第二十話 人類の灯
封筒を胸に抱えて、再び村の建物を巡る。
幸いにして目的の物は、探し始めてから訪れた一軒目の家で見つかった。
金属製の入れ物。
丁度封筒と同じくらいの大きさで、少々錆び付いているが問題ないだろう。
近くにあった傷みの激しいテーブルに、見つけた箱と封筒をそっと乗せる。
それは意外にもしっかりとした造りで、留め金具で蓋を固定できるようになっていた。
パチリ、と金具を外し、蓋を持ち上げる。
ギギギ、と軋む蝶番の錆の抵抗にやや苦労しながら、蓋を開けた。
中を見ると、空だった。
それに満足して、箱の横に置いた封筒を手に取り、中から写真を一枚、優しく取り出した。
決して折れないように、自らの手で汚すことがないように、慎重に、慎重に、箱に納める。
綺麗に五列に並び、こちらに向かって微笑む村人たち。
そう言えば、この手紙を書いたのは村長だろうか、とふと思う。
もしそうなのだとしたら、大体一番前の列の中央に座っているはずだ。
箱の底に置かれた写真に顔を近付ける。
写真は解像度が高いとは言えず、しかも大勢を一枚に収めるために少し離れた場所から撮られていたため、余計一人一人の顔の判別がし難くなっていた。
それでも、最前列の中央に座る人物に、目が吸い寄せられる。
日に焼けた精悍な顔つきに、長い年月を生きたことを示す、雪のように純白な髪。
短く整えられた同じ色の髭が、もみあげから顎の下、口の上までを覆っていた。
背筋を伸ばし、堂々とこちらを見るその姿から、白い髪や髭はまだ早いのではないか、と見る者に思わせる力があった。
写っている村人たちの笑顔からも、良き統治者であったことが窺われる。
顔を離し、姿勢を正して写真を見つめた。
自らの存在を写真に残し、想いを文字に起こして他者に託すことを決めたのは、村人の総意によるものだろう。
「ありがとう。貴方方のお陰で、救われた」
万感の思いを込めてそう告げ、蓋を閉める。
完全に蓋が閉まる直前、写真の中の彼らが、微笑んでくれた気がした。
封筒を大切に鞄の中にしまい、箱を抱き締めて広場に戻る。
広場に続く道や集会所のような建物、その周囲に広がる林などの距離から中心部と思しき場所に目途をつけ、見付けてきたスコップを大地に挿し込んだ。
先ほど雨が降ったのは幸運だった。
土が湿って柔らかくなっているため、想像よりも腕の筋肉を使わずに楽に掘り進めることが出来た。
このスコップも後で返さなきゃな、と思いながら、雨や風に簡単に晒されることがないように、出来るだけ深く、掘り続ける。
途中で何度か休憩を挟み、額の汗を手の甲で拭いながら作業に没頭していたが、指の先から肘までが埋まるほどの深さを掘ったところで顔を上げ、息を吐いた。
スコップを置き、膝立ちになりながら傍に置いていた箱を両手で持ち上げる。
最後に目に焼き付けるように眺めてから、ゆっくりと穴に納めた。
棺桶と呼ぶにはあまりに粗末な金属の箱。
それでも、彼らが羨ましかった。
形あるものはいつか滅びる。
どれほど豪奢な箱に入れられても、どれほど美しい宝物が共に在ろうとも、時が経てば、それは朽ちてなくなる。
人々の記憶と共に。
全てが朽ち果て、人々の記憶からも自身の存在が消えたとき、後に残るのは完全なる“無”である。
もし、たった一人で、人が滅多に足を踏み入れないような山奥に、都市から遠く離れた閑地に、埋められたとしたら。
何十年も、年百年も、或いは何千年も、この世界から身体が消え去った後も、土の中でたった一人。
やがて自分という存在を顧みる者がいなくなった時の、虚無という名の冷たさほど、恐ろしく残酷な物はないだろう。
冷えた輝きを放つ美しい宝飾品に囲まれるより、一人でも誰かが側にいてくれる温かさの方が、遥かに幸福なのではないか。
だとしたら、自らが生まれ、育った場所に、家族同然の人々と永遠に眠りに就くことが出来る彼らを、不幸だと嘲笑うことの出来る者など、この世にはいない。
上から、静かに土を掛ける。
