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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第二十三話 終わりの始まり

 


 身の回りに溢れる美しい自然の中で、目を背けたくなるほど美しくないものを目にすることが増えたのも、この頃からである。










 確かにそれは、今までに何度も見てきたものであった。












 全てが始まった、あの日から。













 だが、明らかに数が増えている。















 ぽつぽつとしか見かけなかったものが年月を重ねるにつれて頻度が増していき、今では1日に一度は目にして当たり前、という多さにまで達していた。












 しかも好ましくないことにそれらは比較的最近作られたものが多いようで、近づく前からあの鉄分交りの胸糞悪くなる腐敗臭が肺に入り込んで、晴れ上がっていた気分が一気に落ち込む。















 わざわざ体力を消費して迂回した先にも同じ光景が広がっている可能性があることから道を変えることはしていなかったが、遠目からでも(はえ)が黒いダマのようになって空中を飛び回っているのが見えると、それだけで心がヘドロを詰め込まれたかのように暗く(よど)んで重くなる。

















 一体だけ、ということはほとんど無くて、大抵の場合で折り重なるようにして(たお)れていた。





 そしてそれらは、苦悶というよりも驚きの表情を浮かべていることが多かった。














 特に心臓や頭など、急所に穴が空いている者は。













 それを何度か目にしてから、もしかしたらこの人たちは自分が死んでいることを理解していないかもしれない、と考えたことがある。










 あまりにも一瞬の出来事だったから、自分の目前に迫った“死”を認識する前に、全てが終わってしまったのではないだろうか。















 もちろん、世界で戦争が繰り広げられるようになってから人々は常に“死”を意識するようになっただろうが、それを実際に自分の身の上に起こった事として理解するのは、また別の問題である(死者にそうしたことを考える意識があることが前提ではあるが)。

















 だとすると、今でも彼らは自分が見えていないだけで戦い続けているのだろうか。





 そうだとすれば、それほど残酷なことは無いだろう。













 生に終わりはあるが、死後の世界に終わりは無い。














 永遠に、この世界が滅びるまで争い続けることになる。



















 100年以上前に人類が始めたことは、この世の終わりを生み出し、その後の始まりを永遠に封じることであった。












 それは、この世の全てを破壊するのみならず、己を未来永劫苦しめることになっているのではないか。

 











 全ての人類がそういう末路を辿るのではないだろう。





 しかし、優れた知能を持ち、高度な思考を行うことの出来る存在が自らの末路をどんどんと堕落させていったのには、言いようのないやり切れなさを覚えた。












 他にもっと、道があったはずなのに……。















 それらの傍を通るときはあまり目を向けずに、なるべく反対側に顔を向けたり正面を見据えたりするようにしていたが、転んで膝を擦り剥いたときのような、ズキズキとする痛みが常に胸に残った。















 そのような凄惨な現場は次から次へと現れたが、そうした目を覆いたくなるような光景と遭遇する度に治りかけていた胸の傷も(かさ)(ぶた)を剝がされ続けていくようで、その回数が増えていく中で身体のうちに生々しく響く痛みも鋭さと強さを増していくようだった。

















 そしてある時を境に、胸に響く痛みが物理的な刺激を伴って現れるようになった。





 初めは疲労などが原因の一時的なものだと思って、あまり気に留めなかった。











 だが徐々に咳が加わり、歩くのが億劫(おっくう)になるほどの(だる)さを覚えたときに、予感した。














 これは自分にとって、終わりの始まりなのだと。














 もし、自分がまだ文明の中で生きていれば、世界がまだ人類の営みで(あふ)れていれば、もう少し長く自分に時間は与えられたかもしれない。









 しかし、全てが失われた今。











 自分は医者ではなく医療的な知識も無いから、どのような病に侵されているのか判断できない。





 よってどのような薬が効くかも分からない。

 







 下手に手を出して余計に悪化させたら笑い話にもならないし、そもそも現段階でこの世に残っている化学的な薬など、どれも腐っていそうで怖かった。










 つまり、己の運命に身を委ねるしかない、ということである。










 しかし不思議なことに、このような状況にあっても恐怖を感じたりパニックに陥ったりすることはなかった。







 もしかしたら、まだ実感が湧いていないだけかもしれない。

 
















 だが、この時の感情を正確に言い表すとするならば、期待と不安がない交ぜになったもの、例えるなら進級時に入る新しい学校という新しい世界へのワクワクとした興味、そしてそのまだ見ぬ未知の世界に対する不安、と言ったところだろうか。














 何より、これは自然が自分を仲間に迎え入れようとしてくれているのかもしれない、とさえ思えた。

 













 きっと自分は死してのちも棺に入ることはない。





 この大自然の中で朽ち果てるのを待つのみだろう。










 しかしそれは、自然の一部になることと同じである。











 植物に囲まれ、植物に取り込まれることで、自然に溶け込んでゆく。














 自分を美しいと思いながらも、人である限り決して同じ美しさを得ることが出来なかった。









 その美しさが自分にも芽生えるとすれば、そこにあるのは“喜び”だろう。















 それに、このまま病でこの世に別れを告げるとすれば、自分が死んだのか死んでないのか理解できずに同じことを永遠に繰り返し続ける、ということにはならない可能性が高い。

 









 たとえ突然死だったとしても弾のような速さで全てが終わるわけではないだろうし、自分の身体に起こっていることを常に頭の片隅に置いておけば、それを理解する時間くらいはあるはずだ、と考えた。














 だから、自分は新しい世界を見ることが出来るかもしれない、という期待。





 そしてその新しい世界で、もしかしたら、もうここにはいない仲間たちに、会えるかもしれない。

 













 ――あいつにだって。

 




 ふと、あの街に残してきた同僚のことが頭に浮かんだ。












 あいつは今、自然に囲まれているだろうか。



 緑に包まれた美しい街並みを、見ることが出来ているだろうか。









 かつて同じ街で生き、共に士官として一個大隊を率いていたときの記憶が蘇る。

 









 それは戦時下で、辛い経験の方が多かった。






 だが、任務と任務の合間にある(ささ)やかな休息の時間に交わした温かな笑顔のことは、今でもよく思い出せる。











 記憶の中の笑顔につられて微笑みが浮かび、胸が温かくなる。












 それなのに、温かくなった胸が鼓動を落ち着かなさげに速めている。










 まるで、何かを訴えかけるように。







 きっと、友に関することなのだろう。












 だが、それ以外に全く思い当たらない。












 自分の心なのに、その声を汲み取ることが出来ない、という事実に激しいもどかしさを感じていた。

 












 その村に足を踏み入れたのは、そんな時だった。





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