第19話 本日の昔語り
「聞いたよ、晃」
「あん?」
「柳葉さん、君のお店でバイト始めたんだって?」
ある日、俺が雲雀にゲームでまさかの敗北を喫し、最悪、大人気なくハメ技を使うかどうかで真剣に悩んでいたところにデカい影が声をかけてくる。
「そうね。"俺"の店。頭筋肉の癖に分かってるじゃないの」
「フフ…。そんなに褒めないでよ」
「褒めてはねーよ」
燕が我が店(予定)で働きはじめてから早数日。
あれから何かが変わったとすれば、店でちらほら見知ったクラスメイトの顔を見ることが増えたことだろうか。
男はやけにデレデレと。女はやけにニヤニヤと。
客は客なので金さえ落としてくれるのならば文句などありようも無いが、奴らは何故かしょっちゅう、俺ではなく燕に対応する様頼んでくる。
勿論、燕は真面目ちゃんなので、例えクラスメイトだろうが、バイト中はしっかりと接客用の笑顔を作って丁寧に対応している。学園で見るあいつとは真逆である。
「そのおかげかな?柳葉さん、最近人気なんだって」
「ほほう。それはそれは。世も末だな」
「ほらあれ、何だっけ、『立てば尺八』、みたいな?」
「『立てば炸薬。座ればボカン。歩くくらいが関の山』だろ」
「そんな爆弾人間的な評価じゃないよ!」
え?違うの?
「ほら、見なよ」
「……?」
若が筋骨隆々なパツパツの腕で向こう側を指し示すので、俺も致し方なく目を向ける。
『燕ー。はーい笑ってー♡』
『む、……むぅ……』
『もー。お店ではあんなにご機嫌だったじゃーん』
『そうだそうだ。うちらといても楽しくないってかぁ?』
『そ、そんな訳無い…!』
いつも通りむすっとした燕が、友達に囲まれて頬をわしゃぷに弄られていた。
周りの男子が、心做しか羨ましそうにその光景を見つめている。おかげさまで、それを見た山本君が、脛を机の脚に強打して身悶えていた。
「学園ではあれだもんねぇ。そりゃあ、一転して可愛らしい笑顔向けられたら男子はころっといっちゃうよ」
「お前は?」
「フフ…もう少し筋肉があったら考えてあげてもいいけど?」
「きっしょ…」
「一途と言ってほしいな」
「きっしょ」
愛おしそうに己の胸を揉む変態から、俺は静かに距離をとった。
燕の身体はちゃんと絞られていると知ったら、身体にだけ興味向けてきそう。人、それを変質者と呼ぶ。
そもそも、あいつはあれくらいの肉付きでちょうどいいんだよ。何言ってんだ俺は。
「そんなことより、お前また雲雀に変なこと教えただろ。やめろよあいつ影響受けやすいんだから」
己は棚に上げてそんな事を言えば、『分かってねーなぁ…』みたいないとむかつく顔をされた。後でプロテインと称して内脂サポートのサプリくれてやる。脂肪燃やすやつ。
「ああ、同志・雲雀のことなら彼女もまた運命に導かれたに過ぎないよ?」
「肉物語始めんな」
…初めて出会った時はここまで頭の中筋肉に侵蝕されていなかったと思うんだけどなぁ…。
いつからだっけ。こいつがホモサピエンスからここまでのゴリラゴリラゴリラに進化したの。進化?退化?
会う度会う度、ほんの少しずつガタイが大きくなるもんだから最初本当に分からなかったんだよなぁ。人間アハ体験かよ。
「…なぁ若さぁ」
「うん?何だい?最近はまたスクワットにハマっているよ?これこそ原点回帰だね」
「聞いてないんですよねー」
こいつに篠◯広とか見せたらどうなっちゃうんだろう。白目剥くか、泡吹いて失神すんじゃないの?
