異世界、創ります。
目が覚めたら、白い天井が広がっていた。
……というのは嘘だ。正確には、天井すらない。空間に色も匂いも重さもない。ただ、何もかもがない。
それなのに、俺は、なぜか意識だけがこの無の空間に浮かんでいた。
「……あれ?」
自分の声が出たことにも驚いた。口があるのか? 喉は? 息をしてる感覚すらないのに、声だけが浮かぶように響く。
(俺……たしか……)
思い出す。深夜、コンビニに買い出しに行って、赤信号を無視して突っ込んできたトラック。急ブレーキの音、砕けた骨の感覚。そして——
「死んだ……のか?」
認めたくなかった。でも、目の前に浮かび上がった謎のウィンドウが、すべてを説明してくれた。
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《異世界転生ネットワークへようこそ》
《あなたは天寿を全うする前に事故死しました》
《死亡者ID:JP-MURAKAMI-1988-00112》
《異世界再生プログラム『イセ・ネット』により、第二の人生をご案内します》
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「は……?」
状況を理解するのに数秒かかった。
天寿を全うできなかった人間に対して、異世界でもう一度人生をやり直せる——そんなアフターサービスみたいなものが、現実には存在するらしい。
俺の前に、今度は“受付カウンター”としか思えないデスクと、妙に事務的な雰囲気の女性が現れた。
肩までの黒髪、眼鏡、無表情。パソコンではなく、なぜか羊皮紙を見ながらカタカタと羽ペンを動かしている。
「……村上拓摩さん、ですね。お待ちしておりました。担当AIの“セオリー”です」
「AI?」
「はい。魂再生補助人工知能。あなたの魂に適切な異世界と肉体を割り当て、第二の人生を支援するのが私の役目です」
「えぇ……」
夢だと思いたいが、夢にしては明晰すぎる。思考も感覚も、やけに冴えている。事故で死んだ記憶も、生々しく残っている。
「それで……俺、どうなるんです?」
「通常は、既存の“他者が構築した異世界”に転送されます。魔法が使えたり、スライムがいたり、剣とドラゴンのファンタジー世界が人気ですね。人生再設計データベースから、性格・願望・前世での未練などを反映し、最適な転生先を提示できます」
「……最適、ねぇ」
俺は考え込む。たしかに、やり直したいことは山ほどある。会社のブラックな職場。報われなかった努力。友達も、恋人もろくにできなかった青春。
でも——他人が作った世界に、ただ放り込まれて“やり直せ”ってのは、何か違う気がした。
「自分で世界作るって……できます?」
セオリーの手が止まった。
「……はい?」
「俺が世界そのものをデザインして、そこに転生できるって、ありですか?」
言ってから自分でも無茶を言ったと思った。だが、セオリーは羽ペンをくるくると回しながら、冷静に応じた。
「理論上は可能です。“創世型転生”と呼ばれる上級メニューです。ただし——」
「ただし?」
「構築には、あなたの“記憶・経験・思想”がベースになります。現実的には多くの不整合や不具合が発生するでしょう。成功率は……低いです」
セオリーは微かにため息をついた。
「前例もありますが、大半は早期死や崩壊によって中断されています。おすすめはしません」
それでも、俺は言った。
「……やってみたい」
この瞬間だけは、不思議と強気になれた。
「何かを自分の手で形にしたい。今までの人生、そういうこと一度もなかったから」
「……わかりました。では、創世開始します」
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そこから、世界の設計が始まった。
セオリーが用意した“創世エディター”という画面は、ゲームのマップエディターのようで、けれど異様に複雑だった。大陸の地形、気候、動植物の進化系統、文化、通貨、宗教、言語、技術レベル。
思わず頭を抱える。
だが、やっていくうちに、楽しくなってきた。
「ここは草原にして、風が一年中吹いてる感じに……あ、この大陸、海の上に浮かせよう。飛行石的なアレで!」
現代知識と中二病が融合し、どんどん世界が形になっていく。
言語は日本語ベースで、文字は漢字風。魔法は使えるが、数式と論理体系で動く“数理魔法”。ドラゴンは生態系の頂点にして、人語を話す種族。
さらに、技術は中世ベースだが、エネルギー源として“魔核”が存在。工学と魔術が交差するスチームファンタジー。
……だんだん、凝りすぎてきた自覚はあった。
「これ……動く?」
「完成はしました。ただし、動作不安定な部分が複数あります」
「ま、まあ、作ったものは体験してナンボだろ」
「自己責任でお願いします」
俺はセオリーに苦笑しつつ、転生ボタンを押した。
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——次の瞬間。
俺は森の中で目を覚ました。
呼吸が、できる。体が、ある。土の匂い、風の音。すべてが、本物だった。
「うおぉ……本当に……異世界だ……!」
その感動も束の間——
すぐに、現実が俺を襲った。
空が赤い。赤すぎる。昼間なのに夕暮れのよう。しかも、空気が妙に湿っぽく、重い。あれだけ考えた気候制御が、完全にバグっていた。
「おいおいおいおい……!?」
地面を踏むと、草の根から“ピュッ”と赤い霧が噴き出す。植物が呼吸してる? いや、これは有毒ガス……!?
