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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第四十三話 楽園

 

 ()って外に出ると、風がぶわりと全身を吹き抜ける。






 その強風に背後でバタンと扉が閉まる音を聞きながら、しばし目を閉じて、風が凪ぐのを待つ。






 人を押しのけるように吹いていた風が徐々に柔らかくなり、緑の香りをとじこめた薫風として髪の先を揺らすころ、ようやく目を開く。









 


 そして、息をのんだ。














 ――やぁ、久しぶり。





 もう、二度と聞くことが出来ないと思っていた、彼の声。










 そして。







 ――遅かったなぁ。ずっと待ってたんだぜ?




 もう二度と見ることの無いと思っていた彼の姿が、そこにあった。











 淡い燐光(りんこう)に包まれた彼が、長く合わなかった友に久々に会ったときのような気恥ずかしさを含んだ笑顔を浮かべている。














 驚きのあまり声が出ない。




 それに苦笑を浮かべて、彼が歩み寄って来る。







 辛うじて、「なんで」と声を絞り出した。











 しかしそれが聞こえているのかいないのか、膝を突いて肩に腕を回される。







 ――もうボロボロじゃないか。








 ふふふ、と含むように笑ったあと、優しい微笑を浮かべて、言った。











 ――君は、頑張った。












 それを聞いた瞬間、顔がくしゃりと歪んだ。






 涙が、誰にも打ち明けることが出来ず、ずっとずっと心の奥底に抱え込んでいた想いと共に(せき)を切って溢れ出した。












「本当は、ずっと、寂しかったんだ」



 ――うん。








「周りに僕のことを知っている人がいない。仲間がいない。友達がいない。


 心から僕のことを仲間だと思って、友達だと思って話し掛けたり、守ってくれる人がいなかった。そして、世界に害意が満ち溢れてた」







 ――そうだな。




「怖くて、不安で、そんな時も、僕の周りには誰もいなかった」




 ――ほんとに、よく耐えた。












「僕は、ずっと、ずっと、一人だったんだ」












 その後は、声にならなかった。













 突っ伏して泣きじゃくっていると、彼の優しい声が耳に響く。











 ――それでも君は、ここまで帰って来た。立派だよ。











 そして、ふわりと微笑む気配がした。














 ――君は、俺の誇りだ。














 その一言で、己の全てが報われた気がした。











 懐かしい友に見守られながら、まるで子どもの頃に還ったように、大声で泣き続けた。



















 同僚の身体は、骨になっていた。




 燐光を(まと)った彼が、その上に座り込む。









 ――レントゲンみたいで面白いだろ? あとさ、軍靴(ぐんか)って意外に丈夫だよな。まだピンピンしてる。









 そう言って冗談めかして笑うのに釣られて、笑い声が口から零れる。



 それだけで心が温かくなり、また涙が流れそうになる。










 こんな日常が、自分にとっては途轍(とてつ)もなく得難いものだった。











 そして、一応聞いておこうと思って、口にする。









「君はさ、今本当にここにいるのか?」



 ――お前に俺が見えていて、ここに俺がいるってお前が信じるなら、いるんじゃないか?








 気負った風もなくあっけらかんとそう言われたのに妙に納得して、「確かに」と返した。








 



 それに得意気な顔をした彼が、ふと背負っていた鞄に目を留めた。




 ――ずいぶん大きいな。まぁ旅してたんだから当たり前か。何が入ってるんだ?







 そう問われて、あの箱を真っ先に取り出した。







 友に、自分の帰りを待っていてくれた人に、その話をしたかった。













 訪れた場所で出会った人々のこと、そこで学んだこと、メルダーの男の話に自分を救ってくれた人たちの話。







 その写真や手紙を見せて、時間を忘れたように語った。













 彼は、心から自分の話に興味を持って聞いてくれて、話の節々で自分が危険な目に遭いかけると、眉を下げて(半ば怒りながら)、そんな危ないことしたらダメだろう、と心配してくれた。















 そして雛罌粟(ひなげし)の押し花と薬の小瓶も取り出して、あの村にいた男のことを語った。













 この話をした時に友の機嫌が一番悪くなったが(そんな長話してないでさっさと逃げろ、と(わめ)いていた)、僕は人を救うことが出来たんだよ、と誇らしげに言ったら、困った顔で微笑みながらも、凄いじゃないか、と褒めてくれた。
















 それらをまた箱に戻して鞄に仕舞い、膝の上に抱える。






「でも、僕は少し悔しい」



 ――何が?









