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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第六話 会敵

 そう決心したは良いものの、同僚が一番の気がかりである。

 祖国のあの惨劇を目の当たりにしてから、ずっと魂が抜けたようになっている。

 

 両肩をつかんで思い切り揺さぶった。


 相変わらず目の焦点が合わない。

 おい、と声をかけながら一層強く揺すってみる。

 


 しかし身体に力が入らずくたりとしたままで、本当に生きているのかどうか疑わしくなってきた。

 鼻の下に指をあてて呼吸していることを確認する。ため息をついて、見下ろした。




 彼とは子どもの頃から仲が良く、人生の様々な思い出に彼がいた。

 遊ぶときは常に隣にいたし、ずっと同じ学校で苦楽を共にしてきた仲でもある。


 そんな訳で彼の性格や気質についてはある程度知っているのだが、ここまで弱い男ではなかったように思う。

 


 乾いて(ひび)割れ、血がにじんだ半開きの唇に虚ろな目をした同僚の姿はもはや生きることを拒んでいるようにも見えた。



 仮にそうだとしても、こんな荒野のど真ん中に放り出して行くほど自分も冷血漢ではない。


 苦労して同僚を背中に背負いあげ、歩き始めた。





 太陽が先ほどよりも少し西に傾いて、何もない大地に男の影を伸ばしていく。

 湿っぽい空気が熱気をはらんで身体にまとわり付き、汗をどっと吹き出させた。


 人を一人背負った分、歩みは遅くなるし体力の消費も比べ物にならない。

 


 これから自分はどこまで行けるのか、何を見て、聞いて、知ることが出来るのか、わからない。

 何かを得られる保証もなければ生きていられる保証もない。

 



 額から吹き出した汗が目に入る。

 顎から垂れた汗がぼたりと地面に落ちて一瞬で蒸発した。

 


 それでも。


 それでも自分は進み続ける。



 それが人間の、人類の役目なのだから。



 どんな困難があろうとも。生きている限り、進むことが出来る限り。

 

 その、最後の瞬間まで。





 

 人工の建造物が見えたのは、太陽が地平線の彼方に沈んでから三時間ほど後のことだった。

 

 背中の同僚はうんともすんとも言わないし、自分もろくに水も飲まず食事も摂らないで何時間も歩きどおしだった。


 足はとうの昔に感覚をなくしており、もはや棒のようになってしまった唯一の移動手段を機械的に前後へと動かしながらも、壮大な決意をしたその日の内に死ぬんじゃないかと危ぶんでいた。



 辺りに電灯の類が一切なく視界が利かなかったこともあって、ビル群がぼんやりと見えたときもいよいよ幻覚かと、誰に向けるともしれない怒りを原動力にして進んだほどである。

 生きて荒野を抜けることが出来たのが信じられないくらいだった。




 入り込んだ街には、およそ人の気配というものがなかった。

 祖国には高い建物があまりなく、平屋がほとんどだったがこの国は真逆と言ってよかった。

 

 天を衝くほどのビル群が所狭しと並び、広大な夜空を小さく区切っている。

 地上に近い一階や二階の窓ガラスはほとんどが割れて飛び散ったために空洞と化しており、稀に割られた残りが鋭利な先端をきらめかせていた。

 

 いつから手入れがされていないのか、街路樹の枝は伸び放題で通りを縦横無尽に遮っており、近くの建物に絡まりついているものもあった。

 街灯も灯っているものは一つもなく、ほとんどが割られているか根元から折られていた。


 街の端は(ほこり)っぽく、かなり荒廃が進んでいる。



 良い言い方をすれば、自然に(かえ)りつつあった。

 この場所の住人はもう何年も、いや何十年も前にここを去ったらしい。

 


 水か食料があっても口に入れられるかどうか疑わしいな、と思いつつ近くの建物に入った。


 5メ―トル四方の空間にソファが等間隔で並べられており、その奥の廊下の脇に引き戸式の扉が付いていた。

 中には壁に据え付けられた机と蛍光灯付きのディスプレイ、もう一方の壁には簡単なベッドのようなものがあった。

 


 奥に進むと、鉄製のカ―トに包帯・ガ―ゼ・ピンセットやらに加えて遮光瓶に入れられた得体の知れない液体がいくつか収められている。


 触って確かめようとは思えなかったが、先ほどから息を吸うたびに鼻を抜けるツンとした独特な香り。

 


 察するに、ここは何かの診療所だったのだろう。

 入ってすぐにあったソファが並ぶ空間が待合室で、ここが診察室だったに違いない。

 



 もう何でもよかったが、とりあえず同僚を診察台の上に寝かせた。

 久々に身軽になり、しばらく肩を揉んだり首や腕をぐるぐる回したりしていたが、自分もその脇で休むことにした。


 一瞬待合室のソファで寝ようかな、とも思ったが、突然同僚が正気に戻ったときには隣にいなければならないだろうし、何よりもう一歩も動きたくはなかった。

 


 倒れこむようにして横になると、冷えた床が火照った身体を心地よく冷やし、あっという間に深い眠りへと落ちていった。




 

 翌朝、目が覚めたときほど自分が軍人で良かったと思ったことはない。

 