足元の虫を観察していたら、突然——
「ギィィィィイ!」
見上げた空から、巨大なトンボみたいな生物が突撃してきた。しかも目が六つある。しかも金属音が鳴ってる。しかもレーザー撃ってきた。
「いやまて、なんで魔核生物が昆虫に適用されてんだよ!? 生態系壊れるって!」
あわてて逃げようとして、足がもつれ、斜面を転がる。
気づけば、崖から落ちていた。
そのまま意識を失う。
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次に目を開けたとき、そこは洞窟だった。焚き火の火が揺れている。
隣には、少女がいた。銀髪で、妙に無表情。左目に“+”のマーク。何者だ。
「……目覚めましたか。創造主様」
「は?」
「私は、あなたの作ったこの世界で最初に生まれた存在。システム精霊、名称“リア”です」
「……あ、あぁ。システム管理AIみたいな?」
「はい。ですが、あまりにも多くの欠陥が発生しており、世界そのものが崩壊の兆候を見せています。魔核濃度過多、生態系の暴走、言語コードの不整合、天候制御オーバーフロー……」
俺は頭を抱えた。
「つまり……このままだと?」
「あなたは、この世界で天寿を全うするどころか——一週間と持ちません」
「おいぃぃぃ!!」
苦労して作った“俺だけの異世界”は、欠陥だらけのデスゲームだった——
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俺がこの世界を作った——その事実が、重くのしかかっていた。
焚き火の炎が揺らめく洞窟の中、リアは表情ひとつ変えずに状況を説明してくれる。
「まず、魔核濃度の設定が地表付近で最大値に固定されています。結果、生物の魔力過多による突然変異が発生。あなたが遭遇した“金属音を出すトンボ”もその影響です」
「そんなバカな……濃度調整スライダー、ちゃんといじったはずだぞ?」
「“初期値:中”を“高”に変更したうえで、バグで最終的に“最大”になっていました。しかも、その設定が天候制御にも連動しています。だから空が赤いのです」
「いや、赤って……もうそれ終末世界じゃねぇか……」
リアはさらに続ける。
「加えて、“数理魔法”のコード体系が複雑すぎて、一般生物どころか精霊クラスでも扱いきれていません。事実上、魔法が誰にも使えません」
「うわあああああ!! なんでそんなとこまで凝ったんだ俺ぇぇぇ!!」
勢いだけで作った世界の末路。それが今、俺の目の前にある。
「じゃあどうすりゃいいんだよ……もう一度最初から作り直すとか……」
「不可能です。一度創世転移を行うと、再設計はできません。あなたの魂はこの世界に強く結び付いています。終了するには、肉体の寿命を迎えるか、死亡する以外に方法はありません」
「死亡……って」
俺は震えた。
「この欠陥だらけの世界で、一生サバイバルやれってのか……? そんなの、無理に決まってる……!」
そう思った。なのに——
「……創造主様。あなたは、この世界に名前をつけています」
「え?」
リアが手のひらをかざすと、宙に金文字が浮かび上がった。
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《世界名:ヘリカル・オルビス》
《創造主:村上拓摩(Creator ID:JP-MURAKAMI)》
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「世界に名前を与えるのは、“捨て子に名を与える”ことと似ています。あなたは確かに、未熟な設計者でした。けれど、あなたはこの世界に、自分の意思で名をつけた」
「……それが、どうしたってんだよ」
「それはつまり——あなたが、愛しているということです」
ぐっと言葉に詰まった。
……たしかに、楽しかった。エディター画面の前で、世界を作っていたとき。俺は夢中だった。楽しくて、ワクワクして、自分が自分でいられた。
いま思えば、それは初めての「何かを生み出す喜び」だったのかもしれない。