 そう首を傾げる友に、「だって」と続ける。















「もし、だ。 もし、この星にやって来た誰かがいたら、人間って恐ろしく馬鹿で、とんでもなく野蛮な生き物だったって思われるかもしれない。


 誰かのことを尊重して、心の底から大切にして、守りたいって思ってた人たちもいたのに」















 そう肩を落とすと、彼があの得意気な笑顔を浮かべた。






 ――大丈夫だ。



「何で」








 不審も(あら)わにそう問うと、彼は黙って天を指差した。



 それに導かれるように夜空を振り仰ぐ。














 そこは、満天の星空だった。








 シャラシャラと音が鳴らないのが不思議なほどの玲瓏(れいろう)(きら)めきを持つ星々が、人工の光が絶えた大いなる闇の中で、(うる)むように燦然と輝いている。







 その中央を、視界の上から下に流れるように、あまりにも荘厳な天の川が横たわっていた。












 それは、旅を始めてから知った自然の美しさの一つで、今、初めて友と肩を並べて眺めるその星々は、孤独に耐えながら夜空を眺めた時より何倍も美しく感じた。
















 (しばら)くその(きら)めきを眺めてから、星空に目を向けたまま、友が言った。











 ――綺麗だよな。俺たちが想像することも出来ない長い長い時間を、星は生きてる。


   地球が出来て、色んな生き物が生まれて、そして人類が生まれて、それがどのように成長していったのか、どのように滅びていくのか、全部、見てたんだ。













 その微笑みが、こちらを向く。










 ――星が、見てる。だから、大丈夫だ。











 友に、何でも知っていた頼れる親友にそう言われると、そんな気がしてくる。





 それが、嬉しくて。





 勇気をもらえて。










 心からの内から(あふ)れる喜びを乗せて、「そうだな」と微笑み返した。

















 それと同時に、徐々に前方の空の闇が薄まっていくのに気付く。




 友もそれに気付いたようで、前を見ながら、そろそろだな、と呟いた。










 ――最後に、贈り物をやろう。










 そう言って、虚空で指先を回すようにした。









 すると、どこからともなく飛んできた何かが、自分の周囲にバラバラと落ちる音が聞こえる。













「え、何だこれ?」



 ――花の種。



「何の?」



 ――それは、咲いてからのお楽しみ。



「いや、大分時間が掛かるじゃないか」








 そう笑いながら文句を言うと、カラカラと彼が笑った。




 ――いつか、教えてやるよ。










 そう言う友の姿が、徐々に薄れて行くのが分かった。






「もう会えないのか?」







 折角会えたと言うのに。









 胸に押し寄せる悲しみをそのまま言葉に乗せて伝えると、いいや、という少し真面目さを含んだ答えが返った。










 ――すぐにまた会えるだろうさ。









 そう言って薄紫の彼方を見つめる。












 そんな彼の肩に、腕を回した。







「そう言えば、さっき言ってなかったな」



 ――うん?







 それは、どうしてもどうしても、伝えたかった言葉。











「ただいま」











 それに、友がふわりと微笑む。









 ――ああ。おかえり。










 そして、空気の結び目が(ほど)けていくように、友の姿が薄闇の中に溶けて行った。



















 もうすぐ、夜が明ける。




 薄紫色の空が、地平線が近付くにつれて薄桃へとその色彩を変えていく。










 もうすぐこの星ともお別れだな、と思うと、最後に何か言いたくなる。













 美しい星に生まれて、様々な経験をした。








 この星は、僕のことをどう思っているだろうか。











 人類を、どう思っているのだろうか。














 地平線の彼方が白み始める。









 己の肌を(えぐ)り、自然を破壊した人間を、(ゆる)してくれるだろうか。





 自然を美しいと思う人間を、受け入れてくれるだろうか。













 そして、朝日が昇る。





 あまりにも眩しく、清らかで、暖かな光が、世界を、己を照らし出す。













 その光を見て悟った。










 そうだ。










 自分は、人間だから。










 感情があるから、この星を、この世界を美しいと思える。









 人間だから、色々なことを学び、経験することが出来た。















 だから、僕は――。

















「僕は、この星に、人間として生まれたことを、誇りに思う」
















 万感の想いを込めて、そう告げる。







 薄れゆく意識の中、隣にいる彼が、微笑んでくれた気がした。










                  ***










 かつて大都市と呼ばれ、高度な文明を咲き誇らせていた街は、煙るような桜色に包まれていた。





 春、地球上の生きとし生けるものがその生を味わい、謳歌する季節。

 




