第三十四話 情報
「そう、色で人を判断するなんて、出来ないんです」
彼はまだ口を開けて呆然と虚空を見つめたままで、聞いているのかいないのか分からなかったが、そのまま話し続けた。
「今、あなたが仰ったように、色は様々な場面で、様々な場所で、様々な共同体によってその意味を変えるでしょう。
ですが、それらは全て、人間が決めたものです。人間が色に意味を付け、善と悪、聖と邪を決めた」
人は、この世の全てに対して意味を持たせようとする。
時にそれは必要なことで、例えば人生に意味を見出すことは人に前を向かせる大きな助けになり得るが、その“意味”が人に先入観をもたらし、1つの決められた考えに縛り付けることも往々にして存在する。
「誰かがそれを正統だと決めれば、異端が生まれる。異端と言うものは、それ自体が間違っていたり怪しかったりするものでは無いんです。
異端は、自分たちの正統性をより強固にするために、ある一部の人たちが定めた、敵なんです」
異端は、第三者が決めることは出来ない。
常に、何々にとって異端、という形をとる。
そのため、ある場所で異端とされた人々が異なる場所では正統であるとされた例など、歴史書を紐解けば数え切れないほど見つかるだろう。
男が、あまりにも大きな疑念と困惑に揺れる視線を、こちらに向けていた。
「何が言いたい」
ある1つの事実を前にした恐れを孕み、力を失った声で問われる。
「あなたも、そして私も、悪魔ではありません。他者と言葉を交わし、共に支え合いながら生きていくことの出来る、人間なんです」
この村を出たことが無く、過度に情報統制された教育を受けていれば仕方のないことだったのかもしれない。
それでも、この世界にはあまりにも多くの“意味”が存在すること、そして自分の知る“意味”と異なるだけで人は悪魔にも異端にも成り得ないことが伝わっただろうか、と男の顔を見つめながら思う。
彼は、先ほどよりほんの少しだけ眉間の皺を薄めていたが、こちらを見るその顔には表情が無かった。
「だが、貴様らは過ちを犯した。神を超えようとした。これはどう説明する?」
「……?」
神を、超える?
今度こそ何を言っているのか分からない。
そもそも自分の故国はそこまで信仰熱心な国ではなく、何となく季節の節目や記念日に儀礼的に祈っていたくらいである。
神の存在を本気で信じていた人も僅かであろうから、“神”と言うよりも“自分が目にすることの出来る身近な他者”を超えようとしていた、と言う方が遥かに近い。
自分の困惑しきった表情から何かを察したのか、はぁと1つ大きな溜息を吐いて、淡々と説明し始めた。
「この世の万物は神が創った。それは神にしか許されない行為だ。
それなのに貴様らは怪しい物質を使って実験を繰り返し、新たに宇宙を生み出そうとしたり、神を創っていない新しい生物をも創ろうとしている。これはどう説明する?」
そう真顔で問われて、今度はこちらが呆然とする番だった。
いや、やってませんけど、と危うく言いかけて口を噤む。
もしかすると、新薬の研究や新兵器の開発とその実験のことを指しているのだろうか、と思ったが、それにしても飛躍が過ぎる。
「あの、それってどこから入手した情報ですか?」
恐る恐る聞けば、「いろんな所だ」と返された。
「ラジオでもしょっちゅう流れるし、ある程度の年齢になったら学校でも教えられる。だから子どもでも知ってる」
それを聞いて、先ほどの自分の推測がほぼ当たっていたことに気付く。
中央集権国家の一部で村の人々に自治権はない。
そして教会の近くに荒廃した学校のようなものの跡があったから、恐らくは聖職者が教師を務めていたのだろう。
つまり、この村は完全に国家の支配下にあり、情報統制だけではなく、国によってほぼ完璧に思想統制も為されていた、ということである。
それに、この男は村を出たことが無いと言っていたから、他の思想に触れる機会も無かった。
言わば、生まれてからずっと“国に都合の良い思想”という液体で満たされた純粋培養液に浸され続けていたのである。
その事実に少なからず衝撃を受け、気付けばその想いを口にしていた。
「あなたも、犠牲者だ」
その言葉に、男の頬がピクリと反応するのが分かる。
そして口の端を吊り上げ、こちらを見下げ果てるような目をして「あぁ、そうだよ」と鼻で笑うように言った。
「で? 何の犠牲者か言ってみろ」
「あなたは、いや、あなた方は、この国の、犠牲者なんだ」
慎重に言葉を紡ぐと、彼の顔から笑みが消える。「この国だ?」と凄む声に、期待していた答えでは無かったと言う落胆に由来する怒りを感じた。
どんな答えを期待していたのかは分からないが、国に何かを奪われたという自覚などあるはずもなく、それをおかしいと思うことも無かったのだろう。
「僕たちは、確かに実験をしていました。ただそれは主に自分たちの生活を豊かにするためのものだったんです。
新しい薬を開発して今まで治らないとされた病気を治すことが出来るようになったり、あ、面白いのは冷えたご飯を温めたり、逆に冷やして保存できるものですかね」
便利でしょう? と言って「ふふふ」と笑えば、「そんなこと出来るはずが無い!」と噛み付かれた。
「出来たんです。本当に、技術の進歩は凄いと思います。でももう全部失われちゃいましたね」
「どうせ怪しい力を使ったり邪悪な物質でも混ぜ込んだんだろう!」
「なぜ、そう思うんですか?」
「常識だ! 誰でも知っている!」
「でも、あなたは我々を見たこともなければ我々が作ったものも実際には目にしていない。それなのに、なぜ信じていたんです?」
「学校で教わったからだ! 神父に教わった! 神父だぞ! 神の教えを我々に語り聞かせてくれる方だ! あのお方が言うことは乃ち神の教えだ!」
それに国営放送もだ! と男は喚くように言う。
「国営のラジオが貴様らをそう呼ぶのを何回も聴いた! つまりは国の正式な見解なんだよ! 信じて何が悪い!」
「ではあなたは、国や神父に“あなた方は髪が黒いから悪魔の末裔だ”と言われたとしても、信じましたか」
静かに、淡々と質問を重ねる度に男の返答に余裕が無くなっていき、とうとう男の荒い息遣いしか聞こえなくなった。
唇を噛みながらこちらを睨み付けているその顔には、質問に対する己の答えの不条理さ、そしてそれに気付いてしまったことの悔しさが、滲み出て見えた。




