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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第二十七話 悪夢

 



 映像フィルムが高速で回転するように、頭の中の映像が再び切り替わる。

 













 次に映し出されたのは、雑に刈られ、折られ、ぼろぼろになった小麦畑だった。







 頭を動かすと、家屋に穴が空いているのが見えた。



 1つだけではない。









 石で出来た壁が吹き飛んで家の中が断面図のように見えているものもあったし、(わら)の屋根が地面に(ふた)をしているように家全体が潰れているものもあった。





 燃えたのだろうか、屋根が焼け落ち、石壁が炭を塗り固めたかのように黒々とした姿を見せているものもある。








 遠くで灰色の煙が天を支える柱のように幾筋も立ち上り、この地上の光景とはまるで正反対の、絵のような美しい紺碧の空に消えていく。








 風に乗り、小麦が焼ける臭いが鼻先を(かす)めた。

 













 誰もいない。













 お昼前だから、この時間は畑で仕事をしたり家々の先で家事をしたりする人の姿が多く見られるはずなのに。








 人の声が、まるきり聞こえない。








 戸惑いながら踏み出した一歩が立てた砂利(じゃり)の音が、嫌に大きく鼓膜に響いた。

 















 混乱の極致(きょくち)にある頭が、何とか事態を飲み込もうと必死に状況を整理し始める。







 今朝、いつものように息子を学校に送り出して、畑仕事を始めた。




 ここまでは、何も変わらない。










 今日は畑仕事が早めに終わったから、山に入って山菜を採っていた。






 自分が立ち入った場所はあまり人が来なかったようで、夏の盛りの山々は緑が生い茂り、至る所に美味しそうなきのこや山菜が生えていた。









 夢中になって採っていたから、人の気配が一切感じられない静謐(せいひつ)な山奥まで分け入ってしまったようで、今を盛りと繁茂する樹々が清涼な空気を生み出し、肌を心地よく冷やしてくれる。








 樹々の間から差し込む幾筋もの純白の光が、まるで神が掛けられた天への梯子(はしご)のようで、時折耳に届く小鳥のさえずりと合わさって神のおわす国へと迷い込んでしまったかのようだった。













 あまりにも清らかで安らぐ場所だったからついつい長居してしまい、そろそろ戻って昼食にしようとした時に、それを聞いた。













 村の方角から響いてくるその音は遠くで断続的に太鼓が鳴っているかのようで、空気や大地を震わせ、鼓膜をも振動させてくる。










 時折、石がガラガラと崩れ落ちるような音が挟まれ、白い煙があちらこちらから湧き始めた。










 それは巨大な白い獣が何匹も尾を振っているかのようで、言いようのない胸騒ぎが潮騒(しおさい)のような音と共に胸の中に満ちていく。
















 背中に大量の山菜を入れた籠を背負ったまま、恐る恐る歩き出す。

 








 右を見ても左を見ても、後ろを振り返って再び前を見ても、誰もいない。





 その不気味さに、声を出すのも躊躇(ためら)われた。





 音を出した瞬間、何か得体の知れないものに襲われそうで、自然と歩くのも慎重になる。













 出来るだけ音を立てずに(しばら)く歩いたとき、もしかしたら自分だけが異世界に飛ばされたんじゃないか、と思い始めた。







 山奥の、神の庭に入り込んでしまい、その罰を受けているんじゃないか。







 だとしたら、教会に行って懺悔(ざんげ)すべきだ。











 そう結論を出して、足早に歩き始めたとき、何かの音を耳が拾った気がした。



 反射的に立ち止まり、耳を澄ます。











「……い、おい。おい、こっちだ」











 必死に声を抑えながらも、何とか自分も呼び止めようとする声の出所を探し、周囲を見回す。










 すると、崩れた家の出入り口から、伏せた状態で上半身を出した男が必死に手招きしているのが目に留まった。








 辺りを確認して、足早に駆け寄る。










「大丈夫か! 何なんだこれは」




 逸る気持ちで抑えながら小声で問うと、家の中に引っ張り込まれた。









「分からない! 分からないんだよ! 見つかったやつは全員連れていかれた!」









 男も動転しているようで、少々肉付きの良い腹を小刻みに震わせている。







 道端に会ったときに互いの近況やら国の情勢やらを語り合う知人であったから、一先(ひとま)ず自分が知っている人間がこの世界にいる、ということで(ささ)やかながらも安堵した。











 男を落ち着かせるように背中を撫でさすってやりながら、「見つかったって誰にだ?」と聞くと、ガチガチいわせた歯の隙間から(こぼ)れるように言葉が滑り落ちていく。

















「あいつらだよ、おぞましい奴ら。初めて見た。ほんとに髪が金なんだ。奴ら血が凍ってるんだろ? だから情も何もないんだよ。泣き叫ぶ女も子どもも、物でも扱うように引き立てて行ったんだ」