 金の陽光が地上の全てのものを柔らかく照らしだす。










 地上から天に向かって一斉に生え伸びた植物には、陽の光を掬い取り宝玉のような輝きを帯びた朝露が湛えられ、元はコンクリ―トによって舗装されていたのだということをまるっきり感じさせない。








 その両端にはコンクリ―トを持ち上げるようにして(たくま)しい巨木がいくつも根を張り、どこまでもしなやかに伸びた枝は淡い桜色の花を天蓋(てんがい)のごとく、空が隠れるほどに咲き誇らせている。












 その美しい木々を挟み込むようにして、遥か昔には文明の象徴であっただろう数々のビル群が、ひっそりと林立していた。








 もうかつてのような威容はのぞめず、半ばから上が失われているもの、表面を覆っていたのであろうガラス張りの外壁が全て割れて飛び散り、幾つもの暗い目を虚空に向けているかのような(たたず)まいである。












 それは、己を造る高度な文明と技術を持ち合わせながら自ら滅び去っていった者たちの有様を嘆き、呆れているかのようであった。










 それらの建造物は高いも低いも関係なく、緑の蔦が絡まり、あるいは木に取り込まれるようにして自然の一部へと帰ろうとしていた。











 まるで、生まれ出るべき物ではなかった物をもとある形に戻そうとするかのように。












 ――その存在そのものを、なかったことにしようとするかのように。
















 不意に、金管楽器の高音を吹き鳴らしたかのような音が春の香気を含んだ風に乗せられ、辺り一帯を包み込んだ。






 その音を生み出した主は、天を仰ぎ見るようにしていた頭をゆっくりと正面へ向けると、一歩一歩を踏みしめるような足取りで歩み始めた。








 四足歩行で、耳が大きく鼻が長い。



 その大きな灰色の生き物は群れを成して悠々と道(だったもの)を横断して歩き去っていく。







 それを合図にするかのように、様々な生き物が動きだした。








 網目模様の首が長い生き物が2、3頭連れ立って歩き、ガラスが()められていない窓枠から生え伸びた高木の草を食み始める。




 白と黒の縞模様が美しい生き物が薄桃色の花びらが散った草地で寝転び、角を立派に生やした生き物が、しなやかな身のこなしで獲物を探しながらあたりを歩き回り、軽々と崩れた橋を飛び越えた。




 その近くを耳の長い生き物がもふもふと跳ね回り、草が方々から生え、朽ちかけて穴だらけのベンチの上で毛玉のような生き物が丸くなって眠っていた。




 それらの上を、小鳥が春の到来を寿(ことほ)ぐように、鳴きながら飛んでいく。










 穏やかな、春の日である。




 時折生き物が鳴く声が遠くに聞こえ、草を踏み分ける音以外は、風が吹き渡っていくのみである。









 誰にも邪魔されることなく本能のままに生き、そして死んでいく。









 元は自然のものでありながら長らく踏み入ることが叶わなかった、果てしなく広大な場所が自然に帰りつつあり、動物たちにとってのオアシスとも言えるようになっている。











 ひどく静かで、そして寂寥(せきりょう)としていた。








              ***








 その街のとあるビルの屋上に、自然に還りつつある美しい街を見守っているかのような、2体の白骨があった。






 1体は軍靴を履いたもの。









 そしてもう1体は、片方の白骨の肩に腕を回している。















 その周りには、色とりどりのガザニア(勲章菊)の花が、咲き誇っていた。




ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

人生をかけて、この星の美しさと“人間”という生き物の本質に迫ろうとした彼の旅は、いかがだったでしょうか。


次回から新章に入ります。

今までは地球を内側から見た、地球に住む人間からの視点で世界を捉えていましたが、ここからは地球という星を始めて訪れた、異星に住む者たちの視点で物語が進んで行きます。


お楽しみいただけますと幸いです。

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