「お前何でそんなに筋肉信仰してるんだっけ?」
「信仰ではなく筋生を共に生きる筋友ってだけだけど…」
「知らんワードを作り出すな」
やべえ疲れる。
そもそも俺はクール系知的キャラなのに。ツッコミなんて向いてない。
「そもそも僕を筋肉に巡り合わせてくれたのは晃じゃないか」
「は?喧嘩売ってんのか毛穴という毛穴に脂肪吸引器取り付けるぞ」
「そう…あれは僕がまだ見るに耐えない骨皮スジ夫くんだった頃………―――」
え?この流れでいくの?
■
―――中学も半ばの頃、ひょろひょろのまさに『ガリ勉』という言葉が相応しかった僕は、残念なことにその年代特有の自覚無き悪意に晒されていた。
「オラ、ガリ勉野郎。悔しかったら反撃してみれば〜?」
「や、…やめて……っ」
「は〜?聞こえねぇよー?もっと大きな声出せよなぁ」
「………っ」
その日もまた、いつもと変わらない日々だった。
僕達から距離をとって、見て見ぬふりを続けるクラスメイトも変わらない。
どうして僕が。何で誰も。何度そう思ったか分からない。弱い僕は自分でどうにかするという発想を持っていなかったのだ。
耐えればいい。黙って耐えていれば、きっと飽きて解放してくれる。
そう祈り続ける日々が、いつまでも続くと思っていた。
「あーつまんねぇ…。おい、もういっそ服でも脱がそうぜ」
「ひゅーいいねぇ!パンツ一丁で授業受けてもらおうか!?」
「ひっ……!?」
だが、オモチャは時間が立って劣化してしまえば、自然と扱いも雑になるのが常だ。皆も覚えは無いだろうか。傷がつくまでは大切にしていたのに、いざついてしまうと何処か冷めた心地になってしまう覚えは。
耐え続けた結果、僕は傷だらけのオモチャになった。
「やめて……!やめて、ください…!!」
間違えたのは、僕だ。
「邪魔」
目の前でケタケタ笑っていたいやらしい顔が、何かに豪快にぶっ飛ばされて転がって、壁に叩きつけられて動かなくなった。
途端にしんと静まり返る教室。
「……え?……は?」
何が起きたのか理解出来ていない僕ともう一人のいじめっ子が、お互いに顔を見合わせ、間に差し込まれた脚に気がついた。
「ねむ」
まるで道に落ちていた小石を蹴っただけと言わんばかりに、興味の失せた欠伸をしながら教室に入ってきたのは、欠席の多いとある男子。傷だらけで絆創膏だらけの顔を隠すこと無く晒し、僕に冷たい視線を一瞬寄越すと、己の席へとどかりと座り込んでそのまま机に突っ伏した。
噂ではその年で高校生を血祭りにあげたとか、裏社会と繋がりがあるとか、飼っている猫にやられたとか、色々言われているが、まぁ、今はそんなことより。
「お、………おい!お前!!」
無事だったいじめっ子が、最初こそ状況を理解出来ずに呆然としていただけであったが漸く目が覚めて、件の男子へと荒々しく歩を進めていく。
声をかけられた彼は、当然、突っ伏していた机から起き上がり……
「………」
「………」
「………」
「お、お、……おい!お前!!」
起き上がるどころか反応すらしなかった。
綺麗に無視されたいじめっ子が、再度声をかける。
「………俺か?」
「そ、そうだよ!お前、自分が何したか分かってんのか!!」
「…俺が何したか、だ?」
のそりと、漸く彼が立ち上がる。凄んでくる相手に全く怯む事無く、何なら大した興味すら示さない様子のままだった。
身長がある訳でもない、体躯が立派な訳でもない。
「…何したんだ?……教えてくれよ。なぁ?」
「ぅ、……ぁ……っ」
なのに、彼から醸し出る異質な雰囲気が、弱者を頭から無理矢理押さえつける様な圧力が、いじめっ子の口を噤ませる。
「…ああ。お前、雑魚をイジメんのが好きなんだっけ?」
