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楽園  作者: 雨宮寿霖
40/62

第四十話 他者と共に




「おい、どうした」




 突然泣き出した自分に驚いた男が、慌てたように背中を(さす)ってくる。







「……すみません、つい」



 そう言いながらも、嗚咽(おえつ)が漏れる。













 自分は、人に救われた。





 絶望を抱え、生きる気力を失った自分を、今も共にいる彼らに救われた。















 他者と共に生き、他者を想い、他者を守り、他者を信じた高潔な彼らのようになりたいと、自分も人を救えるような、彼らによくやったと言われるような、そんな生き方をしたいと思っていた。














 そして、彼に出会った。









 己の心を殺しながら生き、怨みと憎しみで世界を塗り潰しながら、目の前にいる他者をも殺そうとしていた彼。












 そんな彼に、己の人生をかけて挑んだ旅で学んだことを全て言葉にし、全身全霊をもってぶつけた。













 そして、それが届いた。










 自分のお陰で救われた、と言ってくれた。














 それは、あなたも高潔な人間の一員なのだと、その下劣さによって戦争を引き起こすような人間ではないと、そう言われたような気がして、言葉に出来ないほど、嬉しかった。


















 今度は自分が背中を(さす)られる側に回ったことを少し可笑しく思いながら、涙でぼやけた地上の赤が蒼く澄み渡る空に(にじ)む美しい対比を、ただひたすらに声を上げて泣きながら見つめ続けた。





















 (かばん)を漁り、塵紙(ちりがみ)を引っ張り出して鼻をかむ。






 背中を(さす)ってくれた男に礼を言ってごみを適当な小袋の中に仕舞おうとした時、今まで忘れていた胸の痛みが、まるで己を思い出せとでも言うかのように、ズキリと激しくその存在を主張し始めた。













 う、と胸を押さえて(うずくま)り、(うめ)き声に釣られるように、咳が立て続けに出る。









「おい、今度はどうした」









 こちらを覗き込みながらそう問い掛けて来る男に、「……大丈夫です。少し風邪を引いたみたいで」と何とか声を絞り出しながら苦笑を返す。










 それに返すことなく黙ってこちらを見ていた男が、「少し待ってろ」と言って歩いて行った。

















 (しばら)くするとその痛みは徐々に引いていったが、大きく動こうとすると、それを止めるかのように痛みがぶり返す。





 仕方がないので、ゆっくりとした動作で座り直しながら男を待っていると、すぐに彼が戻って来た。











「持って行け」











 そう言って差し出されたのは、透明な瓶だった。中



 には黒い小さな玉が詰まっている。










「胸の痛みや咳やらに効く薬だ。この村で昔から伝統的に作られてるもんだから多少効果はあるだろう」




 そう言って中から一つを取り出し、口に含んで飲み込んだ。









「ほら、毒じゃないから安心しろ」




 その悪戯(いたずら)っ子のような笑顔をまじまじと見返しながら、恐る恐る瓶を受け取る。












「……良いんですか。僕がもらってしまって」



「必要としてる奴が持ってた方が良いだろう。それに私は作り方を知っているしな。礼の代わりになるか分からんが、持ってけ」












 礼の代わりになるか分からん、なんて。












 その瓶を胸に抱き、首を振った。







「僕には、もったいないくらいです。本当に、本当にありがとう」















 そう述べて鞄に仕舞おうとしたとき、視界の隅で赤い色彩が踊った。










「そうだ、もしよろしければ、雛罌粟(ひなげし)の花を一本、僕に下さいませんか」




「雛罌粟? 何でだ?」











 目をぱちくりさせてそう問われ、「記念です」と答える。














「僕が、この美しい村と、あなたに会えた、記念」















 ゆっくりとそう告げると、彼が照れ臭そうに笑った。







「別に一本じゃなくてもいいぞ」



「いえ、そんなに何本も切ってしまうと雛罌粟が可哀想なので」










 それに、ふ、と微笑んだ彼が、「そうか」と頷いた。













 これが良いだろう、と言われたものを一つ切り取り、箱に仕舞う。







「それだとすぐに枯れると思うけどな」



「なるべく早く押し花にします」







 そうすれば、瑞々しさは失われるかもしれないが、その形はかなり後になっても残るだろう。




「あぁ、それは良い」、と穏やかな声が返った。




















 鞄を背負い、男と向かい合う。









「本当に、ありがとうございました。あなたとの出会いを、僕はこの先もずっと忘れません」




「礼を言うのはこっちだ。あんたは本当に、私を救ってくれた。村の皆にも、花を手向けてくれた。こんな人間、初めてだよ」















 男の視線に従って、そちらを向く。










 墓が50基。









 死してなお、村人たちは共に在るのだろう。












 そう思った時、再びあの感情が胸の中を渦巻き始めた。





 同僚のことを思い出すと必ず去来する、焦りのような、もどかしさのような何か。













「本当に皆さん、仲が良かったんですね」



「あぁ」





 懐かしそうに目を細めて、目の前の小径(こみち)を指差す。












「私が死ぬときは、家の中じゃなくてここで死にたい」





 そこは教会に続く、墓を丁度真ん中を通る(みち)だった。














「死ぬときくらい、いや、死んでからも、皆と一緒にいたいんだ」















 そうはにかみながら告げられた言葉を聞いたとき、押し寄せるその感情を、唐突に理解した。










 そうだ。











 自分は、誰かと共にいたいのだ。













 手紙をくれた、写真の中の彼らが羨ましかった。




 自分の存在がこの世からいなくなり、人々の記憶から消え去って完全なる“無”になっても、一人ではない。











 その想いは、旅をする内に薄まっていき、忘れかけていた。





 しかし自分に死が迫っていることに気付いたとき、辛うじてその想いの欠片(かけら)を思い出していたのだ。









 そしてこの村の墓を目にし、人がまだいるかもしれない、という可能性に接したときにそれは増々膨らんだが、中々その想いそのものを思い出すことが出来なかった。














 きっと自分は、自然の中で死にたい、という想いしか持っていない、と自分自身で勘違いしていたのだろう。













 確かに、自然の中で死にたい。




 崩れかけた建物の中で死んで、その建物が崩壊すると共に自分の身体も粉々になる、なんて言うのはごめんだった。












 あまりにも美しく、それでいて決して同じものになることは出来なかった自然に、やっと受け入れられる。






 それを、喜ばしいと思っていた。
















 だけど、やっぱり、自分は人間なのだ。









 死してからも、誰かと共にいたい。




 誰かと共に、緑と青に(あふ)れるこの美しい星を、見守っていたかった。













 欲張りなのかもしれない。









 それでも最後くらい、自分の我儘(わがまま)を叶えても、良いのではないか。




















「ありがとう。あなたのお陰で、気付くことが出来た」




 こちらを振り向いた男に向けて、微笑みながら真っ直ぐに伝える。














「僕も人間で、僕も、誰かと共に、いたいんです」














 そう言うと、彼の顔にも柔らかな微笑が浮かんだ。








「誰か、待ってくれている人はいるのか」



「はい。……しかし、もう、時間がないかもしれません」










 少し肩を落として諦め混じりに笑うと、彼がそれを打ち消すような、にやりと笑みを見せた。










「時間は、ある。そう信じれば良いんだろう?」











 (しば)しぽかんとしてからそれに気付き、「はい!」と笑顔で応えた。



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