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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第三十六話 悪魔



「今から20年くらい前だ。ある日突然、そいつらはやって来た。村を荒らし回り、何も悪いことをしていない村人たちを(さら)って行った」













 次第に呼吸が荒くなっていくのが分かる。





 周りの空気が一気に薄くなったようで、どんなに息を吸おうとしても肺にまで十分に酸素が届かない。
















「奴らは国境の草原まで皆を連れて行き、そして、殺した」















 目線を墓から外すことが出来ない。




 もう、男の顔を見ることが出来なかった。








 自分の呼吸音が、酷く耳に響いていた。


















「何も悪いことをしていない我々を悪魔と呼んだ。何も悪いことをしていない村人たちを銃で撃ち殺していった。皆の悲鳴と銃声が響く草原の中で、奴らは笑っていた」


















 男の言葉に呼応するように、墓の前に供えられた雛罌粟(ひなげし)の花びらがパタパタと風に揺れた。


















「私にはな、息子がいたんだ。まだ7つだった」

















 ぐるり、と機械仕掛けの人形のように、墓を見ていた男の首がこちらを向いた。


















「なぁ、私はずっと聞きたかったんだ。私たちが何をした? あの子が何をした?」

















 血走った男の目が(うる)み、更に赤くなっていく。





 その声音が、目の前にいる敵を糾弾するように、徐々に上がっていった。





















「奴らは聖戦だと言っていた。まだ世の中のこともよく知らない、無邪気な子どもを殺すのが聖戦なのか? 真面目にひたむきに生きてきた人間の村を破壊するのが聖戦なのか?」




















