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楽園  作者: 雨宮寿霖
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第二十二話 自然

 


 煙るように咲き乱れる花々の中、一片(ひとひら)の花弁が頬に舞い落ちる気配で目を覚ます。

 




 ひんやりとした木立の中で汗を拭い、地平線の向こうに湧き上がる雄大な白さを、目を細めて眺める。

 




 木々の織りなす錦繍(きんしゅう)が美しく山を染め上げる中、鏡のような湖面の側で口に入れた木の実のじんわりとした甘さを堪能する。

 




 白銀に包まれた世界の中、赤く染まった指先に息を吹きかけて後ろを振り返ると、一人分の足跡がどこまでも続く真っ白な新雪に刻まれていた。


 















 自分に生きる意味を与え、手を差し伸べてくれたあの村を発ってから、世界の全てが一層美しく感じられた。









 それは、今まで一方的に美しいと感じていた自然が、初めて意思を持って自分にその魅力を見せてくれたかのような、自分をこの世界に共に在る者として受け入れ、その懐に抱き、仲間に入れてくれたかのような。














 この世界のどこにいても、自分は一人ではない。










 そんな例えようもないない程の安心感を覚えるようになった。















 しかしそれはあくまでも自分の感覚であり、自然物に感情が芽生えて実際に自分を仲間として認識してくれている訳ではないことなど、承知している。











 きっとこの感覚は、“自信”なのだ、と思う。












 今まで旅をする中でずっと心の奥底にあり、時折顔を出しては自分の感情の全てを支配していたもの。









 それは“負い目”であった。















 人間が、戦争を始めた。





 人間が、自然を破壊した。















 確かに自然が人間の生活を破壊することもある。










 だがそこに、悪意はない。



 憎悪はない。



 敵意はない。














 自然はただ、この世の(ことわり)に従って動く。












 しかし人間は、人間の持ちうる負の感情そのものを正義と見做して、気に入らないものを破壊する。










 それは、何よりも(たち)が悪かった。







 相手も同じ人間であると知っていて、相手の営みを破壊したら何が起こるかを知っていて、相手がどのような感情を抱くかを知っていて、それを行った。











 緻密な計算と小難しい実験を行って兵器を開発する能力はあっても、それによって生み出された怨みが子々孫々にまで引き継がれ、負の連鎖を生み出すという簡単な想像は出来なかったらしい。















 相手を苦しめたい、相手が苦しむところを見たい。













 そうした思いに支配された戦争は、他者の痛みに不寛容になりがちな人間が陥った、最大にして最悪の過ちであった。











 そしてそれは、自然の美しさまでも消し去った。


















 ミサイルの実験で山を吹き飛ばしたから、土砂崩れや山火事の心配をすることは無くなった。







 だが山を住処としていた生き物たちやそこに生えていた植物たちが失われたことによって生態系が少しずつ狂い始め、真綿で首を絞めるようにじわじわと人間の生活を苦しめていった。













 地上からロケットを打ち上げたり、宇宙から人工衛星を落としたりすることによって行う気象操作の技術が進歩した(進歩したのは天候を操って敵国を食糧難に陥らせようというような理由からであった)。







 よって、自在に雨雲を操ることが出来るようになり、旱魃(かんばつ)や洪水、台風や大雨による人的被害や農業被害も大幅に減った。














 だが、それだけだった。













 地震や津波には到底打ち勝つことが出来なかったし、気象操作もそこまで万能なものではない。



 豪雨や豪雪、竜巻によって人々が行動を阻まれるという点においては、あまり変化はなかった。














 そもそも、人間が自然を支配しようなど、出来るわけがないのである。












 同じ地球に生きるものとして人と自然は共存してきたとは言え、同じ土俵に立っていると思ってはいけない。









 人は自然から生まれ、自然無くして人は無いからである。



 大いなる自然の中に、人間が内包されているとも言える。










 人に出来ることは、時折発生する自然の脅威に対して適切に対処し、地道に対策を続けていくことだけであった。

 













 しかし戦争を始めた頃の為政者(いせいしゃ)たち(為政者たちだけではないかもしれない)は、人類こそこの世界の中心であり、人類の存在こそこの世界の全ての存在より優れていて、人類こそこの世界を支配するのに相応しい、という高慢を煮詰めて凝縮した液体に脳みそを浸したかのような思考をしていた。

 















 だから、山を削り、地を穿(うが)ち、気象を操ることに優越感を抱いていたのだろう。








 それはまるで、自然を屈服させ、自然を支配しているかのような印象を人々に与えたから。

 














 その頃には、人々は自然が生み出す美しさになど目もくれなくなっていた。






 目の前の敵をどう排除すれば良いのか考えるのに忙しかったから。














 人間が、戦争を始めた。




 人間が、自然を破壊した。












 そして自分も、人間である。


















 旅を始めて(しばら)くはこのように考えていて、歩くときは背中が丸まってしまうことが多かった。

 










 どんなに自分が自然を美しいと思っていても、自然は自分のことを醜いと思っているかもしれない。






 自分のことしか眼中にない、憐れさを(もよお)すほど利己的な生物の一員として、自分を見ているかもしれない。

 









 それは山間(やまあい)や自然に還りつつある場所などでよりひしひしと感じられたことだった。














 自分を取り巻く自然の、なぜこのような生き物を生み出してしまったのか、というような諦念を含んだ疑問、怒り、侮蔑、憐れみと言った感情を込めた視線が四方八方から肌を刺しているようで、そんな目に見えない針のような抗議の視線から逃れたくなることもしばしばであった。














 

 だが、今は違う。








 人と共に生き、共に生きる人を守ろうとした人々がいることを知った。
















 人を憎み、貶し、拒絶しながら妬み(そね)んで、暴力を恃みに自らの優位性を保とうとするのではなく、人を愛し、信頼し、全てを投げ打ってでも“人”としての在るべき高潔な生き方を貫こうとした人々がいた。

 














 そして自分は旅をすることでこの世界を、人を知ろうとしたからこそ他者に信じられ、その想いを理解することが出来た。

 














 それに気付き自信を得て胸を張って歩けるようになってから、例えば路傍に咲いている花を一輪見るにつけても、それが無感動に自分に姿を見せているのではなく、まるで笑顔を持って自分に接してくれているような、とても仲の良い隣人に明るく挨拶をされたかのような、そんな印象を抱くようになっていた。

 
















 世界の全てが輝いていて、世界の全てが温かく自分を受け入れてくれていた。










 あの村を発ってから(しばら)くは人生で一番と言えるほどの幸福を味わっており、心が温かな光で満たされていたように思う。

















 だが、そうした全てが満たされた状態は、長くは続かなかった。




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