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第21話 あの日喪ったもの

「…いい?晃。私が誕生日プレゼントを買うまで、お母さんを何としてでも足止めするのっ」

「あらー。責任重大ねー晃?」


その日、俺達柊家と柳葉家の母子は、町から数駅離れたショッピングモールへと買い物にやってきていた。


目的は、もうすぐに迫る椿さんへの誕生日プレゼントの調達。

お手伝いのお小遣いがそこそこ貯まったという燕は、お袋のアドバイスを頼りに今日こそこれぞというプレゼントを見つけ出すという。


だが、椿さんは前職のこともあって、大変物事の察しが良い。だからあくまで自然を装って椿さんを足止めするという任務を、俺は燕から申しつけられていた。


「…別に母ちゃんがやってくれてもいいんだけど」


そんなの無理に決まってる。

どう見てもそっちの方が簡単そうな役目を請け負ったお袋を、この時の俺は憎たらしく睨んでいた、と思う。


「お母さん演技下手くそだから〜。ほら、どこからどう見てもか弱くて儚い可愛らしいおばちゃんでしょ〜?」

「確かに演技ヘッタクソだぁ」

「教育的指導♡」デコピンッッッッッ!!!!!

「いっっっづ!!!!!」


ふわふわしたお声から繰り出される狂気の一撃。

おでこ吹き飛んだかと思った。


「うふふ」


俺が家庭内暴力を振るわれる決定的な現場を、ベビーカーに乗った雲雀と一緒に椿さんは微笑ましく眺めている。現行犯です逮捕してください。


「あらあら、つぅちゃん。お母さんは仲間外れ?お母さん、公衆の場で堂々と泣ける人間だけど、いいの?後悔しない?お母さんは『やる』わよ?」

「な、仲間外れなんてしてない…!というか、みっともないから本当にやめて……!!…あ、あ、晃!頼んだからね!お願いね!!行こ!おばさん!」

「イエスマム」

「いえすまむ〜♪」


焦った燕に手を引かれて、依然としてマイペースなお袋が楽しそうにもう片方の手をこちらに振りながら奥へと消えていく。


「うふふ…。燕ったら、一体何を隠しているのかなー?晃君は知ってる?」


残されたのは、全て分かった様な顔で笑っている椿さんと、それを理解出来ずに必死に頭をフル回転させる馬鹿と、すやすや寝る雲雀。


「…さあ、何かな。あいつはいつもそそっかしいから分からないや」

「…ふふ。そうだね。晃君がいつも傍にいてくれて助かってるよ」

「…まぁ、もう慣れたし」

「せっかくだしおばさんも面倒見てもらっちゃおうかな?なんちて☆」

「嫌だよめんどい」

「どばぁ」

「泣かないで!?」


『やってみせた』椿さんを、周りの人達が何事かと目を向けている。何せ、幼子二人に囲まれて大の大人が泣いているのだ。誰もが『は?』と思うことだろう。


「あーあ泣かせた。晃君、おばさん泣かせたよ。いっけないんだぁ」

「何で泣いてる本人が偉そうなのさ…」

「覚えておきなさい。涙は女の武器なの。私がこうして命令を聞かぬ昴さんはいなかった」

「悪女…!」

「正義の味方よ。元だけど」


椿さんは昴おじさんと同じ警察だ。いや、警察だった。それも男性に負けず劣らずに優秀だったらしい。

雲雀を身籠ったのを機に潔く退職したらしいが、おかげで、ただでさえ結婚した時に色々やっかみを受けたおじさんは、あの時以上に職員にめちゃくちゃ恨まれた、と笑って話していた。

椿さんのそのまま流れる様に移行する惚気話を、俺は話半分に聞き流す。


『何だ。俺、以外と任務こなせてるじゃん』


この時の俺はきっと呑気にそんな事を思っていたのだろう。

話題を提供しているのは、椿さんだというに。


このまま時を稼いでいれば、二人もとっとと帰ってくるだろう。恐れるべきは、買い物の長いあの女(お袋)に燕が流されることだ。女の買い物は長い。それを俺はあの女から嫌という程思い知った。


