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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第三十八話 祈りの奔流


「じゃあ何だ。お前は敵国の人間をも好きになれと言うのか? 奴らはこっちを憎んでいるのに? そんなお人よしになれると思うか? え?」





 低く、地の底を這うような声で問われる。






 なるべく恐怖心が伝わらないように、腹部に力を込めて早くなりそうになる呼吸を整えながら、「いいえ」と返した。
















「A国人、B国人、というように、国という単位で人を認識しないで欲しいのです。


 “国”は、人にとって一つの呪縛です。その国に生まれたら、必然的にその国の人間として見做される。その国が何か国際的に間違ったことを行ったら、その人たちも罪人のような扱いをされる。


 国の過ちというものは、大抵がその国の中にいるごく一部の人たちによって引き起こされたものです。その一部の人たちの過ちが、国民全体に適用される。


 一人一人は、そのような行動をしたいとも、そう考えている訳でもないのに」

















 それは、とても悲しいことなのではないでしょうか、と問うた。




 それに「ふん」と軽くあしらったかのような返事をされる。















「だが、敵は敵だ。私たちの村を見てみろ。この村の全員が全員お前たちを憎み、神に背いて堕落した悪魔だと信じて疑っていなかった。


 それでも、お優しいお前は“国”や“村”のような括りを取っ払って人を見ることが出来るか?」















 襟首を掴む男の手が緩む気配はない。


 それを無理に振り(ほど)くような真似はせず、試すように(ただ)されたその問いに、想いの全てを乗せて答えた。













「出来ます。そういった共同体は、人に文化や文明をもたらすでしょう。そして人も、己が属するそうした文化や文明に誇りを持って生きても良いのだと思います」













 ただ、と間髪入れずに挟む。









「先ほども申し上げたように、国は一部の人たちによって大きく左右される。


 為政者によって国の性格など変化し続けるのです。この前まで同盟国だったのが、今や敵国になっている。そんなことは珍しくないでしょう」















 そこで軽く息を整えてから、慎重に言葉を発した。














「僕は、あなた方が国の犠牲者だと言いました。何故なら、あなた方は国によって様々な情報に触れることを許されず、閉ざされた世界で生きることを強制されたからです。


 そうした、所謂(いわゆる)独裁者や独裁政権によって国を誤った方向に導かれながら、享受し得るべき多様な価値観を持つ生活を享受できなかった人々を、僕は心から怨むことが出来ません」















 そして、ちらり、と男を見遣って、言った。








「むしろ、不憫だ」















 言い終わるや否や、身体が宙に浮き、次に瞬間には背中に強い衝撃が走っていた。






 襟首を掴まれたまま押し倒された鈍い痛みが、背骨を中心に背中全体に広がっていく。恐る恐る目を開けると、男の憤怒の表情がそこにあった。















「不憫? 不憫だと? それは可哀想だと言うことか?」














 鼻と鼻が触れ合うような近さで、「黙れ!!」と男が()えた。














「お前らに憐れまれる筋合いなどない!! ああそうだとも! 私たちは知るべき情報を知らされていなかった、外の世界に触れることがなかった」












 それでも!! と叫ぶその声には、痛みが混じっていた。















「それでも、私たちは幸せだった! 皆で過ごす毎日が何よりも楽しかった! 様々な情報に触れながら人を殺すことを正義としたお前らとは違う! 


 共に生きる者を慈しみ、実直に生きた我々の正しさを、お前が憐れむな!!」















 大きく見開いた目に、己が映っているのが見える。






 その目の中にいる自分に届けるように、叫び返した。


















「誰かを憎むのが正義ではない!! 戦争に正義なんてなんて無い!! あなた方の正義は、国によって復讐心を煽り立てるために作られたものだ!」
















 正しさなど一つではない! と声を張り上げたとき、旅を始めて最初に訪れた街のことが脳裏を(よぎ)った。







 獲物を奪おうとする2人組の男たちと、それを家族のために奪い返そうとする父親。




 大抵の人は、父親の方に正しさがあると考えるだろう。














 しかし、二人組の男たちにも、家族がいたら? 



