表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽園  作者: 雨宮寿霖
19/62

第十九話 手紙

 

 意識を手放す前の、ぼんやりとした視界に映ったものだったため、最初は見間違いかと思った。




 だが、少し目を凝らして気付く。





 乱雑さが感じられる他の家具とは異なり、それには秩序が感じられた。





 少し躊躇(ためら)ったが、結局身を起こす。


 鉛のように重たい頭と身体を何とか立たせて、歩を進める。

 重力が10倍になったんじゃないか、と思うくらい、足が重たい。







 それは、出入り口から見て右脇にある本棚の下にあった。


 置いてある、というよりも、どこからか落ちてきた、といった方が正しいような気がする。




 白い、封筒。





 両(てのひら)を広げたような大きさで、この地域に特有の、複雑な紋様をした封蝋(ふうろう)が押されていた。


 表面に、宛名があった。

 






 この手紙を手にした貴方へ







 何だこれ、と少々面食らう。




 何か厄介事に巻き込まれたら嫌だな、と思ったが、とりあえず中身を確認してから決めれば良いか、と思い直して封を切り、収められていた4、5枚の便箋を取り出す。




 少し黄ばんだ、植物の繊維で作られたと思われる優しい手触りの紙の上には、実直な文字が並んでいた。



 おざなりに文字を書いてきたのではなく、何年も、或いは何十年も誠実に文字と向かい合ってきた者の字だと、直感で分かった。



 手紙は、その顔も知らない真面目な人物からの問いかけで始まった。  



                 *



 突然、手紙の受取人となり、戸惑われただろうか。


 申し訳ない。

 だが、我々は顔も名前も知らぬ貴方(あなた)に、これを託すことを選んだ。

 


 我々は明日、この村を離れる。



 敵の略奪部隊が、山の向こう側にまで迫っていることを知った。



 女や子ども、衣類や食料を奪われ、男は殺される。奴らは略奪という目的のために破壊活動を行うことはあるが、それは必定ではない。

 


 よって、我々は村を明け渡すことにした。




 誰一人として欠かないために、一滴たりとも血を流さないために、そして遥か遠い昔から守り伝えてきたこの場所に、皆で帰ってくるために。

 



 我々は、決してここを捨てる訳ではない。

 必ず、戻ってくる。

 



 だが、もし、何か我々の身にこれ以上ないほどの災厄が降り掛かり、それが叶わなかった場合。

 記憶だけでも、魂のほんの一欠片だけでも良い。




 祖先が眠るこの土地に身体と共に帰ることが出来なくとも、我々がこの場所に生きた(あかし)を残したい。

 ここに全員で帰ってきたのだということを、この土地に、祖先に、後世に、伝えたい。

 




 そこで、貴方に頼みがある。


 この手紙には、写真が二枚同封されている。



 その内の一枚を、村の中央、この建物の前にある広場に、埋めてはもらえないだろうか。




 それだけで、我々は帰って来ることが出来る。


 また、皆で暮らすことが出来るのだ。

 




 そしてもう一枚は、貴方に持っていて欲しい。


 我々は生まれてから、ほとんどこの村を出たことがない。

 外の世界というものを、あまり見たことがないのだ。



 不躾(ぶしつけ)な願いだと分かっている。





 だが、我々を貴方と共に、連れて行ってはもらえないだろうか。





 貴方の見る景色が美しいものかどうかは、分からない。

 しかしそれが、この世界の現実なのだろう。



 我々はその世界を、見てみたい。



 皆で旅をして、皆で暮らす。

 これ以上の願いはない。

 


 再度述べるが、我々は貴方のことを全く存じ上げることが出来ない。

 貴方がどんな経歴を持ち、どういった経緯でここを訪れたのかも分からない。

 



 それでも我々は、貴方を信じる。



 どうか、心より、お願い申し上げる。 



                 *



 ぽたり、と雫が便箋の上に落ち、下に書かれていた文字を(にじ)ませた。



 ああダメだ、折角の手紙なのに、と思い(こら)えようとしたが、ぐっと声が漏れて、(せき)が切れたかのように後から後から涙が溢れる。



 脚に力が入らなくなり、そのまま拝むように膝を突く。

 





 この手紙は、奈落の底で悶え苦しむ自分に射した、一条の光だ。






 この手紙が、自分を絶望から掬い上げてくれた。

 震える手で、便箋を持ち上げる。

 




 ――それでも我々は、貴方を信じる。

 




 紙の上に書かれたその文字を、何度も何度も繰り返し読む。

 



 貴方を信じる。

 



 この言葉が、今までの自分の行いに、意味を持たせてくれた。

 無駄じゃないと、肯定してくれた。



 生きる目的を、与えてくれた。







 もし自分が旅をしていなかったら、この手紙のことは気にも留めなかっただろう。



 ろくな戦力も持たない、相手にするのも時間の無駄だと思うほどの小さな村にいる人間が、迫りくる死の恐怖に抗い、闇雲に他者に(すが)ろうとしているのだ、と解釈したかもしれない。





 人は、自己中心的な、無知と傲慢の塊だと思っていたから。

 




 でも、今は違う。

 旅をして、人を知った。




 他者を憎み、排除しようとするのではなく、命を懸けて他者を守ろうとした者がいることを知った。





 そして彼らも、“人”だった。





 それはひと際まぶしい輝きを放つ、純然たる事実だった。





 長い長い旅の中で人という存在の本質をやっと、ほんの少しだけでも理解出来たからこそ、そこに書かれている村人たちの純粋な願いを、(あやま)たずに真っ直ぐ、全身全霊で受け止めることが出来た。




 旅をしていたからこそ、信じてもらうことが出来た。

 



 そうした輝きを放つ人間の側面を、未来に繋いでいく(すべ)がもう残されていない、この絶望と苦しみは、理解した者にしか得られないのだと、教えてくれた。






 人を、他者を思いやり、共に生きることの得難さを理解したからこそ、得られた苦しみだった。


 だからこそ、誰かに望みを託される喜びも、知ることが出来た。

 





 それだけで、「貴方も人を信じることが出来るのだ」と、教えてくれた気がした。








 そして彼らは、この世界の現実を見たいと言ってくれた。




 他者と共に生き、他者を想い、他者を守り、死してなお共に在ろうとした彼らの最後の願いも、世界を知ることだったのだ。





 彼らと同じ望みを抱いていたこと、そして彼らも自分と共に行きたいと願ってくれたことは、何よりも救いとなった。


 それは、あまりにも真っ直ぐで高潔な彼らに、少しでも受け入れられたような気がして、何にも代えがたいほどの喜びだった。







 ――どうか、心より、お願い申し上げる。







 手紙を胸に押し抱き、嗚咽を漏らしながら、何度も何度も頷いた。



 もちろん。



 貴方方(あなたがた)が自分の全てをこの世に繋ぎ止め、意味を持たせてくれた。

 生きる意味を見失い、地に倒れ伏していた自分の手を取ってくれた。





 圧倒的他者である自分を、信じてくれた。





 だから今度は自分が、貴方方の生きた(あかし)を、この世に刻み付けたい。

 自分の全てを懸けて、恩返しがしたい。










 不意に手紙が淡い光に照らされ、白く柔らかな光を帯びる。



 雨が止んでいた。


 所々に出来た薄墨色の雲の切れ間から、透けるように薄い光が幾本も降り注ぐ。

 




 暖かいその光はまるで白いベールのように、涙に濡れた頬を優しく(ぬぐ)っていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