第十四話 試練
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傍にあったちょうど椅子ほどの高さの鉄柱に腰掛けながら、ゆっくりと当時を思い出すかのように語ったラノは、重たい空気を振り払うかのように、目を地面に向けたまま取り立てて明るい声を出した。
「だからさ、副所長に〈やっぱり庇って良かった〉って思ってもらえるように、早く成果出さなきゃって焦ってて。初日は、隊長なのに全然隊員のこと考えずに突っ走っちゃったし」
ごめんね、と言って微笑んだその顔は、必死に押し隠そうとして、それでも滲み出てしまった痛みのせいで、少し強張っていた。
当たり前だろうな、と思う。
俄かには信じられない話だった。
2年前の粉砕骨折事件、と言えばマクロプロスの人々なら誰でも知っている。
そしてほぼ間違いなく、歴史に大きく刻まれることになるその出来事を引き起こした張本人が、昨日から行動を共にしている明るい隊長だなんて、普通に生きていれば考えもしない。
内容が内容だけに、緘口令が敷かれたその事件の、一つの事実について、ラノは誰にも相談することが出来なかったのだろう。
一研究員が頻繁に副所長に会えるわけでもない。
そのようなことをすれば、怪しまれるか贔屓をされていると疎まれるだろうし、うっかり会話を聞かれる危険性もあった。
また、対銀科は班分けがされているが、属して間もない若手の所員は班を越えた研修が行われる。
そのため、当時あの場にいた他の研究員と、その後研究所内で顔を合わせることはそれほど多くないのではないか。
仮に会うことがあったとしても、緘口令が敷かれている中で、口に出して軽々しく相談することなど出来ようはずがない。
己の代わりに他者が誹りを、罰を受けるのをひたすら耳にし、目にしながら声を上げることを許されなかった。
そんな状況下で、ラノはたった一人で己の罪を背負い、身を喰い破るような激しい後悔の念に苛まれながらも、早く成果を上げなければと己に重圧を掛け続けた。
――どれほど苦しかっただろうか。
もし自分がラノの立場だったら、どうなるのか。
研究所に行けなくなるかもしれない。
自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまった場所に、あの場で起こった一つの事実を見た同僚たちに、圧迫感に近い気まずさを覚え、彼らの目に恐怖を感じるかもしれないから。
人に会うことを恐れるようになるかもしれない。
街行く人々が全て自分を庇った彼を攻撃していると思うかもしれないし、いつか全てが明るみになって、その攻撃の矛先が自分に向くと思うから。
家から出られなくなるかもしれない。
外に出れば、人がいる。
本当は自分がした出来事について、話している。
情報局の記事を、人々が読んでいる。
本当は、何もしていない人を、何も悪くない人を、人々は怖い顔で、睨みつけている。
だから、自分の部屋に籠る。
罪を、後悔を、やり遂げなければならないと己に科した責務を、少しでも忘れるために。
そうした重圧に満ち溢れ、己を押し潰そうと待ち構える世界と自分を、遮断するために。
そして、そんな自分のことになど気付かずに、与えられた人生を謳歌する眩い誰かを、目にしないために。
自分なら、そうなる。
一人じゃ抱えきれない。
ちらり、と目を向けると、彼は相変わらず強張った微笑を浮かべていた。
グレイヴに向かう道中、暗闇は色々忘れられるから好きだ、と言っていたのは彼が抱えているものの重さを表していたのだろう。
暗闇でしか、一人でいる時でしか、彼は安らげなかった。
人前で、苦しみや心の内に抱える葛藤を、さらけ出すことをしなかった。
同じマクロプロスの者がたった2人しかいない、母星から遠く離れた異星の夕暮れで弱さを見せたのは、それでも呼吸一回分のことだった。
――だから。
「君は、とても強いと思う」
率直に本心を述べると、驚きと、何かを堪えるような表情を混ぜた顔をされた。
それは、もう二度と会えないと思っていた誰かが目の前に現れたときのような、そんな顔だった。
「俺がラノの立場だったら、副所長の言葉とか無視して研究員辞めてたと思う。もちろん、身を挺してまで庇ってくれた副所長の厚意を無下にすることになるけどさ。
なんつーか、その……。背負うべき試練が俺の身の丈に合ってないんだよな」
言っていて恥ずかしくなるが、自分にこの試練は重すぎると思う。
ラノも最初の方はパニクッていたようだが、自分はそれが今も続いているかもしれない。
まだ、この試練に立ち向かえるほどの人に成れていない。
「でもさ、ラノは過去に押し潰されたり、逆になかったことにもしてない。一人で自分の罪に向き合って、それでも一歩ずつ前に進もうとしてる」
俺には到底できないよ、と少しはにかんだら、横から相変わらず感情のこもっていない声で、「身の丈に合ってない試練?」とナハトに突っ込まれた。
「逆に身の丈に合ってる試練ってなに。それは最早試練とは呼べないのでは?」
ただの“めんどくさい出来事”だよ、と言われ、何も言い返せなくなる。
己のかっこ悪さにハイ、ソウデスネ、と撃沈していると、「隊長が凄いってのには同意するけどね」と付け加えられた。
「そもそも己の身の丈に合ってない“めんどくさい出来事”を試練って言うと定義する。だから今試練に立ち向かってる、或いは試練を乗り越えた人ってのは相当な気力と体力を要したと考えられる。だけどそれは簡単なことじゃない。
なぜって試練って名のでっかい壁が目の前に塞がってたら、それしか見えなくなるからね。自分の世界が負で埋まる」
それは、先ほど自分が考えていた状況だった。
己がしでかしたことで頭が一杯になって、自分を否定して、他者を否定して、世界を否定して……。
この世の中は、自分が今直面している問題だけで埋まっている。そのように錯覚してしまう。
「そうやって狭まった視野は、簡単には広がらないだろうね。人の思考って割と単純にできてるから、一つの考えに囚われると中々抜け出せなくなる。そういう時には、何かきっかけが必要。出来事とか人とか」
隊長の場合は人っぽいが、と言って目線がラノに向く。
そこには、先ほどの表情から驚きだけを抜いた顔があった。
「大抵の場合、自分の利益のために人は行動するんだろうけど、別に自分だけを理由にしなくてもいい。
顔を知ってる誰かでも、名前も知らない誰かでもいい。人じゃなくてもいい。形のない何かでもいい。何でもいい。
自分を動かしてくれる何かに出会えるか。見つけることが出来るか。或いは、気付くことが出来るか」
出会えても、自分が拒絶したら意味は無い。
見つけても、自分が無視したら意味は無い。
気付いても、自分が否定したら意味はない。
ラノが副所長に助けられたのも、一種の運だと言える。
副所長ではなく所長だったら、どうなっていたか。
しかし、副所長に“出会え”ても、そこで腐ったら終わりだった。
自分が先ほどまでしていた想像のように。
だが、ラノは絶望の中から、自分を庇ってくれた副所長その人に認められたい、という気持ちを生み出した。
そして、認められるために、新しい世界を見せるために、好奇心を持ち続けた。
己の強みを、絶望の深淵に捨て去ることをしなかった。
ある意味、副所長はラノを二度救ったといえるのだろう。
一度目は、社会から。
そして二度目は、絶望から。




