオレの隣にいた。
「おはようございます」
「…あ、おはよう」
……ちょっと待て、流されるなオレ。
「君、誰?」
「わたくしは桜と申します」
「いや、そうじゃなくて」
「?」
「何でここにいるの」
得心がいったように両手を合わせて頷くと
机の上の鉢を指す。
「わたくし、頑張っちゃいました」
彼女の言うとおり鉢の中にあったはずの
植物は消えている。
「頑張っちゃいました、って」
半分呆れ混じりに言うと、だんだん彼女の
表情が暗くなっているのを感じて
急いで訂正した。
「いや、ちゃんと詳細を知りたいなって」
「まあ、そうでしたの」
誤解が解けたおかげか上機嫌で話す彼女の話によると恩返しがしたくて
神様に頼んであの植物になってオレの元に来たらしい。
「現実味がなくてよく分かんないだけど。
てか、オレ何かしたっけ?きみに」
「…覚えていないのですか」
「?」
「しょうがありませんわよね」
そういうと桜の手が頬に触れた。
「っ…///」
「思い出してくださるまでお側におりますわ」
桜の手を伝わって甘い香りが鼻孔をくすぐる。
その香りが何となく心地よくて、しばしその
余韻に浸っていた。途端に頬から手が離れたので
訝ると、桜はくすくすと笑いながら時計を指した。
「早く支度をしないと、お母様が上がって来ますよ」
「珍しい、自分から起きてくるなんて」
宇宙人でも見たような目を見る限り心底驚いているのだろう。
「まあね」
上に桜がいることを悟られない様出来るだけ
平静を装った。いつものように朝食を済ませ
玄関で靴を履きながらふと桜がよぎる。
(昼間、大丈夫かなぁ)
「母さんは基本家にいるしなあ」
「?」
「何でもないよ、行ってきます」
「そう?それならいいけど…」
とりあえず母はいつもと違う反応ばかりする
息子を思春期だからと自分に言い聞かせた。
午前の授業も終わり昼食の時間に
オレに訪問者が訪れた。
「おーい、お客」
香山のにやついた笑顔も気になるが
オレに来た客が気になり視線を辿ると、
見覚えのある顔が
ひらひらとこちらに手を振っていた。
「似合いますか?お姉さまのをお借りしたのですけれど」
スカートの裾をつまんでくるりと回るとそう言った。
「似合うよ、可愛い」
「…ありがとうございます…」
素直に褒めると桜は嬉しそうに言った。
実際、ほんのり頬を染めて照れ笑いをする彼女は
お世辞なしに可愛い。
「あの、お昼、ご一緒させて頂いてもよろしいですか?」
ここまで一人で来た桜を断る理由はあるはずもなかった。
結局昼食のメンバーはオレと香山と桜になった。
桜は今日一日のことを身振り手振りで嬉しそうに
オレたちに話す。
「実は、朝から学校におりましたの。それでねこさんとも
お友達になりましたのよ」
すると桜は猫を抱き上げてみせた。
「ほら」
「へー…」
「あ、ソレ家の猫だわ」
どうやらその猫は香山の猫らしい。
「まあ、香山さん家の。お名前は何て言うのですか?」
「餡っていうんだ、可愛いだろ」
普段余り喋らない香山も猫談義だとお喋りになる。
桜と香山が猫について盛り上がっていると妙な
疎外感を味わってしまった。
「優さんは猫さん好きですか?」
オレの心を悟ったように桜が話しかけた。
「ああ、オレ結構好き」
「そうそう。でもこいつの母ちゃんアレルギーだから
飼えねえの」
「しゃーねぇじゃん、アレルギーだし」
「そうなんですか?そういえばお部屋にいっぱい
猫さんの置物がありましたね」
「てーかオレは猫好きじゃねぇと話せねぇ。
だからお前らとは話せる」
「香山…」
妙に自信満々に言われて、ツッコミを忘れてしまった。
「何だか、楽しいですね」
「楽しい?」
「はい、楽しいです」
にこにこと笑う桜を見ていると何だかこっちまで楽しくなってきた。
それは香山も同じようで目があうと互いに笑いあった。
今日は桜も入れて3人で下校した。
校門を離れてしばらくした後、香山は
ずっと持っていた疑問を口にした。
「なー、お前らってどういう関係?」
「どうって…」
朝のことを話しても信じるだろうか。
自分だってあやふやなのに。
急に無言になったのを気にして香山が
付け加えた。
