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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第三十三話 進化

 



 思えば、今までは運が良かっただけとも言える。







 長い間世界各地を旅してきて、自分に強烈な負の感情を抱く人物に会ったことが無かった。











 遠い昔に会ったメルダーの男に少し殺されそうになったが、彼は感情的な問題と言うよりも死活問題として襲ってきたのである。














 それに、人と人が共に生き、支え合うことの真価に気付かせてくれた、とても素敵な出会いがあった。














 だから、本当に自分は運が良かったのだろう、と目の前にいる負の感情を凝縮したような男を見て思う。




 何にせよ、今男が述べた言葉は反論の余地に溢れ過ぎていて、どこから指摘したものか、と逆に悩まされた。











 その際に男の逆鱗に触れないように(もう触れているのかもしれないが)しなければならないのも厄介であるが、一先(ひとま)ず一番記憶に新しく、しかも衝撃的だった最後の問題点に触れることにした。
















「確かに僕の髪は金色ですが、これは欲の色と言うより、住んでいた地域に原因があったのだと思います」














 彼に対抗して激しい口調にならないように、出来るだけ穏やかに述べたつもりなのだが、努力の甲斐も虚しく「黙れ!」と一喝された。
















「訳の分からない言い逃れをするつもりか? 住んでいた地域だと? ハッ、そうだろうな。


 貴様らが住む地域など欲と低俗な精神に(まみ)れてまともな人間なら到底住むことの出来ない地獄を指すのだろうからな」

















 侮蔑も露わな表情と声音で流れるように()なされ、すぐには言葉が出て来なかった。











「…………僕たちの住む地域は日照時間が短いんです。なので、身体の色素が濃いよりも薄い方が弱い太陽の光を吸収するのに有利だった。


 この髪の色も同じ理由で、進化の過程によるものなんです」

















 確か、住む地域によって見た目が異なるのはこうした理由によるものだったはずだ。



 脳みそをひっくり返し、何十年も前の学生時代に学んだ知識を必死に引っ張り出す。











 しかし男は“進化”という語を聞いた途端に、ただでさえ悪かった機嫌をより一層急降下させた。
















「進化? 進化の過程⁇ 悪魔が人間の進化を語るな!! 汚らわしい! 金の毛並みをした猿がいるか? 生息する地域によって毛並みが金になったりしてるか? え? 見たことないだろう! 


 貴様らみたいな浅ましい存在が簡単に人間を騙せると思うな!!」









「……。」















 これは、参ったな。





 焦りとももどかしさとも付かない、妙な感情を抱く。



 進化の過程でこうなった、と言っているのに、それそのものを否定されてしまえばもう話は進まない。











 そもそもこの人は、一体どのような教育を受けてきたのだろう? と疑問に思う。

 









 自分が学生の頃も既に戦時下ではあったが、研究によって証明されている事柄や人類がそれまでに残した功績などは、たとえ敵国出身の人間によって成し遂げられたものであったとしても教えられた記憶がある。