 男が、そう問い掛けながらこちらに少しずつ近付いてくる。





 それでも自分は動けなかった。










 男の問いに小さく首を横に振りながら、ただひたすらに彼の心が絞り出す悲痛な弾劾(だんがい)を、受け止め続けるしかなかった。



















「人から笑顔を奪い、人の人生を破壊し、人を殺すことに喜びを見出すお前らが聖戦を語るな、お前らが正義を語るな!」


















 目の前に立った男の目から、涙が零れ落ちた。


















「お前らは、悪魔だ」


















 静かに放たれた男のその言葉は弾丸となり、自分の胸を真っ直ぐに撃ち抜いた。







 きっと、自分はこの痛みに苦しんではいけないのだろう。












 目の前の彼が受けた苦しみに比べれば、これを“痛み”と呼ぶのも烏滸(おこ)がましいのだから。



















「なぁ、分かるか? 親はな、子どもの笑顔を見るのが楽しみなんだ。子どもの成長を見守るのが何にも代え難い喜びなんだ。あの子との毎日が何よりも大切な宝だったんだ」



















 彼の両目から、涙が過去の思い出のように零れ落ち、流れていく。





















「それが、ある日突然奪われた。あの子の声を、あの子の笑顔を、あの子の成長を、もう二度と、永遠に、見ることが出来ない! この苦しみが、お前に分かるか!!」




















 それは、身を切り裂くほどの哀しみを含んだ咆哮(ほうこう)だった。




 涙を流し、唇を震わせながら、心の内で暴れ続ける激情のままに言葉が放たれる。



















「悪魔に正しさなんてある訳がない! お前らに正しさなどない! 正しかった我々の全てを、お前ら悪魔が蹂躙(じゅうりん)した!」

















 白目が怒りを含んだかのように赤く染まり、憎悪に歪められた顔は、かつて犠牲になったこの村の人々の怨みをも内包しているかのようだった。


















「返せ! 私の日常を、私の息子を、私の人生を!!」
















 出来ないのならば、と男が握り締めていたナイフを掲げた。

















「お前が大切にしているもの全てを破壊する」




















 あまりのことに、声が出なかった。





 きっと男も、失われた命を取り戻すなど出来るはずがないことを、知っている。










 つまりこれは、永遠に自分を(ゆる)さないこと、そして自分を殺してその持ち物に至るまで全てを破壊することが、ほとんど決められたようなものである。











 男の過去は、人が行ってきた“戦争”と言うものの所業を思い出させるのに十分なものだった。











 しかもそこに、自分の故国の人間が関わっていた。

















 きっと自分は運が良かったのだ、と改めて思う。




 長い間、戦いに(まみ)れた世界を旅してきて、生き抜くことが出来たのだから。









 砲撃の音が聞こえる場所を避けていたということもあるが、流れ弾に当たって死ぬこともなく、どこかの街で突然住人に殺されることも無かった。








 遠い昔に出会ったメルダーの男に少し殺されそうになったが、自分が軍人であったこと、そしてそこで培われた体術が己を助けた。













 そして、自分の故国が敵と見做していた人々に会うことも無かった。




 メルダーの男は感情的な問題と言うよりも死活問題として襲って来ていたのだから。











 つまり今まで、自分は己に対して強烈な負の感情を抱く人物に会ったことが無かったのである。

















 だから、忘れかけていたのかもしれない。










 自分が傷付けた人々がいたことを。












 自分が直接手を下した訳ではないとは言え、自分の命令によって殺された人々がいたと言うことを。


















 それに、人と人が共に生き、支え合うことの真価に気付かせてくれた、とても素敵な出会いがあった。





 だから、本当に自分は運が良かったのだろう、と目の前にいる負の感情を凝縮したような男を見て思う。


















 自分がどれほどその行いを深く恥じ、後悔と自責の念に駆られながら猛省し、悔い改めて改心したとしても、その時の己の行いによって傷付けられた人々に、傷は残るのではないか。








 自分がどんなに彼らと分かり合おうとしても、彼らの理解を経て心を通わそうとしても、彼らが自分を(ゆる)さなければ、それは未来永劫不可能なのである。















 そして彼は自分を赦していないし、これからも赦すつもりはないのだろう。
















 ちらり、と彼に目を向けると歯を食いしばり、こちらを睨み付けながらナイフを耳の下で構えている。




















 彼に、ここまでの苦しみを背負わせてしまったその事件は、約20年前に起こったと言っていた。



 自分が今、幾つなのかは分からないが20年前なら自分はまだ軍にいたかもしれない。










 自分は国が滅亡する直前まで、ほぼ上官の雑用のような任務をこなしていたが、その際に戦果記録を含む膨大な資料と対峙していた。






 それに、村のほとんどを壊滅させたとなれば、そこそこの戦果である。




 記録を目にしていれば、もしかしたら何か思い出せるのではないか。


















 そう思い、軍本部にいた頃の記憶の欠片(かけら)を片っ端から漁っていく。




 直近の記録でなければ軍の地下倉庫に保存されていたはずだから、自分がそれを目にしたのも地下倉庫である可能性が高い。









 そう踏んで、倉庫で資料の収集や整理をしていた際に自分が見たものを、必死に思い出す












 E国J市占領、本国R市奪還、F国V湖以東征服……。













 紙の資料の上に並んだ文字が、浮かんでは消えていった。













 同盟締結、条約破棄、和平交渉、交渉決裂、占拠、攻略……。














 中々、目当ての資料が見つからない。思い出せない。



 





 当時の自分は与えられた任務に繋がる資料を探していた訳で、その他のものはざっと流し読むくらいだった。




 そのため、記憶に残るのも大きな街や市を占領した際の記録になってしまう。











 思い出さなければ、と焦れば焦る程、欲する資料が遠ざかるように感じる。





 そんな焦りに急かされた思考が追い詰められるあまりに、もしかしたら、という1つの疑念を発した。












 男は自分が村を壊滅させ、大勢の村人たちを虐殺した敵国の一員だと思っているが、実は勘違いだった、と言うこともあるのではないか。











 確かに故国には金髪ではない人間の方が少ないくらいで、世界的にも金髪 と言えばあの国、というくらい自分たちの髪の色が人々に与える印象は大きかった。












 しかし、他国に全く金髪がいないわけではない。




 金の髪を持つ人間の割合が少ないだけで、周辺諸国にも金髪の人間はある程度存在するのだ。













 だから、あの日この村を襲った部隊の構成員が、偶然全員金髪だったと言うだけで、故国の所業ではないかもしれない――。



















 その時、不意に記憶の中で誰かに話し掛けられた。











 ――おい、これ見ろよ。











 それは、今もあの自然に囲まれた美しい街を見守り続けている、懐かしい同僚の声だった。




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