第二十八話 境界
教会にも、暴力の傷跡が深く刻み込まれていた。
粉々に飛び散った、左右の壁に嵌め込まれていたステンドグラス。
日の光を柔らかく通し、鮮やかな色で教会の内部に優しく華を添えていたのに、今目の前にあるのは外界の全てを手あたり次第に教会の中へと放り込む、無い方が喜ばしい穴である。
その無用の穴が直接通した太陽の強い光が照明のように床の惨状を照らし出し、否が応にも意識がそこに向けられる。
整然と並べられていた長椅子はほとんどが倒れて秩序を失い、その中にも真っ二つに折れた物や一部が欠けた物、穴だらけになっている物があった。
そうした散乱する諸々の破片や、奴らが持ち込んだ砂埃や泥の上に付いた無数の足跡で床が汚されている。
子どもの頃から祈りを捧げ、精神の拠り所となり、毎週日曜日に皆で集まっていたあの神聖な教会が、無残に踏み荒らされ、破壊された。
それは自らの精神の根幹であり、心にある神聖な部分に土足で踏み込まれたかのような屈辱で、あまりの蛮行に言葉を失うほかなかった。
怒りを通り越して、支柱を失って崩れそうになる心と、それが構成する己の世界の崩壊に対する恐れを感じ、また手が小刻みに震えだす。
もう、分からない。
これが現実なのか、悪夢なのか。
夢と現実の境界が先ほどからぐらぐら揺れていて、自分が今どこにいるのかすら分からなくなる。
さっき、これは悪夢なんだと理解したばかりじゃないか。
何で、また手が震えだすんだ。
そうだ、これは悪夢だ。
人々の祈りを届ける教会が、日曜日の礼拝のあとに皆で語らい、笑顔の花が咲き乱れていたあの教会がこんな冒涜を受けるなんて、あり得る訳ないじゃないか。
目を閉じ、深呼吸を二、三度して気分を落ち着かせ、教会に背を向ける。
家に帰って寝床に潜り、目を閉じていれば自然と目も覚めて、こんな一生に一度見るか否かの胸糞悪い夢からも解放されるだろう。
そう思って家路に就こうとしたとき、視界の隅に何かが入った。
綺麗に剪定されていた夏草が無造作に踏み荒らされて、鼻奥を刺激するようなつんとした青い匂いが辺り一帯に立ち上っている。
見事に咲き誇っていた夏の花々が無残に折られ、踏み潰されて力なく横たわり、土の上にべたりと蜜をこびり付かせている教会の前庭の片隅に、それはあった。
小麦色の、こぢんまりとした山。
子どもが砂で作る山のような小ささだったが、それが砂など何もないこの場所にあるのは不自然である。
疑問に思って近づいていき、それがはっきりした輪郭を帯びたときに理解した。
麦藁帽子。
長く使い続けられていたのか、全体的にくたりとしている。
なぜこんなところに。
そう思いながら手に取って見回しているうちに、手の中の麦藁帽子が記憶を刺激し始めた。
自分はこれを見たことがある。
それも何回も。
なぜ。どこで。
必死に頭の中をひっくり返しながら日々の記憶を呼び起こして、唐突にそれは脳内に映し出された。
よく日に焼けた顔に浮かぶ、向日葵のような笑顔。
村の子どもと遊ぶとき、同年代の者と談笑するとき、その快活な話しぶりで老輩を笑わせているときに、その笑顔が大輪の花の如く咲く。
そんな、誰からも好まれていた彼が、夏になると常に頭の上に乗せていたもの――。
手の中の麦藁帽子を再び見遣る。
ここは教会の前庭の外れで、しかも教会の裏手にある森との境である。
そのままずっと進めば隣国との国境に到るのだが、これがこんな場所に落ちていたということは彼を含めた村の面々は皆、森を抜けた先にいるのだろうか。
麦藁帽子の縁を握り締めて、森の奥に目を向ける。
これは悪夢だ。
悪夢から覚めるには、早く家に帰って眠りに就くべきだ。
でも、そんな悪夢でも皆に会えれば何かが変わるかもしれない。