「……だったら、せめて、生きてみるか。この世界で」
「はい。それこそが、あなたに残された唯一の選択です」
リアが手を差し出す。
「私は、あなたが作ったこの世界の“運営補助AI”です。完璧には程遠い存在ですが、精一杯サポートいたします」
俺はその手を、強く握りしめた。
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そこから、俺の“世界修復生活”が始まった。
まず着手したのは、気候制御。
「大気エンジンの初期パラメータが、最大値で固定されてる。リア、この書き換えって……できる?」
「できますが、書き換えは“魔導端末”を通じてでしか行えません。しかも魔導端末は“アルビオン浮遊城”に格納されています」
「……浮遊城って、あの空飛んでる大陸か?」
「はい。創造主様が設計されました」
頭を抱える。
「自分で作ったのに、自分で登れないってどういう世界設計なんだよ……!」
それでも俺は動いた。
リアと二人、毒霧を避けながら山を越え、川を渡り、時には魔核暴走した野獣と戦い、時には古代遺跡に潜り込んだ。
途中、リアの魔力が暴走し、無限に焚き火を生み出し続けたり、気温が日中150度・夜間マイナス40度という地獄のような砂漠に迷い込んだりしたが、俺は生きていた。
なぜなら——この世界は、俺が作った世界だからだ。
間違っていても、不完全でも。
逃げることは、できなかった。
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そして、ついに浮遊城“アルビオン”にたどり着いた。
空を支配するようにそびえ立つ、大地の塊。浮力制御には“反重力魔核”が使われており、中央制御塔にアクセスすることで、世界全体の設定に干渉できる。
だがその前に、“門番”が現れた。
その姿は——俺自身だった。
「なんだこれは……?」
「創造主様の“記憶と思想”の写しです。自己審査を行う設計になっています。あなた自身が、あなたを試す最後の試練です」
俺の写しは言った。
「よぉ、俺。お前、まだ生きてんのか?」
「……ああ、死にかけたけどな」
「笑えるな。あのとき、全部面倒になって、ただ自己満足で作っただけの世界だったのに、今さら直そうって?」
「そうだよ。だから俺にしか直せない。文句あるかよ」
写しの“俺”が剣を構えた。
リアが小声で言う。
「これは、精神の投影です。実体はありません。ですが——負ければ、精神は崩壊します」
「十分すぎるほど、死にかけてきた。今さら怖くなんかない」
俺は、一歩踏み出した。
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戦いは、短くも激しかった。
かつての俺が持っていた怒り、後悔、諦め、絶望。全部が剣に宿っていた。
だけど——今の俺は違う。
リアと歩いた日々、命がけで越えた山、作物を育てた畑、眠れぬ夜を越えた洞窟。
それらが、俺の背を押した。
やがて——剣が砕け、写しの俺が言った。
「……ようやく、“世界”と向き合えたな」
そして、消えた。
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中央制御塔にアクセスすると、そこには全世界の管理パネルがあった。
気候調整、魔核濃度、魔法コードの簡略化、生態系の安定化、言語整備、都市の配置再構成。
すべてを、リアと一緒に調整していく。
「……ようやく、スタート地点に立てた気がする」
「お疲れ様です、創造主様」
俺は、空を見上げた。
空の色が、青かった。
今までずっと赤だった空が、ようやく“普通”になった。
リアが、小さく笑う。
「この世界、ようやく“世界”になりましたね」
「ああ、俺の、俺だけの異世界だ」
そう言って、俺は、笑った。
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それが、俺の“異世界創世譚”の始まりだった。
終わりではない。ようやく、人生を始められた気がした——今度こそ、自分の足で、胸を張って。