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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第四話 荒野

 地上の惨状とは対照的に、太陽は天空の真ん中で燦々(さんさん)とその輝きを放っている。



 季節は初夏。


 もう「暖かい」と言うよりも「暑い」に近くなっている真昼の陽光を全身に浴びながら、生きているとは言え動かぬ人形のような状態の同僚を引きずるようにして目的もなく荒野を彷徨(さまよ)うのは、体力的にも精神的にも厳しいものがあった。




 それでも一時間程度歩き続け、腕と脚の力に限界を感じた頃に同僚を放り投げるようにして自分も倒れこんだ。

 

 全身が汗と泥にまみれ、同僚も長く引きずられていたために靴の(かかと)に土を大量にへばりつかせている。


 進んできた方を見やると、同僚の踵で地面が(えぐ)れたため、レ―ルのような二本の線が彼方まで続いていた。

 


 国を出るときに、せめて水と食料を漁って来れば良かったと今更ながらに思う。

 あの時は恐怖と動揺で逃走本能が先に勝ち、他の事に気を配るなど出来ない状態だった。



 吐いたままの口の中は酷く気持ちが悪い。

 先刻目にしてしまった血みどろの惨状と()えた臭いが未だに(くすぶ)っている心地がする。

 

 辺りには木どころか草一本生えていない。もともと無かったのか、それとも無くなってしまったのか、 判別することはできないが無いことには変わらない。




 木陰で休むことも出来ずにじりじりと同僚と二人、仰向けに寝転がって照り付ける太陽の光に焦がされていった。


 このままここで死ぬのだろうか。水もなく、食べ物もなく、行き倒れだろうか。

 


 隣をのぞき込むと、同僚は相変わらず薄気味悪い人形のような様相を呈していた。


 四肢をくたりと投げ出し、身体のどこにも力が入っていない。

 顔が血の気というものが一切感じられず、身体から血を抜いたんだと言われても納得出来る気がした。

 

 自分と同じ人間だったものが見るも無残な姿になって転がっているあの場所から未だに抜け出せていない。

 

 もちろん自分だって何も感じなかったわけではないし、仲間だと思われる人間の残骸がそこら中に転がっており、一歩間違えれば自分もその仲間に加わっていたことを考えれば、今でも恐怖で心臓の鼓動が異常に速くなるし、息を上手く吸えない。

 自分の周りの空気だけ薄くなったように感じる。

 


 それでも、その状況に打ちのめされて同じようにあの場に転がったままでは、今度こそ本当に自分たちも仲間入りしかねない。


 いつ敵勢力が返ってくるかわからないし、何よりもあの異常な光景をずっと目にし続けてはいけない。

 


 一国の軍としての体制は半ば崩壊してはいたが、それでも二人とも部下を持った司令官だった。


 自分たちが生き延びるために、勝ち残るために、周囲の状況判断とそれに合わせた即時の行動を行うことは叩き込まれているはずである。

 



 もうこれ以上成人した重たい男を引きずりたくないという思いと、養成学校から共に厳しい訓練を潜り抜けたのにも関わらず、軍人としてありえないほどの弱さを見せた同僚に対する怒りが心の底から恐ろしい勢いで湧き出てくる。

 

 再び彼を人形から人間に戻すべく怒鳴りつけようとして口を開いたその時、ふと彼の瞳が目に入った。


 雲一つない抜けるような青空をひたすらに映したその瞳は、相変わらず何の感情も窺えないし何を思っているのかすらもわからない。



 ただ、途方もなく美しかった。



 人が造り出したものが一切なく、どこまでも澄み切った淡い空色。

 それをカメラのレンズのように切り取った瞳に、きらきらとした日の光が照り映えている。

 


 それは、何もない荒涼とした大地の中に落とされた宝玉のようで、奇跡のように美しかった。

 


 心の内にわだかまっていた怒りが、霧が晴れるように引いていく。

 自分の瞳も、ひょっとしたら美しいものになるだろうかと思って、隣にごろりと横になる。

 


 自分の瞳を自分で観察することはできないけれど、それでも、何もない澄んだ空を無心になって見上げているうちに、ささくれ立って乾ききり、固くなってしまった心が徐々に本来のあるべきなめらかさと優しさを取り戻していくような気がした。



 そういえば、自分は一体いつからこのように何も考えずに空を眺めていないのだろう、と思う。



 物心ついたときからひたすら勉強し、子どもがやるような遊びというものをやった記憶がない。

 学校に入った後も常に良い成績を取るために誰かを敵視し、焦り、自分自身を追い詰めていた。




 自分が生まれたころにはとっくのとうに戦争など始まっていた。


 よって当時祖国に蔓延(はびこ)っていたエリ―トへの道というものは、義務教育を終えて兵士の養成所に入り、そこで優秀な成績を修めて士官学校への入学資格を得ることだった。


 さらに士官学校を上位の成績で卒業すると、実際に軍に配属されるときに尉官ではなく佐官から始められる。

 つまり軍の司令官になり、最終的には軍の幹部入りを果たすことが人生においての成功だと考えられていた。



 自分も隣の同僚も、そういう教育を受けて、このようにして養成所から今までずっと一緒に出世街道をひた走ってきた同期だったのだ。




 

 自分の半生を振り返ってみて、果たしてぼんやりと空を眺めたことなどないのではないか、と思う。



 そんな無意味な時間があれば勉強しなければならない。



 いつか士官学校に入って良い成績を修めて、軍では司令官として多くの兵士を指揮し、祖国を勝利に導かなければならない。

 

 幸いなことにそうした努力が実を結んで無事に少佐として軍に配属された後も、エリ―トと呼ばれる人生を歩んでいるという意識を持ちながら、軍服を着て肩で風を切って街を歩くときほど気分の良い時間はなかった。


 そして、いつかは将官も夢ではないかもしれないと、昇進のためにもっともっと軍功を挙げなければと、思っていたのだ。




 そこまで思いを巡らせて、気付く。

 空を眺めたことによってほぐされた心が、それに気付いて冷え冷えとした冷気を(まと)い始める。

 なまじ温かくなっていただけに、その冷気は痛いほど心を刺し、寒からしめた。

 


 ――人類がこの100年の間に失ってしまったものについて。

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