第20話 本日の…
「…やれやれ。物騒な世の中になりましたねぇ…」
柳葉家の居間にて頬杖をつきながら、俺は世の無常を嘆いた。
テレビを点ければ、やれお偉いさんが襲撃されたとか、無敵の人が暴れ回ったとか、動物が檻から脱走したとか、高齢者ミサイルがどこどこにスタイリッシュ着弾したとか、事欠かない話題が目白押し。そりゃおじさんも帰ってこれない訳だ。本日も僕らの世界は騒がしい。
「晃?ご飯出来たよ?」
「ん?…ああ」
呑気そうな燕の足音がこちらに近づいてくると同時に、俺は静かにテレビを消した。爽やかな朝に見せる様なものでもないからだ。
燕が居間に足を踏み入れると同時に、お姉ちゃんのご飯作りを興味深く観察していた雲雀も、その後からちょこちょことついてくる。
「燕」
「ん?」
「暫く一人でうろつくなよ。何処か行くなら俺を呼べ」
「どうしたの?急に」
「たまには優しいお兄さんが頑張るお姉ちゃんを労ってやるよってこと」
「ふふ。変なの」
珍しく柔らかい笑顔で微笑む燕を横目に、俺の胸の中はどろどろと不快な感情を訴えている。
認めたくない。…もしも、そうであったなら。いや、そんな事ある訳が無い。だが仮にそうであったとして、その事実に直面した時、俺は果たして
――でいられるのか。
「…そうね。なら晃」
「……、おう」
いかん。考え事に気を取られて、燕が何か言っていたことにも、その隣にいる雲雀が無言で俺を見つめていることにも気づかなかった。
改めて、俺は二人と向かい合った。
目と目が合えば、机の上に肘をついた燕が楽しそうに笑いながら、口を開く。
「デートしよっか」
「……………おう?」
■
「んっふっふ〜…。給料が入ったから、思う存分雲雀に注ぎ込めるわっ」
「…ちったぁ自分に使えよ」
「いいのっ」
古めかしい財布を取り出して、ご機嫌に眺める燕の背中を眺めながら、俺と雲雀は馴染みの薄い景色を見渡していた。
我らが長閑な町から電車に乗って数十分。途端に近代的な建物が立ち並ぶ都会の中にそびえ立つショッピングモール。そこに俺達3人はやってきていた。
ガキの頃から存在していたが、ごった返す人の波は未だに引くことなく健在らしい。
昔あった店が今でも残っているのを見るなり、俺の頭に鈍い頭痛と苛立ちが走る。
「何でよりにもよって…」
「晃?」
「いや、何でもねーよー…」
思わず小さく愚痴ってしまった俺を、雲雀が下からきょとんと見上げている。
その頭をわしゃわしゃ撫でてやれば、途端にご機嫌になるのだから、扱いが楽で大変助かる。純粋さも髪質も、どうかそのままのお前でいてくれな。
「晃、雲雀」
「おう」
「ん」
今度は反対側から名前を呼ばれて、振り返る。
優しい笑みで俺達のやり取りを見つめていた燕が、俺達の手を取った。
「行こ?」
いつもとは明らかに違うどこか儚い微笑みに、けれど俺は何も言えない。黙って大人しく手を引かれるのみ。
その確かな手の震えから、目を逸らしながら。
■
「おー!いい!可愛い!可愛いよー!雲雀ー!」
「えっへん」
「………」
「次はこれ!これ着てみましょ!?お姉ちゃん雲雀の為なら幾らでも注ぎ込める!」
「つかれた」
「これで!これで最後だから!この後ちゃんとご飯行くから!ね!?お願い!」
「やむなし」
「………」
女3人揃えば姦しい、とは言うが。たった一人で場を弁えずはしゃぎまくるみっともないかしましお姉ちゃんを、向こうで店員のお姉様が微笑ましく見守っている。2人の後ろで密かに頭を下げながら、俺は小さな溜息をついた。
さて、この衣料品店に入ってから、一体何度ヒバコレを見せられただろうか。
『可愛いけど、もう少し周りを気にしようね?』
『ここまで来たら買ってね?ね?』
『いーなー私もあんなイケメンな彼ぴ欲しい』
あの美人のお姉様の笑顔の裏からそんな声が聞こえてくる様だ。
最早、あのお姉様と俺の心は通じ合っているのではないかと思うくらい。
これはもう、連絡先聞いても許されるのでは?携帯を取り出して、俺は溢れるパッションを画面に綴った。
「晃」