 何日も食べていない子どもが、帰りを待っていたら? 










 明日をも知れぬ命の病人がいて、最後に肉が食べたいと、彼らに言っていたとしたら?
















 あの街で、自分は学んだのだ。














「この世界には、一人一人が抱える無数の正しさで溢れているんです! その正しさがぶつかり合って争いが起こる! 


 自分が抱える正しさを人に押し付けようとした人が、独裁者になって多くの人々を苦しめるんです!」
















 だから! と激しい奔流となった想いを、ひたすらに吐き出し続ける。

















「僕たちは、常に憶えていなきゃいけないんです! 


 自分は、誰かにとっての“わるもの”かもしれないと言うことを! 


 自分の正義が、正しさが、誰かを傷付けるかもしれないと言うことを! 


 この世には、唯一無二の正しさなんて無いんです!!」



















 男の顔は、もう全体が視界に収まるほどには離れている。




 しかしそこには、怒りや怨みではない、何とも頼りない迷子の子どものような表情が浮かんでいた。
















「そして僕がいた国は過ちを犯した。発達した技術を持ち、豊かな文化を築いていたのに、人々は過ちを犯したんです。


 進んだ文明を持つ人々の方が優れていると言われることがありますが、僕はそうは思いません」















 むしろそれは、今の地球の現状を見れば馬鹿げている考えだと分かるだろう。















「大切なのは、そこで暮らしている人々が何を考えているかなんです。 どんなに素晴らしい研究技術を持っていても、人間を大量に殺す兵器を生み出しているのでは意味がない」














 襟首を掴んでいた男の手が少しずつ緩まるのを感じながら、己の本心を吐露し続ける。










「それに僕の故国は、文化的に発展する代わりに失ったものもありました。それは、人と人との温かな繋がりです」















 そう言って、当時の生活を思い出すように目を細めた。








 あの頃は、皆他者の目を気にしていたように思う。




 自分がどのように美しく見えているか、どのように華やかな生活を送れているか、どのように理想的な経験が出来ているか。











 それを、如何(いか)に他者に知らしめることが出来るか。











 そうした他者からの羨望を求めるあまりに自己をこの上なく可愛がり、他者に不寛容になっていった。












 それは、人と人との関係が希薄な、冷たい社会だったのだろう。

















「確かに、あなた方の村には文明によってもたらされた発明品がなかったかもしれません。


 それでも、人と人の温かさに触れ、自然の中で成長出来ることは、欲が蔓延(はびこ)る社会で生きた自分からすれば、遥かに羨ましいことです」
















 そう言って微笑めば、男の口の端が微かに震えた。











「どちらが良いとか悪いとか、そういうことではないんです。お互いがお互いの生活を、文化を尊重し、良い部分を取り入れ、悪い部分を改善していく。それが、理想だったんです」












 そこで言葉を切り、男の目を真っ直ぐ見つめた。
















「でも、そうした国が、文化が、文明が、人を括り、人を傷付け、人に怨みをもたらすものなのだとしたら、そんなものこの世から無くなればいい!」


















 男は両腕をだらりと下げ、何かを堪えるような表情でこちらを見ている。





 その顔を。


 学び、想い、祈り、そうした旅の軌跡とも言える感情を全て心にのせて、過たずに見返す。
















「僕は、あなたの村を蹂躙した国の人間です。


 それでも、僕は悪魔ではありません。心からあなたの村を美しいと思い、心からここに眠る人々に花を手向けたかった、一介(いっかい)の旅人です」
















 どうか。




 どうか、僕を。













「どうか僕を、信じていただけませんか」












 そう優しく問い掛ける。
















 ふと、咲き乱れる赤い雛罌粟(ひなげし)の花が目に映った。






 さっきからずっとそこで咲いていたはずなのに。












 まるで自分たちが違う場所から帰って来たかのようだった。



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