 その人物の顔写真付きで。












 もちろんそうした事例を過度に褒め称えたりはしていなかったが、あくまでも1つの事実として、教養として学んだ。












 そして目の前の男の話を聞いていると、彼は酷く(かたよ)った、(ある)いは捻じ曲げられた知識を教えられたのではないか、と感じざるを得ない。














 この世界に見た目が異なる人間がいるなんて、自分が育った国では子どもでも知っている。














 そう思ったとき、目の前で鬼のような形相をしながら罵詈雑言を喚き散らす男が、不意に憐れな存在として映った。















 彼も、犠牲者なのだ。









 全てを焼き尽くした、この戦争の。















 そう思うと、心の内を暴れ回っていた焦りやもどかしさが、すとんと落ちて大人しくなる。















 人を敵視し続けて、人を憎み続けて苦しくない訳がない。





 彼が吐き出す怨嗟(えんさ)の言葉は、そのまま彼自身の苦しみを表しているのではないだろうか。
















 そして、自分も過去に苦しんだことがある。










 嘆き、苦しみ、世界に絶望していたときに、救われた。













 名前も知らない、とある村に住む人々の言葉によって。


















 正面に目を向けると、痛み、苦しみ、怒り、怨みと言った感情の(おり)に閉じ込められ、そこから自らを解放する術を持たずに責め苦を受け続ける男の歪んだ顔があった。












 人は、暴力によって物事を解決すべきではない。




 それは、巡り巡って大きな悲劇を生むだろう。












 この世界のように。











 かつて言葉によって救われた自分が、目の前で苦しむ男に対して出来ることは――。

















「あなたは、この村から出たことはありますか?」



 凪いだ湖面にように穏やかに、柔らかく問いかけた。












「あ? 無いに決まっているだろう。いつ何時(なんどき)悪魔が襲って来るか知れたもんじゃない。考えれば分かることを聞くな、悪魔め」











 最後の悪態を聞き流して、答えた。


















「僕は、金色の毛並みを持つ猿を知っています。ゴールデンライオンタマリンとか、金絲猴(きんしこう)、レスラなどですかね。可愛いですよ」

















 世界各地を巡った際に訪れた図書館やら砲弾が直撃して穴だらけになった博物館やらで仕入れた情報を、こんな所で披露することになるとは思わなかった。










 一瞬、男がぐっと言葉に詰まる。






 しかし、すぐに激しく反駁(はんばく)してきた。














「だとしたらその猿どももおかしい! 何か過ちを犯して毛の色が普通では無くなったんだ!」




「猿が犯す過ちとは何でしょう?」




「そんなの私が知るか! 猿に聞け!」














 それに苦笑を返して、「では」と続ける。





「鳩は何色ですか?」




「鳩? 鳩は灰色だろう。おい、さっきから何をごちゃごちゃ言ってるんだ!」










 話の道筋が見えないのか、男がイラついているのが分かる。



 それでも、「すみません、もう少しだけいいですか」と断ってから問いを発した。










「まぁ、普通見るのは灰色の鳩ですよね。でも、白い鳩もいませんか?」



「だから何だ」



「そういう白い鳩も普通では無いので、何か悪さをしたんでしょうか」









 すると、チッという舌打ちが聞こえた。










「悪魔の癖に知らないとはとんだ馬鹿な悪魔だな。いいか? 白は神聖な色なんだよ! だから白い鳩は平和をもたらしたり神と人を繋げる精霊なんだ。分かったか!」












 もはや憎悪云々(うんぬん)と言った感情より、何も知らないどうしようもない奴という軽蔑の視線を向けられているように感じる。




 それに気付かないふりをして、「そうなんですね」と返した。

















「白が神聖な色だとしたら、邪悪とされる色は何でしょう?」









「それは、く——」













 男の言葉が、途切れた。













 一瞬だけ目を大きく見開き、息を飲む音が聞こえる。




 ちらりとその顔を見遣ると、視線を下に向けたまま口を引き結び、きつく眉間に(しわ)を寄せていた。














「黒、ですか?」




 やんわりと問い掛けると、「違う!!」と鋭く打ち消される。











 しかし、それに続く言葉は今までのような力強さを持つものではなく、虚勢を張ったように無理やり大声を出しているかのようだった。












「黒は、黒は正しい色だ。正しさを表すんだ。人が正しく進化したことの表れなんだ」



「だとしたら、神はなぜ猿を白にしなかったのでしょう? そこから人が生まれたのであれば、始めから猿の毛並みを神聖な色にするべきだった」



「人に神の考えが分かるものか!!」













 そう叫び、肩で大きく息をする男の気持ちが分からないでもない。






 自分が信じていた宗教の、罪を犯して堕落したとされる存在、神の敵対者として恐れ、祓うべき存在と同一の色を持っているというのは、色の正統性に(こだわ)る彼にとって決して受け入れてはいけない事実なのだろう。










 それを表すように、彼がぶつぶつ小さな声でそれを否定し続ける声が聞こえてくる。













 違う。おかしい。私たちは悪魔じゃない。奴らが言っていたことが正しいなどあるはずがない。そうだ。我々は猿から進化したのだから我々が正しい。じゃあなぜ猿は黒い? 神が万物を創った。なぜその時に白にしなかった? 黒は、黒は誤解を招くじゃないか。今みたいに、人が間違った考えを持ってしまうじゃないか。そうだ、本当は、本当は色なんて――。
















「色なんて、関係ない——」















 男の口から発せられたその言葉は、すぐに村の静閑(せいかん)な空気に溶けて消えた。













 しかし、それは男を呆然とさせるにはあまりにも十分で。


 






 自分が口にした結論による、自分でも受け入れられないほどの衝撃に打ちのめされたかのように。



 目を大きく見開いてその場に固まったまま、動かなくなった。





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