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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第三十五話 証拠

 


 男は(しばら)く肩で息をしながら、(すが)れる何かを探すように地面に視線を彷徨(さまよ)わせていたが、1つ息を吸い込んでこちらに向けられた眼には、射抜くような鋭さが(たた)えられていた。












「私を責めるつもりか? 仕方がないだろう。我々にはそれしか情報源が無かったのだから。それにそんなこと、国や神父が言う訳ない」













 いっそ開き直ったかのように冷静に反論され、内心で面食らいながらも「仮に、の話ですよ」と表情に出さずに優しく返す。












「でも、あなたが仰った“それしか情報源がない”と言うのが、1つの答えなのではないでしょうか」













 やんわりと指摘すると、男の目に微かな疑問が浮かんだ。




 その瞳を見て、かつて自分が“目の前に情報だけで全てを判断してはならない”と学んだ時の衝撃を思い出し、懐かしさを覚える。














「一つの情報のみを信じ込むと、たとえそれが間違っていても間違いがあると気付けなくなるんです。自分たちの思考がどんどん狭まって行って、どんどん排他的になるんです」















 戦時下において、こうした思想・情報統制は多くの国で行われただろう。



 相手に憎しみを持たせておいた方が兵士を動員するのに都合が良いし、より戦場で力を発揮する。






 一石二鳥だ。










 それに、この時ばかりは国民も敵国に対して悪感情を持っているため、そうした統制はすんなりと上手くいく。






 むしろ国民が自らそう信じたいと願い、心の奥底で一抹の後ろめたさを感じながらもそうした情報を受け入れていることもあるのかもしれない。













 何の罪もない人間を攻撃し、殺すことに罪悪感を覚えない人間など、ほとんどいないだろうから。












 それに今回の場合は、そうした統制に宗教が絡んでいるのが非常に厄介だった。







 宗教というものは時として非常に強大な力を持つ。










 人を迷いから救うとされたものなのに、人を混乱と恐怖に(おとしい)れ、それそのものが戦争の火種となって人を殺していく。










 子どもの頃から宗教が密接に生活に関係していれば、それは自己を形成する根幹になり、自らの思想に大きな影響を及ぼす。










 その集団の中における価値観でしか物事を見られなくなり、いつか自らを救ってくれる神の存在のみが絶対となり、正統となる。














 それに属さない者は異端となり排除の対象となる。



















「1つの情報を信じ込むことは、それだけで自分を苦しめることでもあるんですよ。それは1つの世界しか知らないことになりますから」



















 男の眼光が相変わらず鋭いままだったが、それでも今までのように(わめ)き散らしたりすることなく、黙って聞いてくれているのが進歩かな、と思う。


















「自分の世界を狭めている、とも言えます。物凄く価値観が狭いんです。そうなった場合、例えば悩み事があったとしてもその範囲からしか解決方法を見出せないし、自分の悩み事をより大きく捉えてしまう。


 だって、自分よりも壮絶な体験をした人の話を聞いたら、自分の悩みなんて小さく見えるでしょう?」
















 それが出来ないんです、と言っても、男は微動だにせずに神妙な顔でこちらを見つめ続けている。



 その手には未だにナイフがしっかりと握り締められているのが、しきりに目に入った。














「情報に触れる時には、誰がそれを発信しているのか、その人がどういう立場なのか、何を目的としてその情報を発信しているのか、を念頭に置いておいた方がいいかもしれません」















 1つの情報をどのように伝えるか、肯定的か否定的かは発信者の主観が大きく込められることがほとんどである。
















「そう言った意味でも様々な情報に触れて、それが正確かどうかを判断する力を養うことは重要なんですよ。


 1つの物事を多角的な視点で捉えることが出来ますし、自分の生き方や心を豊かにすることも出来るんです」













 だって、何かに失敗しても様々な考え方を持っていたら、それをより次に繋げられる可能性が高くなりますからね、と微笑んでも男は動かなかった。








 何かを探るように、何かを見極めるように、ずっとこちらから視線を外さない。




 それに、少しだけ背筋が寒くなる。














「そうした意味で、あなたも犠牲者だと言ったんです。僕たちは悪魔じゃない。怪しい実験もしていない。その情報は、国が僕たちを憎むように仕向けた、嘘なんです」















 そう言っても、男の表情は変わらない。



 それに少し焦りを覚えて、口調に熱が(こも)る。















「もし、国が僕たちと敵対していなくて、情報をより広く国民に触れさせていたら、僕たちはもう少しだけ仲良くなれていたかもしれない。理解し合えていたかもしれない」

















 間違った情報を信じ込まされて、憎まなくても良い人たちを憎む。これほど悲しいことはない。














「あなたも、世界には色々な色を持つ人がいて、色々な生き物がいて、色々な面白い物で(あふ)れてる、って知ることが出来ていたら、もっと笑って過ごせていましたか」












 あなたも他愛の無いことに笑顔を浮かべる人であってほしい。




 その想いがそのまま言葉となり、半ば願いと期待の入り混じった問いを己に問い掛けさせた。

















 しかし、彼は無表情だった。






 そんな心の内にある細やかな願いなど、まるで関係ない、どうでも良いと言うかのように、自分の言葉を一顧(いっこ)だにしない様子でただそこに立っていた。













 そして、不意に口を開く。







「じゃあお前は、自分が悪魔では無くて、(よこしま)な実験もしていない、至って普通の人間で、我々は国によって誤った情報を提供され続け、それを信じ込まされていた、と言いたいんだな?」