行くか。行くのんか。今後の人生を左右しうる大いなる選択に心を悩ませる俺の元に、何も知らない恥知らずが戻って来る。雲雀は…ああ、試着室か。
しかし、こいつは本当に妹が好きだなあ。
さっきも言ったが、少しは自分の為にお金を使ってもいいと思うんだけど。
…出来れば、頑張るお姉ちゃんに何か買ってあげましょうね〜、とでも思わなくもなかったが、生憎とこの状況では離れられそうもない。
「…あそこでね?」
「ん?」
と、そこで。
反対向きで隣に並んだ燕が、打って変わって不気味な程に静かな声色で、俺の背後を指で差し示す。
俺は大人しく振り返り、燕が示した先を見た。
なんて事は無い、ただの小さなアクセサリー店があるだけだ。
「あそこでプレゼント、買ったんだ」
そして、その簡潔な言葉で全てを理解した。
何故、燕がわざわざ『デート』などという言葉を使って遠出してまでこの店にやってきたのか。
何故、よりにもよってここに。
…ああ、そうか。もう、あの人の命日か。
「………そうか」
「凄い悩んだんだよ?」
「知ってる」
「ちゃんと渡したかったなぁ…」
今にも消え入りそうな掠れた声。
多分、振り向いた先には笑顔の燕がいるのだろう。でも、燕の笑顔を何よりも好きだと思う俺でも、その笑顔だけは見たいとは思えなかった。見る勇気が無かった。
「渡そうぜ」
だから、前を向いたまま、こんなありきたりな言葉をかけてやる事しか出来ない。
抱き締めてやることも、涙を拭ってやることも。
果たして、まだ俺にそんな資格なんてあるのだろうか。
「うん」
手を握られた。最初こそ弱々しかったけれど、すぐに力が込められる。
でも、俺は最後まで握り返せなかった。
■
「すっかり遅くなっちゃったね」
「雲雀ねむい…」
「ごめんね?でもちゃんと歯磨きしないと駄目だよ?」
「ん…」
「…………………………」
ご飯を食べて、存分に遊び回って、町に帰ってきて。とっくに空は色を失っている。
雲に隠れて星も出ない、漆黒に染まった不気味な夜。人気の無い薄暗い一本道を歩きながら、俺はありとあらゆるものを後悔した。
『…ああ、本当に失敗したな』
『変に疑われない為とは言え、何でこんな道を通ってしまったのか』
『駅に着いた時、俺がちゃんと止めていれば』
『いや、それよりももっと早く、俺が打ち明けていれば』
『おじさんは……未だ返事が無いか。…どこかで気付いてくれればいいんだけど』
『せめて2人だけでも』
…今日だけでも、色々と楽しい思い出があったはずなのに。
上の空すぎて何も覚えちゃいやしない。
…失敗だらけだ。
「――――………」
「晃?」
「…どうしたの?」
突然、何も言わずに立ち止まった俺を、同じく足を止めた2人が目を丸くして見つめている。
何も分かっていない無垢な瞳。それに構うこと無く、俺は背後を振り返った。
…コツ。
…コツ。
…暗闇の向こうからゆっくりと足音が近づいてくる。
最初に感じたのは、粘ついた不快な視線。あの店からずっと俺達に、いや燕と雲雀に向けられていたものだ。そこに込められているのは、勿論、決して明るいものなどではない。
二人を付け狙うストーカー…だけだったら、いっそそっちの方が楽だったのかもな。
『………』
「(………ああ、やっぱり…)」
現れたのは、季節に見合わない真っ黒な上着を着込み、深く被ったフードで顔を覆い隠した1人の男。
痩せ細り、皺の増えた口元。そして僅かに覗く、冷たい瞳。
どれだけ時が経とうが、その目だけは忘れられるはずも無い。忘れるものか。
信じたくはなかった。
今朝のニュースで逃げ出したと知った時、これは一体何の冗談かと思ったし、そんな馬鹿なとは思ったけれど。
まさか。
まさかこんなにも早く現れるだなんて。
「……………」
「…あきら…?」
でも、もしかしたら、俺も心の底では望んでいたのかもしれない。
こうすれば、お前は現れるだろう、と。
全く愚か極まりないが、どこかでそんな感情を抱いてしまっていたのかもしれない。
そいつと対峙する俺の心は、何処までも冷え切っていた。