それからどれくらいの時間が流れただろうか。


長くはない。けれど短くもなかった、と思う。




そんな時だ。




「ん?」

「……あら…」


にわかに建物の向こう側が騒がしくなったのだ。

それも気の所為でなければ、何処か不穏な様子で。


「どうしたんだろう…?」

「………」


呑気に椿さんを見上げれば、彼女はさっきまでの能天気な顔が見る影も無い真剣な様子で、黙って向こうを観察していた。


「…晃君、雲雀とここで待っててくれる?」

「え」

「ごめんね?すぐ戻るから」


温かい手で俺の頭を優しく撫でて、止める間もなく椿さんが騒がしい渦中の中へと姿を消していく。

思わず俺も追いかけようとして


「う〜……」

「げっ……」


間の悪い事に、おねむだった雲雀が運悪く目を覚ましてしまった。

周りに誰もいない事が分かれば、雲雀は即座に奥義・ソニッククライ(速攻ギャン泣き)を発動させるだろう。そうなれば、それを食い止める手段を持っているのは母親達だけだ。


「ひ、雲雀ー……?」

「う」


急いで雲雀の顔を覗き込んで、俺は必死に笑顔を取り繕う。

俺を見つけた雲雀が大人しくなったのを見届けて、俺は深い溜息をついた。


もしこの時、俺が彼女を追いかけたなら


或いは行くなと押し止めたなら。


何かは変わっていたのだろうか。


いや。


多分、変わらないだろう。




全部、俺が弱かったからいけないんだ。












『晃ー』

「お」


椿さんが姿を消してから間もなく。

椿さんの消えた方とは反対側から、漸く燕が帰ってきた。ほくほくご機嫌そうに包みを抱き締めて笑うお顔に棘はない。


「おせーよ」

「うん、ごめんね」

「「母ちゃん(お母さん)は?」」


「「………」」


綺麗に重なった声に、俺達はただ黙って互いを見合う。

眉を上げて訝しむ俺に対して、燕はすぐに笑顔を取り戻した。


「おばさんね、『晃に似合いそうな上着があったから』って、今レジに並んでるよ。よかったね!」

「おばさんは………」


…そう言えば、まだ戻ってこないか。

向こうは未だに何やら騒がしい。周囲の喧騒にかき消されて何が起きているのかなど知る由もないが。


「おばさんは、」

「うぇ……」

「あ」


俺が口を開こうとしたその時、隣からけたたましい爆音が鳴り響いた。

音の主たるボンバー雲雀は、愛するお母様がいない現実についに耐えきる事が出来ず、自ら涙腺を破壊する道を選んだらしい。


「わ、わわ、雲雀ー?どしたのー?」


慌てて燕が愛する妹を覗き込み、必死にあやし始める。

最早お馴染みのその光景を苦笑と共に眺めながら、俺はどちらかに連絡をとれないものかと携帯を探して











隣にいる男に気がついた。











「………ぇ?」


何だこいつ。


いつの間に。


黒い衣服に身を包み、室内なのにフードで顔を覆い隠して、無言でそこに立ち尽くし、






その手には






「――燕!!!!!」

「ぇ」


妹をあやす小さな背中に凶刃が振り上げられたその瞬間、俺は咄嗟に男に勢いよく体当たりした。自分でもよく動けたものだと、本当にそう思う。


「な、何……!?何!?」

「逃げろ!!!」


何とか震えずに絞り出した俺の声。状況を何も理解出来ていない燕が目を丸くして瞳を右往左往させている。


しかし残念なことに、俺程度の貧弱な腕力では、大の大人を食い止める力など大して持っていない。腰にしがみついた俺をフードの下から温度の無い目で見下ろすと、男は鬱陶しそうに、そして乱暴に引き剥した。


「がっ……!」


強烈な痛みが頬を襲ったのは、その直後だった。

無様に床に転がった俺を見て、周囲の人だかりが何事かと俺達を見る。


多分、大人に本気で顔を殴られたのは、初めてだった。

激痛に身体を震わせる俺にゆっくりと近づくと、男は何の躊躇も無く俺の頭を踏みつける。


「っ………っ!!?」


何度も。何度も。『邪魔をするな』とでも言いたげに。

漸く、周囲の人々が状況を理解した。『マズくない?あれ…』『け、警察……?』とひそひそと話す奴がいれば、端末を取り出して呑気に写真を撮る奴もいる。

自ら助けに入ろうという奴は、一人もいなかった。


「――――――」


頭から血を流して動かなくなった俺に気が済んだのか、軽く一息つくと男はまた振り返り、燕達を見る。


「…………ひっ………」


常軌を逸した状況に、その場で泣きながらへたり込む事しか出来なかった燕が、その凍てついた瞳に見下ろされ、ベビーカーにしがみついて震え上がる。姉の状況が理解出来ているのか、いないのか、雲雀の泣き声がまた少し大きくなった。