「いや、ただのオレの好奇心だから」
どうしたものかと桜の顔を窺うと
微笑み返してくれた。
「ふーん…」
その表情から香山は何かを感じたらしく
にやついた表情で桜に言い寄る。
「桜さん、こいつに恋してるでしょ」
(・・・っ///)
オレの焦りを気にした風もなく桜は言い切った。
「恋というものは分かりませんが、優さんといると
とても心が温かくなることだけは確かです」
「そっかそっか」
たった一人の親友を大事に想ってくれる人が
いることが、香山にはうれしかった。
そんな親友の心境とは裏腹な声が後ろから返ってくる。
「おまえ…老けたな」
「なっ・・・・」
いままでの雰囲気はどこへやら、辺りは騒々しい
雰囲気に包まれた。
「人がどんだけ心配してんだか分かってねぇだろ!」
「…痛ったたた、ごめんってば!」
気がつけば香山ん家の前まで来ていた。
「さらば、猫仲間!!」
餡を桜から貰い受けると、一同に手を振りながら別れた。
香山と別れてからしばらくすると、ふと桜は足を止めた
「あの、言いにくいことなんですけど」
俯いて何が言いにくいんだろう。
「靴、間違ってません?」
言われてみると、完全に間違っていた。
今まで何で誰も突っ込んでくれなかったのだろうか。
しばらくして香山からメールが来た。
「何だろ、さっき別れたばっかなのに」
『桜さんといい雰囲気で帰れよな
PS:靴間違ってんぞ』
「…PSの方がオレにとっては重要だよ」
登校の時点で気づいてただろ。なぜ頑無視だったんだ。
すると心配した桜が気遣ってくれた。
「大丈夫ですよ、次間違わなければいいんですから」
(全然フォローになってねぇ)
さらに落ち込むオレに、
ためらいがちに桜は口を開いた。
「あの、手をつないでもよろしいですか?」
「いや、かまわねぇけど」
少し後ろに右手を差し出すと、
不器用に桜は自分の手を重ねた。
それが何だか新鮮で、少し照れくさくなった。
・・・もしかして、これは傍目から見ると・・・。
「何だか、恋人みたいですね」
気がつくと、少しはにかみながらこちらを見ていた。
「人になったら、やってみたかったんです」
・・・ん?
「ちょっと待って『人になったら』て、
人じゃなかったってこと?」
思わず聞き返すと、桜は不思議そうに
聞き返した。
「はい、私はもともと桜の木でしたけど。
…本当に覚えていませんか?」
そういわれても木に感謝されるようなこと
した覚えもない。
少し残念そうな顔をした桜だったが、
何かを思い出したように
手を合わせると目を輝かせて言った。
「明日、何処かへ連れて行ってくれませんか?」
そういう彼女は、今までの中で一番年相応に
見える輝いた笑顔だった。
いざ当日を迎えると思い切りがついたが
前日はまともに寝れなかった。
結局桜の事はバレて、少しは嘘をついた事実を話すと
母さんは納得してくれた。
うちは家も狭い事もあり、桜が母さんと一緒に
寝たことがせめてもの救いだった。
最初は、そこまで意識していなかったように思う。
身元の知れない美少女という認識だ。
だが、困ったことに別の感情が生まれつつある。
一人思い悩んでいると、母さんたちが部屋から出てきた。
姉貴が家を出てから『潤いが無くなった』が
母さんの口癖だった。
母さんの少女趣味の服がたくさん眠っていたが
姉貴はさっぱりした服が好きだと突っぱねてきた事もあって
着てくれる女の子ができたことが嬉しいのだろう。
母さんは上機嫌で言った。
「桜ちゃんが来てくれて嬉しいわ~。
このままうちの子にしちゃいたい」
「私も香苗さんみたいなお母様がいいです」
桜が恥ずかしそうに頬を染めて言うと
「もう、本当に可愛いんだからぁ」
すぐ母さんが抱きしめる。
昨日から幾度となくみる光景だ。
視線を感じて顔を上げると、桜と目が合う。
どうしたものかと目線を泳がせると、
会ったときと変わらず、優しく微笑んでくれた。
「じゃ、行こっか」
ぎこちなく桜の手を握り、精一杯のエスコートをした。
不安に思い顔を窺うと、桜は頷き微笑み返してくれる。
遊園地に着くなり、桜は全部行くという宣言をした。
『有限実行』な性格のようで
すでに半分はクリアしている。