「はい。信じていただけましたか?」




「信じない」













 即答だった。




 あまりにも鮮やかに否定され、返す言葉を失う。

 













 (しばら)くして、辛うじて「……え」という小さな呟きが口から零れた。







「えっと、何故ですか?」




「お前の髪の色は住んでいる地域によるもので、実験も自らの生活を豊かにするためのものだった。それで私たちは嘘の情報を掴まされている……だったか?」




「……はい」




「中々に面白い演説だったよ」













 そういって男は弓のように口の端を上げて嘲笑した。















「でもお前はこうも言ったよな。1つの情報を信じ込むな、様々な情報に触れろ、と」














 困ったなぁ、と言って顎を擦りながら冷たく笑う彼は、今までの不機嫌さが嘘のように心底愉快そうだった。











「私は、お前からしかそうした話を聞いていない。今まで、そんな話は聞いたことも無い」




 どうする? と試すようにニヤニヤとした嗤いがその表情に浮かぶ。














「これが全部、お前の詭弁(きべん)だったら」














 その黒い瞳の中に自分が映り、深淵(しんえん)に落ちていくような錯覚を覚えた。










 混乱と絶望の衝撃に撃たれて身体が凍り付いたかのように動かなくなり、頭が真っ白になる。












 最早目の前の男の姿さえ認識できなくなるほどの衝撃の中で、何故? という2文字しか知らないかのように、その言葉だけが頭の中を巡り続ける。













 納得した素振りを見せなかったとは言え、明らかに男は動揺し、自分の話を受け入れていた部分もあったはずだ。





 それなのに、何故ここまで頑なに他者を、自分を信じようとしないのか。













 やはり、子どもの頃から敵だと教え込まれていた人間の言葉は、そう簡単に届くことは無いのか。





 自分がどれだけ望んでも、相手が自分を受け入れてくれなかったら、敵と見做(みな)すことを()めなかったら、理解し合うことが出来ないのか。





 暴力ではなく、言葉で人は分かり合えるのではなかったか。















 それとも自分の言葉が、(つたな)かったのか――。















 そう考えてしまった途端、鼻の奥が痛み、目の縁がじわりと熱くなるのを感じる。






 自分が救ってもらったのと同じように、自分も人を救いたかった。



 彼らと同じような人間に、なりたかったのに――。














 その考えを振り払うかのように、頭の中に唯一浮かんでいた疑問を男に投げ掛けた。










「何故ですか? 何故、そこまで僕を信じてくれないのですか」












 すると、自分の様子を(たの)しそうに眺めていた男が、また流れるように「お前が悪魔だからだ」と返した。









「それは先ほど否定したはずです。色によって人そのものを判断することなど、出来ないと」










 すると男は「あぁ、そうだな」と全く考える様子もなく答える。







「それには納得したよ。お前は髪が金だからと言って、悪魔ではないだろうし、もしかしたら本当に、自分たちの生活の豊かにするためだけに色んな実験をしてたのかもな」




「なら――」





「それでも私は、多少誇張されていたかもしれないとは言えお前らを悪魔だと見做(みな)していた国を信じるよ」





「……何故ですか」














 そう問うた途端、男の顔から笑みが消えた。






 ただひたすら、表情の無い顔で真っ直ぐ見据えられる。















「さっきお前は私にこう質問したな。実際に見ていないものを、何故信じるのか、とね」














 私は見たんだよ、と彼は言う。








「お前らが悪魔だという証拠を」




「……何を、見たのですか」











 自分たちが悪魔である証拠など全く見当も付かない。



 そもそも悪魔のやることとは何だったか? 人を神の教えから背かせること?










 そんなことがぐるぐると巡っていた思考が、「後ろを見ろ」と言う激情を押し込めたかのように低く響く声に遮られる。







 見遣(みや)った男の顔は、始めに出会った時のものに戻っていた。



 その雰囲気に気圧されて、恐る恐る後ろを向く。













 そこには先ほど自分が花を手向けた――。









「何の墓か分かるか?」











 淡々と問われる。




 しかし男は最初から返事を期待していなかったようで、そのまま話し続けた。
















「ここはな、お前たちに殺された村人の墓だよ」
















 息が、止まった。


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