二度、三度と繰り返すうちに本体が隠れ、蓋が見えなくなる。
地表と同じ高さまで土を入れ、スコップの底で何度か叩いて表面を均した。
少し迷ったが、墓標を作ることにした。
誰かに掘り起こされるんじゃないかと心配したが、よく考えなくても、もうそんな“誰か”はほぼいないことに、すぐに気付く。
それに、この期に及んでわざわざ農村にある墓を掘り返してまで何かを手に入れようとする人間などいないだろう、と思い直す。
何か、墓標になるような良い素材はないだろうか、と思い巡らし、村中を歩き回った。
この村から住人が去ってどれほど経ったのかは分からない。
だが、家の壁が朽ちて剥がれ落ちたと思われる木の板が至る所に落ちていた。
その中でもある程度の幅と長さがあり、状態の良いものを見繕った。
後は何か、木の素材に字を書ける道具があれば。
家々を回っているときに気付いたことだがが、この村の人々は字を書く習慣があまり無かったらしく、筆記用具を見かけなかった。
そのため何か他の物を組み合わせて代用できないかと、何軒か家を回って小さなブラシを見付けたが、インクの方が見付からず、途方に暮れる。
手紙には、写真を埋めて欲しいとだけあった。
だが自分は、例えいつか消えてなくなるとしても、一日、いや一秒先だっていい。この世界そのものに、彼らという存在を知って欲しかった。
それは、ちょっとした矜持に近いものかもしれない。
人類の愚かな行いをずっと見続けてきた世界に対して、細やかながらでも示すための。
彼らは――、と考えたところで、ハッとする。
彼らを知ったのは、手紙だった。
その手紙は、インクで書かれていた。
そのインクは……。
確証はなかったが、集会所に向かう。
入って右側の壁際にある事務机の引き出しを上から順に開けていく。
――あった。
一番下の引き出しの中、紙の束が積まれた上にぽつんと、そのインク壺は乗っていた。
蓋を回して開けると、インク特有の香りがふわりと漂う。
中身は全く乾いておらず、少し手を揺らすと黒い波が瓶の中で踊った。
よし、と声を挙げ、嬉しさに逸る心を抑えながら、テーブルだった板を取りに行った。
そしてやっと広場の地面に諸々の道具が揃った。
小走りで板を取って戻ったため、乱れた息を整える。
墓標に書く文言は、決まっていた。
一つ、大きく深呼吸してブラシを手に取り、インク瓶に浸す。
願いを記した手紙と、願いを叶える墓標に同じインクが使われるのが、何だか感慨深かった。
瓶の縁で余分なインクを切り、板に向き合う。
全ての神経を集中させた、最初の一文字。
目の前の板とブラシ、そして自分が書いた文字だけの世界で、二文字目、三文字目を書き上げていく。
ブラシのインクを補填しながら書き続けること数回。
出来上がった墓標を、立ち上がって眺める。
人類の灯、ここに眠る
うん、と満足しながら頷き、箱が埋まっている箇所よりもやや後方に先ほどのスコップで穴を掘った。
そこに、板の下半分を差し込み、埋め戻す。
2、3歩後ろに下がり、暫くじっと、墓標を見つめた。
彼らは、喜んでいるだろうか。
自分に与えてくれたもの、気付かせてくれたことの、お礼になっただろうか。
見上げた空は潤むような水色で、雨が天を洗い流したかのように、どこまでも晴れ渡っていた。
鞄を背負い、前を向く。
踏み出した一歩の力強さは、彼らがくれた。
これからも自分は、旅をする。
人を、知るために。
高潔な彼らに顔向けできないような生き方を、しないために。
この村で一つ、気付くことが出来た。
それは、
他者と共に生き、他者を想い、他者を守り。
他者を信じることの、喜び。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この話で【中】が終わり、次回から【下】が始まります!
彼の旅もいよいよ佳境を迎えます。
長い長い旅路を通して“人”に対する様々な考えや想いを抱えた彼が、どこに行き着くのか。
見届けていただけますと幸いです。