 男の言葉はまだ続いている。




 しかし、全身から血の気が引き、落雷に撃たれでもしたかのように真っ白になった頭は、最早(もはや)それを言語として認識していなかった。














 徐々にその音の連なりも、遠ざかっていくようにして聞こえなくなる。

 














 あまりの衝撃に、頭が痺れたようになって上手く働かない。



 いや、むしろこれ以上思考するのを本能的に止めているのかもしれない。















 これは、夢だ。





 現実じゃない。















 だって、考えるだけで胃が全てを吐き出そうとするような不快感が込み上げるし、考えるだけで血が沸騰するような憤怒が腹の底から湧き上がってくる。





 その激情を、肺が何度も何度も大きく収縮して抑えなければならないなんて。

 
















 そんな出来事が、あっていい訳ない。








 同じ空気を吸うのも不愉快な下劣な生き物がこの村に足を踏み入れたなんて、あったはずがない。














 ましてやそんな蛆虫(うじむし)のような奴らがこの村で暴虐(ぼうぎゃく)の限りを尽くしただなんて、ある訳ないじゃないか。















 そうだ、これは悪夢だ。















 考えれば考えるほど、この現実離れした状況に動転していた自分に笑いが込み上げてくる。








「落ち着くんだ。私たちは、悪い夢を、見ているんだよ」




 軽く笑みを浮かべて、怖い夢を見た子どもを(なだ)めるように、恐ろしいことなど何もないのだとよく言い聞かせるように、一言一言区切りながら優しく男に語りかけた。






 (ある)いはそれは、自分に対しても言い聞かせていたのかもしれない。

 




 



男の背中を撫でさする己の手が小刻みに震えるほどの恐怖は、感じなくても良いものなのだと。
















 だが、男は最早自分の言葉が耳に入っていないようだった。



 壊れたラジオのように、口から滑り落ちる言葉は止まる気配がない。
















「そんで粗方(あらかた)荒らし回ったあと、奴らは教会の方に行ったんだ。これは足音で分かった。それが完璧に聞こえなくなるまで、俺はここの地下倉庫の隠れてた。そこから出るのは本当に怖かったんだが……」















 何かに心臓を掴まれたような衝撃を受け、再び思考が白く塗り潰される。再度、自分が男の言葉を聞かなくなる側に回った。















 “教会”、という単語が出てきたことによって。













 教会? 



 今、教会では何をしている? 












 いや、教会じゃない。奴らは教会の“方”に向かったんだ。



 教会の近くには、何がある? 



 何をしている? 













 そこに、誰がいる?













 その事実に思い至ったとき、ぶわり、と全身の毛が逆立ち、嫌に冷たい汗が割れた水道管の水が道の表面を覆うように、背中や手の平に広がり始める。












「息子が……」







 呆然と吐き出した声は、驚くほど力が(こも)っていなかった。










「あの子が……」










 よろよろと立ち上がり、そのまま戸口に向かう。




 するとそれまで機械のように喋り続けていた男がピタリと言葉を止め、じっとこちらを見つめてきた。










 何かを確かめるように、そしてその可能性に(おび)えるように、「どこに行くんだ」と早口で問い掛けられる。











「息子が、学校に……」 




 霧が掛かったような頭でそれだけ言って、出て行こうとした。














「やめろ!」













 絶叫のような声が響く。




 振り返ると、男が今にも泣きそうな、何かを堪えるような表情をしていた。















「行くんじゃない。分かるだろう? 行ったらどうなるかなんて。わざわざ死にに行くな」















 お願いだから、と言うその声は“説得”と言うよりも()うような響きが強かった。













「生きてくれ。この村を一緒に立て直すんだ。俺たちの村を」














 目を潤ませながらそう訴えかけてくる男の気持ちが一瞬己の心に入り込み、揺り動かした。




 しかし、頭の中に立ち込めた霧が脳みそを撫でるように揺蕩(たゆた)い、思考を促してくる。















 立て直した村に、ありふれた平和な日常はあるか?





 恐らくないだろう。










 私が思う平和な日常を生み出す、唯一にして最大の存在がいないのだから。













 彼がいない村に、幸せはあるか?




 彼がいない人生は、幸せか?




 答えは――。
















 頭を包む霧に導かれるように出した答えに従い、ゆらりと男に(きびす)を返して戸口の外へと足を踏み出す。













「おい! 待て! 死んじまうぞ! 帰ってこい!」














 切羽詰まったように必死に呼び戻そうとする男の声が追ってくる。





 だが、足を速めて声の追手をすり抜け、それが耳に届かない場所へと至ったとき、強張(こわば)っていた全身の筋肉から力が抜けた気がした。











 もう、心が揺れることは無い。




 心を揺さぶってくる者もいない。













 後悔など、欠片もない。














 ここからは、己の心に従うのみ。















 そう気を引き締め直し、ただひたすらに蒼天を背にして浮かぶ純白の十字架を目指して歩き続けた。



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