崩れた家にいたあの男は混乱のあまり訳の分からないことを口走っていただけで、本当は夢特有の謎の怪物に村が襲われて、皆森の向こうに避難していただけかもしれない。
いや、そうに違いない。
少しでも気分よく目覚めることが出来るように。
たとえ夢の中であっても皆の無事を確認するために。
皆の笑顔を見て自分を安心させるために。
麦藁帽子の縁を両手で掴み胸の前で持ちながら、ひんやりとした空気に満ちる鬱蒼とした森に足を踏み入れた。
あまり多くはないが、この森も食料を採取したり獲物を狩ったりするために人が入ることがあるため、周囲の草などを取り除いて人が二人並んで歩けるほどの径が作られていたはずだった。
その小さな径が、あり得ないほどに拡張されている。
それも、丁寧に整備して広くしたのではない。
周りの木々を傍若無人になぎ倒しながら、何か巨大なものを無理やり通した結果作られたかのような、そんな暴虐さを感じさせるもので、本当に怪獣が這って行った跡みたいだな、とその乱雑な“道”の上を歩きながら思う。
この悪夢が始まってから絶えず背中を濡らし続けている冷たい汗のせいなのか、歩きっぱなしの運動によって出来た汗が冷えたせいなのか、それともその両方なのか分からなかったが、ただでさえ冷えていた身体に水分を好んだ森の冷気が纏わりついて増々体温を奪っていき、その上衣服までが身体に貼り付いたことで不快指数がじわじわと、しかし着実に頂点に近づいていた頃。
温かな風がぶわりと全身を通り抜けた。
前方に、森の樹々に四角く切り取られるようにして、青と緑の見事なコントラストを成す光景が広がる。
鬱蒼とした森を抜けた先は、草原だった。
寒さと、自分でさえ理由の分からない緊張で歯の根が合わず、暫く震えながらその広大な大地を眺める。
初夏の白い光に通されたその雄大な景色の先に、万年雪を山頂に戴く隣国の山脈が翠緑色に霞んでいるのが見えた。
この草原と隣国の山脈が接する地点が国境になっているが、現在ここは太腿ほどもある高さの夏草に覆われており、戦争が始まってから何年も何十年もここの手入れをしようとする物好きが現れなかったことを暗に示していた。
第一そんなことをすればこちら側が丸見えになることは分かり切っていたし(侵入して来た敵が隠れ易くもなるが、それは偵察と防衛を果たせなかった軍の責任であり、覗き見られる危険性を考慮して刈り取らなかった人々のせいではない)、それが戦況に大きな影響を及ぼす可能性が大いにあるということも容易に想像できたからである。
しかし、最も大きな理由は単純に“面倒くさい”というものだったのだろう。
草原の左右、右端と左端には山々が聳え立っているが、目で見えていても実際の距離は想像以上に遠いものである。
山々の麓から、対極にある山々の麓まで成人した人間が歩いて1時間と少し。
それと同等の距離がぐるりと四方を囲み、ほぼ正方形を成してこの草原を作り上げている。
そうしただだっ広い草叢の手入れなど思い立たないことはよく理解出来るし、繁茂する夏草の力強さとどこまでも広がる緑と青の空間を今目の前にして、そうした先人たちの思いに改めて激しく賛同した。
吹き渡る風に陽光を反射させ、波のようにざわめく草原を、歯をガチガチ言わせながら目を細めて眺める。
そしてそう時を置かずして、それを見付けることが出来た。
国境付近だろうか。
この距離から確認できるほどの何か大きな塊が、分裂と融合を繰り返している。
空を覆い尽くすほどの黒々とした群れで飛ぶ臆病な鳥の、不気味で不吉な集団のように。
いなくなった村人たちがいるにしても少々規模が大きいような気がするが、どんな理由かは分からないにせよ皆あそこにいるのだろう、と思うと、自然と足が動いた。