 養成所から士官学校まで兵士としての規律と規範を叩き込まれ、それは司令官となっても自身の生活基準の中心であり続けた。


 平時に守るべき規律と所作、そして緊急時の対応法。


 司令官は何時如何なる時も、敵との会敵情報やそれに準じる情報がもたらされれば行動しなければならない。

 軍隊では一分一秒に重きが置かれたから、たとえ眠っていたとしても迅速に行動に移すことが求められた。

 


 コツコツと意識をノックするような、ごく小さな音が鼓膜を刺激する。


 寄せては引いていく細波(さざなみ)のようだったそれはだんだんと確かな輪郭を形作り、鼓膜に響き始める。



 そしてそれが、ここで聞くと非常に厄介な、もしかすると生死に関わるものであると認識したとき、音も立てずに跳ね起きた。



 人の声。

 


 その音の低さからして男だと思われた。

 今のところ二人の声しか聞こえないが、待合室で何かを物色しているようである。

 

 診療所なのだから傷を手当する道具などかなり豊富に揃っているだろう。


 そして、もし本当に治療用の道具を探しに来たのなら、それらがあるのは待合室よりもむしろ――。

 



 飛びつくようにして隣の同僚の肩を掴み、背中に手を入れて上半身を起こした。


 寝たのか寝ていないのか目は空いたままだったが、身体に力を入れようという気はやはりないらしく、一つの行動をさせるのに酷くこちらの時間と体力を要する。


 彼の右手を掴んで首に回し、そのまま左脇の下に手を入れて持ち上げようとするが、やはり自分の力を使って歩く気は無いようだった。

 


 何としてでも歩かせようと息を荒くしながら奮闘していたとき、耳元で(ささや)くような声がした。

 


 え、と目を向けると、同僚がこちらを見ていた。


 目は相変わらず虚ろで、茫洋(ぼうよう)としている。 



 戸惑っている間に、また呼びかけられた。

 知らない名前で。

 


 決して短くはない付き合いなのだから、自分の名前を呼び間違えるはずはない。

 なんなんだ、と困惑してもう一度同僚を見て、気付いた。

 


 自分ではない。



 その目は自分を通り越して、他の誰かを、ここにはいない記憶の中の誰かを見て、呼んでいた。

 きっとそれは、ここにいてほしい誰か、なのだろう。



 待合室の方から、「無いな」という声が聞こえる。次いで、「向こうじゃないか?」と返す声も。


 時間がない。

 同僚の肩に腕を回して立たせようとするが、歩き方を忘れたかのようにその場で(くずお)れた。


 ――何か非常時があった際、軍人は自分の命を第一に優先するよう教育される。



 この時も間に合わないと即座に判断、小さく舌打ちをして自分だけでも隠れられる場所はないかと周りを見渡し、診察室の奥にある掃除用具入れらしきロッカ―が目に付く。


 もともと扉が半開きだったことと、中にほとんど何も入っていなかった(箒が一本)ことが幸いした。

 更に長く使われていたものなのか、ゆるゆるとした建付けのおかげで戸を閉める時もほぼ音は立たなかった。


 扉の正面に空いた細い三本の通気口から、(わず)かながら外の様子を伺う。



 息つく暇もなく、がしゃがしゃとした騒々しい物音とともに勢いよく引き戸が開かれ、いかにも屈強そうな男が二人、姿を現す。


 それぞれ手にライフルを携行しており、迷彩柄のズボンに黒いTシャツと防弾チョッキ、底の厚い軍靴を履いている。

 


 そんな出で立ちならちょっとくらい怪我しても平気だろ、と心の内で毒づいたが、男たちはもちろんそんなことを知る由もなくすぐに目線を下へとやった。

 

 鼓動が早くなる。



 だって、床にはさっき放り出したばかりの同僚が、まだ。

 


 息が浅いのは、もはや気配を消すために意識的にやっているものなのか、緊張による生理的なものなのかはわからない。

 狭いロッカ―の中に自らの心臓の音がどくどくと響いているような錯覚に陥る。

 


 男たちも最初は驚いた素振りを見せた。

 戸口で一瞬硬直したが、すぐに二人ともがライフルを構えて銃口を床の同僚に向ける。

 

 おい、と呼び掛けたり、膝立ちになれ、と命令を飛ばしたりしたが、当然のごとく反応はなかった。

 ライフルを構えたまま、床に崩れた男の周りを取り囲む。


 片方が、銃口を定めたまま屈んで同僚の鼻の下に手をやり、生きているようだ、と少々警戒を強めてライフルを構え直した。


 どうする? ともう片方が問う。

 聞こえているなら膝立ちになって両手を頭の後ろにやれ、と屈んだ男が要求したが、髪の毛一本も動かなかった。

 

 その後、二人の間で簡潔なやり取りがなされた。

 


 生きているのに動かない、気味が悪い。

 ただのおかしい奴かもしれない、放っておくか?

 いや、罠かもしれない。

 確かに、この後襲われる危険性を考えるとやむを得ないだろう。


 あまりにも短くて、あまりにも無慈悲な会話の内容が、聞こえてしまう。




 そして。




 連射。




 屈んでいた男が立ち上がったのと、引き金を引いたのはほぼ同時で、それは流れるような作業だった。



 半ば自然に帰りつつある廃墟に、場違いな暴音が響き渡った。



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