第十三話 青二才
曖昧だった「おかしい」という疑念は、この瞬間に確信に変わった。
こいつのことはよく知っている。
家が隣だった。
子どもの頃から幼馴染として共に育ち、学び、親友と言っても差し支えない関係だった。
しかし友は従軍して表社会に残り、自分は裏社会に身を置くようになってから疎遠になっていたのだ。
「数年の間に性格が変わったのかと思ったさ」
人は置かれた環境によって人格が変わる。
厳しい従軍生活か何かのせいで温厚な人柄が失われたのではないか。
衝撃と疑念と困惑がぐるぐると渦巻く脳内に、依頼人の男の声が混ぜ込まれる。
この男は軍でそこそこの地位にいることを鼻にかけて、国を防衛するための策に我を通すような意見を押し付ける。会議の度にでしゃばるから作戦行動が遅々として進まない。更迭しようにもどこにも空きがない。そこでこれまでの働きに免じて職務中に殉職したことにして、死後にそれ相応の位階も与えるつもりだ。
ぼんやりとした頭でそんな説明を受けても、最初に出てきたのが、まさか、という思いだった。
あの男は賢いから国のために何か有益な意見を述べることはありうるとしても、国の命運がかかる軍の作戦会議で他の意見を押しのけてまで自分の意見を通そうとするほど傲慢ではない。
なにより、あの男は目上の人間を立て、自身は謙虚さを具現化したような人間である。
人を不快にさせるほど我を通すことなどありえない。
仮にその場において最善の策だと考えられるものを思い付いたとしても、“でしゃばる”ことは万が一にもないはずだった。
それとも、やはり性格が変わってしまったのか。
メルダーは、実際に任務を遂行する前に情報収集を行うとは言っても、それはその人物の住居やら職場やらに向かって本人と写真との照合をし、間違いがないことを確認する作業のことである。
そのため、基本的に「こいつを殺せ」と言われたら、人違い防止と作戦の計画を立てる以外の目的で情報収集は行わないため、標的の性格やら人柄やらは本来調べもしないのだ。
だがこの時ばかりは、何もしない、というのは流石にできなかった。
「何があいつの身に起こったのか知ろうとして、俺は秘密裏にあいつを調べ始めた。無論、これは職務の範囲外だ。普段ならやらねぇ」
ただ、と言って男は遠い目をした。
「あいつは俺の知ってる奴だった」
俺が殺した他の人間と違うのは、その一つの事実のみだった、と淡々と述べる。
スパイは基本的には情報を盗み、メルダーは命を奪う。
その過程において重なる部分は多いため、メルダーはスパイと同じような技術を仕込まれる。
自分が持つそれらの技術を駆使して、友の身辺を探った。
友は結婚し、子どもにも恵まれていた。
気立ての良い妻がいて、まだ小さい息子と娘がいて、ありふれた平凡な家庭だが、それでもそこにあふれる笑顔を見れば、そこが彼にとってかけがえのない幸せな場所なのだとわかった。
職場である軍では大尉として、戦隊の総隊長として戦地にまで赴くこともあるようだった。
総隊長として実際に戦地で交戦中に指揮を執り、大勢の命も預かる立場であるため、作戦前の会議では自分の意見に熱がこもりがちなのだろうか、という予想は掠りもしなかった。
事前に仕掛けた盗聴器で会議の議論を聞く限り、友はいたってまともだったと思う。
〈大佐、恐れながらその策では友軍に死にに行けと命じているのと変わりないのではないでしょうか〉
〈東部戦線は死守せねばならん。あれが突破されればこの国の大半が失われる。
お前のところの小隊を殿にして相手の戦力を減らしたのちに私の部隊が追撃を始める〉
〈その殿は必要でしょうか。我が国は高性能の無人航空機を多数保有しております。人を向かわせるのではなく、弾道ミサイルなどで一網打尽にするのが最善だとは考えられませんか。
相手も敵部隊と真っ先に会敵する地点に歩兵は置かないでしょう。戦車砲などが必ず配置されています。
私は、部下をむやみに死なせたくはありません〉