さすがに疲れてベンチに座り込むと
桜は心配そうに飲み物を差し出してきた。
「大丈夫ですか?振り回しすぎちゃいましたよね」
「いや、オレのほうこそ年寄りでごめん」
はは、と疲れたあまり乾いた笑いになってしまった。
ふと手元に視線を戻し、優は口を開いた。
「昨日さ、懐かしい夢を見たんだ」
話の意図がつかめず桜は言いあぐねた。
「オレがよくダチと遊んでる公園があって
確か、木にぶら下がって遊んでた。
でも、枝が細くて…折っちまったけど」
優の言葉を引き継ぐように桜が口を開いた。
「・・・・はい。そのとき私はまだか弱く
子供に容易く折られるような木だったのです」
「でも、感謝されるようなことは」
胸の前で手を振り否定を示した。
「いいえ、私は嬉しかったんです。あのあと優さんは
私の元へ来て優しく声をかけてくださいました。」
同級生が木にぶら下がって枝が折れたとき
誰のせいかと口論になった。
ーお前が折ったんだー
ーお前が押したからだろー
小さい子供にはよくあることで
罪の擦り付け合いになった。
「私はしょうがなく思いながらも悲しかった。
でも優さんは」
ーお前ら他人のせいにすんじゃねぇ!それでも男かっー
「なんて男らしいと思いました。
しかもそのあと傷口を優しく撫でてくださって」
先ほどまでの儚げな少女は消え去り、
顔を紅潮させて桜は力説した。
「もう素敵すぎる。大好き!!
もっと近づきたいと思いました」
呆然と桜を見つめると、はたと気づいたように
あわてふためいた。
「あ、あの、これは、ですね…///」
いきなり豹変した桜には正直驚いた。
でも、そんな表情を見せてくれたことが
何より嬉しかった。
「ありがとう」
出来るだけ優しく桜の頭を撫でながら言った。
「あの、私」
「うん。ありがとう」
優しく微笑みながら
何度も何度も桜の頭を撫でた。
しばらくされるがままに撫でられていた桜が
ふと瞳を翳らせた。
不審に思い優が尋ねると
桜は恐る恐る口を開いた。
「私、もうすぐお別れしなくてはなりません」
「…いつ?」
「明日の朝。……嫌です」
初めて見る桜のわがままだった。
優はため息をつくと
桜の頭を自分の胸にあてた。
「桜がここにいれるのは約束があったからだろ?」
「はい」
涙声で小さく頷く。
「じゃあ、守らなきゃな。
時間が来るまでそばにいてやるから」
「……はい」
今日一日の疲れもあって、そのまま眠りについた。
しょうがなくおぶって帰る道すがら優は考えていた。
(明日か、・・・早いな)
桜の前ではああ言ったが、
優も正直手放したくなかった。
その夜二人は優の部屋にいた。
最初に出会った場所だ。
いざ別れを目の前にすると
話す言葉が見つからなかった。
どちらも口を閉ざしたまま
時間だけが過ぎていく。
たった二日間の出来事が
二人の頭には走馬灯のように現れる。
気がつけば日付が変わろうとしていた。
「一回休みましょう?私が起こしますから」
先に口を開いたのは桜だった。
だが目が冴えてとても寝る気にはならなかった。
「オレはいいよ。桜は休んで、肩貸すから」
もしこのまま寝たら
目が覚めたときに桜がいないかもしれない。
それが怖くて、先に寝ることは出来なかった。
頭を優の肩に預けたまま、桜は口を開いた。
「・・・学校に行って、香山さんと話したのも楽しかったな。
帰りは三人で帰って。・・・優さんと手をつないで。遊園地も楽しかった」
桜がそう話している間にも、別れは刻一刻と近づいている。
「優さんと話せたことも楽しかった。
前は、一方通行だったから」
「俺も、話せてよかった。・・・桜?」
「・・・」
気がつけば桜は、横ですやすやと寝息を立てていた。
しばらく桜の寝顔を眺めていると、優も睡魔に襲われた。
起きた時にはもうすでに、一通の手紙が残されていただけだった。
―――大好きでした。ありがとう―――
そんな短い文章にも彼女らしさを見つけてしまい、目の前がかすんだ。
優はこぼれ落ちる涙も拭わず、手紙を握り締めた。
ふと鼻孔をくすぐる甘い香りに振り向くと
さっきまで脳裏にいた人物がそこに立っていた。
彼女は変わらず優しく微笑んでいる。
「大好きです、優さん」