「え、…あ、いや……」
「俺もさ、そういうの死ぬっっっ…程苛つくんだけど、だからといって自分より弱い奴いたぶるの、別に抵抗無いんだよね」
「…………そ、そう、なんだ……?」
「…もし、今と同じ現場見たら、せっかくだから俺もそういうことしてみようかな?」
「………っ」
「ところで。誰にすると思う?」
「………う、………あ、あ………っ」
満面の笑みなのに、僕ですら感じ取れる凄まじい圧で、堪らずいじめっ子がへたり込んだ。
訪れる惨劇の予感に教室全体が重くなる中で、彼はいじめっ子と向かい合い、
その手を――
「おま「晃!!!」」
教室が一瞬揺れたのではないかという勢いで荒々しく扉を開き、不機嫌そうな女子が乗り込んできたのはその時だった。
「つば「珍しく学校に来たと思ったら、何!!また喧嘩したの!?」
「いや「まさか弱いものいじめしたんじゃないでしょうね!!」
「だから「私はクラス違うからよく分からないけど、見なさいその人!そんなに情けなく縮こまってるじゃない!!」
「うぐっ…!?」
思うことはすっぱり言ってしまう女の子らしい。鋭い切れ味の籠もった言葉に、『情けなく縮こまった』いじめっ子が、気まずそうにもっと小さくなった。
「あのな「言い訳無用!今日こそお説教してやるから!ほら!来なさい!!」
首根っこを引っ掴まれて、彼が抵抗する間もなく引き摺られて消えていく。
嵐の様な二人組に、僕らは最早、何を言う事も出来ずただ見送るだけしか出来なかった。
ただ、その日から。
「「「……………」」」
「……ぅ………」
僕に対する、というか、僕以外に対しても、このクラスでいじめは無くなった。
いじめていた側も、いつでも己が『そっち側』に置かれる事が分かったからだ。
いや、何ならもう既に。
彼ら二人は、卒業するまでずっと、周りから明確に線を引かれたまま、暗い中学生活を送り、最後は逃げる様にして町を出たらしい。
その後の事は、知らない。
知りたくも、ない。
■
「……………」
「晃は僕にとってはヒーローだよ」
「……覚えてないな」
「だろうね」
凄惨ないじめの現場を記憶に無いとのたまう、冷酷ともとれる言葉に怒る事も無く、ただ優しく苦笑する若。
ああ、そう言えば、いつか何処かでそんな情けないガリ勉見た様な気がする。
その後の燕の公衆の場で正座させてのお説教が強すぎて全く印象に残っていなかったけど。
まあ、あれのおかげで、今まで俺を避けてたクラスメイトが若干優しくなったという思わぬ副次効果があったんだけど。
あの頃の俺は弱い奴を狙う馬鹿が死ぬ程嫌いだったし、弱い奴なんてそれ以上に嫌いだった。いっそ憎んでいたと言ってもいい。
だって俺がもっと強かったら、あの時、あの人を守れたはずだから。
「………」
とはいえ、目の前に鎮座するこの筋肉とあの日のガリ勉は別人すぎて、覚えていたとしても多分繋がる筈も無かっただろう。手足の太さが二回りくらい膨れ上がってるんだもん。劇的ビフ◯ーアフターかライ◯ップのCMでも中々見ないよそんなの。
「君があの日、助けてくれたから気づいたんだ…」
「若……」
弱かったひょろひょろも、本気で努力すればここまでの力を身に着けることが出来る。
それを身を持って証明してみせるその気概は、素直に凄いと思うし、好きなことに熱中出来る真っ直ぐさも……まあ、尊敬しないこともない。直接言うことなど一生無いだろうが。
ただ、
ただ。
「一番大切なのは知力なんかより、やっぱ筋肉なんだって」
「俺お前の両親に菓子折り持って土下座したい」
限度って、あるよね。
「…勇気を振り絞って、二人に声をかけて良かった」
「その勇気も、君から貰ったんだよ」