〈国を守って死んだのだ。名誉なことだろう。そうだ、殿の指揮はお前が執れ。
お前は有能だからな。それくらい容易いだろう。
安心しろ、立派に殉職したと記録にも残しておいてやるし、家族にも便宜は図ってやるよ〉
〈……っ。お持ちください! 彼らはこの国の未来を担う若者たちです。
やがてはこの国を背負い、太古の昔から繋いできた人類の営みの全てを、100年、1000年先へと届ける我々人類の希望なのです‼
そんな貴重な人材を、今、我々の手で、無駄に失っても良いのですか‼〉
〈黙れ青二才が! 飼い犬は賢く、かつ従順でこそ可愛がられるという至極当然の事実を知らないのか? 飼い主に吠え立て、あまつさえ噛み付く駄犬など殺処分が相応しいだろう。
おい、なんだその目は。恨むんなら、可愛げのない自分自身を恨め〉
なし崩しのように会議は終わり、上官が退席する音とともに友がいまだに抵抗を叫ぶ音、周囲の有象無象が仲裁に入る音が混じり、混沌とした雑音が耳に流し込まれる。
「ふざけるな、と思ったさ」
議論は大佐と呼ばれた男と友との押し問答のような形が大半を占め、周囲にいるはずの人間はほぼ口を挟まず、大佐のYESマンで固められていた。
その大佐は何を隠そう自分に殺しの依頼をしてきた男だったが、奴の言の端々に明確な嫉妬の念が込められているのは手に取るように分かった。
友は、頭脳明晰だった。
佐官以上は基本的に国の政治家たちの縁者か伝手があるか、もしくは一部の将校に見出された本当に有能な人間のみであり、基本的に軍人としての能力を備えているのは将官で、この頃には佐官など腑抜けの集まりのようになっていた。
そんな中で、友は持ち前の頭の回転の速さを恃みに次々と武功を立て、尉官の最上位である大尉にまで上り詰めた。
そんな彼が上の人間の目に留まらないはずはなく、たびたび中将の邸宅に招かれているらしい。
つまり、彼が佐官へと昇進するのもそう遠い未来ではないということである。
――叩き上げの大尉風情が。
――佐官を蔑ろにして中将に取り入って。
――我々を見下して。
そんな怨嗟の声が軍本部のあちこちに仕掛けた盗聴器から漏れ聞こえた。
「あいつらが結局のところ何をしたいのかわからなかった。同胞と知恵を出し合い、敵から市民の安寧を守り抜きたいのか。自分自身の栄華栄達のために真の有望な軍人の未来を壊したいのか」
答えは明白だった。
奴らにはもはや国を守る気などない。
自分がもう二度と得られない“若さ”と、“才”を持つ者を妬み、己の出世のみを望んだ。
本当は、友のような男がいる世界が普通なのだ。
彼のように部下を想い、他者を想い、国を想って、自らが置かれた地位と、それに付随する力を行使するべきなのだ。
自らに下された肩書の、その重みと義務と責任を、本当に理解していた者があの中に果たしてどれほどいただろうか。
――国を防衛するための策に我を通すような意見を押し付ける。
依頼してきた大佐の言を思い返して失笑が漏れた。
国を防衛?
我を通す?
だったら殿の指揮は自分で執ってみろ、有能な大佐様なら簡単なことだろう。
――会議のたびにこの男がでしゃばるから作戦行動が遅々として進まない。
自分と部下が無駄死にさせられそうになってるんだ、当たり前だろう。
むしろよく耐えた方だ。
自分がどれほど忠実に依頼をこなそうが、国を守るべき職務についた人間が恐ろしいほど腐っていた。
大佐は自分に殺しの依頼をしたくせに、その上さらに敵前線部隊の殿という網で友を絡めとろうとしている。
そこに、なんとしてでもこの若くて有望な大尉を消しさりたいという醜い執念が垣間見えた。
果たして、自分は戦争を止める手助けが出来ていたのだろうか。
善良な国民の命を、何度も何度も刈り取ってきたのではないか。
立身出世と、それに伴う薄っぺらいプライドの妨げだと判断された、依頼という名の、究極の自己愛によって。
高潔な人間が消えていき、卑劣な人間によって命運が握られつつあるこの国は――。
もうすぐ滅びる。