「…………」


ここに来て、漸く男が感情を覗かせた。苛立たしげに頭を掻いて、手に持った刃を握り直す。


「………ぁ、……うぐ……」


生まれて初めて味わう痛みに、俺は無様に蹲ることしか出来なかった。


いくら母が暴の者とはいえ、そこにはちゃんと愛があった。


けれど、この痛みには何も無い。

人が視界をうろちょろする蚊を、鬱陶しいから叩き潰す。そういう類のものだ。


何がどうなっているかも分からない。


「………っ!」


けれど、『こいつを二人に近づかせてはならない』。

それだけは、はっきりと理解出来た。


「ふたり゙に゙、さわるなぁ゙……!!」


一歩を踏み出した男の脚に、俺はみっともなく、情けなく縋り付いた。

痛みか、恐怖か。涙で滲む視界に、ろくに男の顔は映らない。ただ、その興味の無い石ころを見るような瞳だけが、網膜に焼きついたのを覚えている。


「げふっ………っ!?」


今度は、思いっきり顔を蹴られた。これもまた初めてだった。


「あきらぁ…!!」


真っ赤な視界の中で、燕がこちらに必死に手を伸ばしていた。


ここに至り、男は目標を変えたらしい。包丁を握り締めた男がこちらへと歩いてくる事に気付いた野次馬達が慌てて方々に逃げ出していく。


「(……ちくしょう)」


どこかで、きっと誰かが助けてくれるなんて期待していた。

現実にはヒーローなんて、都合良くいやしないのに。


「(ちくしょう…、)」


俺が死んだら、次はあいつらなんだろうか。

それは嫌だ。それだけは嫌だ。俺は。


俺は




なんて、弱い。




刃がこちらへと向けられる。

これから起こるであろう現実に、俺の身体は最早動く事も出来ない。


「(………ち、く)」

「晃君!!!!!」











現実は、違った。


俺の前へと立ちはだかった椿さんは、犯人が振り下ろした刃に怯む事無く立ち向かい、揉み合いの末、最後には見事に制圧してみせた。


今更駆けつけた警備員達が、総出で男を拘束する。椿さんは、その場に座り込んで動かない。

理解出来ない言葉を捲し立てている男に構わずに、俺は助けてくれた椿さんに這いつくばって近づいた。痛い。流れ出る血が、床に跡をつける。


「おばさん」

「晃君…大丈夫だった…?」

「うん」

「…ごめんね?痛かったね?怖かったよね?」


俺を安心させる様に、彼女は笑う。

頭を撫でてくれる手に、さっきの温かさは無かった。




椿さんの脇腹には、男の包丁が深々と突き刺さっていた。




「おばさん……」

「ありがとう…晃君。燕と雲雀を守ってくれて…」

「おばさん……!」


俺のとは比較にならない血が、地面に小さくない血溜まりを作る。

その上に倒れ込んだ椿さんに、俺は慌てて縋り付いた。


「おばさぁん…!!」

「……ごめん、ね。晃君……」



「どうか………燕と………雲雀を………」


そうして広がる血溜まりの中で俺の手を握り締めて弱々しく微笑んだ彼女は、そのまま静かに目を閉じ、覚めることの無い眠りについた。






「……………おかあ、……………さん………?」





離れたところで、ただ茫然と立ち尽くしてこちらを見つめる燕の掠れた声と、泣き喚く雲雀の声だけが、ただ俺の耳にこびりついていた。


そして、俺もまた、痛みと衝撃で…意識を……――

















次に目が覚めた時、全ては終わっていた。


おばさんは助からなかった。

言葉を失い愕然とする俺を、母さんは黙って抱き締めてくれた。


おじさんがお礼を言いに来た。

二人が無事だったのは君のおかげだと、そう言った。


何を言っているのか、理解出来なかった。

俺は何もしていない。何も出来なかったではないか。

何でおじさんは俺に笑いかけるんだろう。怒らないんだろう。理解出来なかった。


燕の顔を見るのが怖かった。

あの目がもしも俺を憎んでいたら。そう思うと身体が強張る。

目が覚めた俺に、泣きながら燕が抱き着いてきた。

ごめんなさいごめんなさいと、俺に縋り付いて何度も何度も謝っていた。


理解出来なかった。俺のせいで大切な母親を失ったのに。


謝らなくちゃいけないのは俺の方なのに。

死ななくちゃいけなかったのは俺の方なのに。


なんでおれは。











その日、そのショッピングモールでは子供を狙った切りつけ事件が発生した。

怪我人…重軽傷含め数名。死者…1名。

犯人はその場で取り押さえられ、容疑を認めている。


何故あの時、俺達だったのか。椿さんだけが死ななければならなかったのか。


後から知った話だが、犯人は取り調べでこう言い放ったらしい。











『一番弱そうだったから』

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