第16話 本日のアルバイト
「…お金が無い」
「は?」
それはある日、俺がいつもの様に柳葉家にただ飯を食らいに行ったときのこと。
居間に足を踏み入れれば、真っ正面に姿勢正しく正座する小鳥がそこに。
低いお声と、真剣な面持ちでこちらに上目遣、ガンを付けてくるので、優しさに溢れた小市民たる俺は膝を折って向かい合うことしか出来ない。
「お金が無いの…」
「んなアホな。お前さん、無駄遣いする様な性格じゃないだろ?」
柳葉燕ちゃんは、片親の身で幼い妹の面倒を見なければならない事もあって、生活費とは別にそれなりの額をおじさんから毎月貰っているはずだ。というか、ぶっちゃけ柳葉家の家系を一身に担っているはずだ。
そうでなくとも、生真面目お真面目燕ちゃん。妹を差し置いて自分一人遊び回る真似など出来ようも無い。そんな奴だから、俺が支え……何でもない。
「無いのは私の分のお小遣い」
「何に使ったんだよ」
「…ひ、雲雀のお洋服…。何着せても可愛いから、ついつい買いすぎて……」
「(シスコンめ……)」
「誰がシスコンよ」
「言ってませんが!?」
どうやらシスコンは極めると心を読めるようになるらしい。そんな彼女のシスターは、本日はファザーと買い物中だとか何とか。そっちはコンじゃないんだね。悲し。
「つきましては、バイトがしたいです。家から近くて、融通が効いて、何なら雲雀がいても問題ない様な職場で」
「…おいおい。いくら何でもそんな闇バイトみたいな都合の良すぎる職場がある訳―」
■
「…こ、ここで働かせてください……っ!」
「待ってました〜♡」
あったわ。
寧ろ考えるまでもなく、瞬間、秒で出てきたわ。
「じゃあ早速制服に着替えてね〜?」
「は、はい…っ!」
お袋が何処からか取り出した制服を燕に差し出す。
中々に上品なお洒落さの中に確かな可愛らしさを両立させた我が店の制服は、おもてなしに妥協を許さないおふくろが燕の母親と考えに考えぬいたという、ご自慢の制服である。
この就職難の時代、1秒も無い速さのレスポンスを遂げてみせた5Gおかんから、ほくほくご機嫌そうに制服を押し付けられた燕。誰もがこんなに簡単に就職出来たら世界はもっと平和になるのになぁ。
しかし何だろうな、この違和感。あの制服、あんなにスカートの丈短かったっけ。ロングスカートだったはずなのに、あれは明らかに膝上丈にしか見えない。
「わ、やっぱり可愛いー…」
「でしょでしょ〜?おばさん張り切ったから〜。燕ちゃん用の特・注・品♡」
「………」
愚かなり小鳥。上にばかり目がいって下半身の注意が疎かなんて。
普段から丸出しだから油断するんやで。見せすぎなのも良くないってことだね。やっぱり、普段は見えないものが見えるからこそ滾るというかさ。黙ってろ?はい。
「…あ…あのぉ…」
そして、裏に回ってごそごそしていた燕ちゃんが、真っ赤っ赤ーなお顔でスカートを必死に下に伸ばしながら戻ってくる。
…いや、ちょ。
「し、下、こんなに短かったでしたっけ…?」
「ん〜?」
「いや、これ、股下ほぼ0センチ…」
「んん〜?」
「あ、何でもない、です。行けます!やります!!」
「んふふ〜♡」
「行くな行くなやるなやるな」
エッッッ…じゃない。手を離してふんすふんすするな。ずり上がる捲れる。
そんなマイクロミニスカで営業させたら、瞬く間に風営法に引っかかるっつーの。
己を安売りするな。お前の太腿はそんな安いものじゃない。…と、一般論ね、一般論。薄いピンクでした。
「…セクハラで訴えられたらボロ負けだぞ。おふくろ」
「んふふふ不機嫌になっちゃって〜。ほんの冗談よ〜冗談〜」
と言いつつ、構えた携帯からパシャシャシャという不穏な音が鳴っているのてすが。
よりにもよって連写かい。隠す気すらねえ。
「椿に見せてあげましょ〜♡」
「『信じて送り出した娘が夜の店で卑猥な格好して枕営業させられてました。』って?」
「えーい♡」ゴリッッッッッッ
「ぶっ゙っ゙…」
気の抜けたお声とは裏腹な抉りこむ様に押し付けられた鋼の拳に、俺は溜まらず膝をついた。
くっそ、妖怪・怪力乱暴暴力筋肉ゴリラマザーめ。こんなパワハラモームリ。助けて退職代行。
「あ、あうぅ……っ」
一方、燕はずり上がりそうなスカートを抑えるのに必死でこちらなど目もくれないらしい。ちくせう、こいつが家庭内暴力を振るわれる瞬間をちゃんと目撃してさえいれば、俺は法廷で勝てるのに。
「燕ちゃん、表情が固いぞ〜?はい、笑顔、えーがお♡にぱっ♡」
誰のせいでこうなっているのか理解出来ない可哀想なおばはんが、両頬に人差し指を当てながら腰を曲げ、小首を傾げて一昔前のアイドルみたいなポーズを見せる。
はい皆さん想像しましょう。ここにいるのはアラフォー。
「うわきつ」コッ
「―――はっ!?」
いかんいかん。いつの間にか寝てしまっていたのか。…しかし、何だろう?この頭の痛みは。まるで顎を的確に打ち抜かれて脳味噌がピンボールみたいにシェイクされた後の様なこの不快感。
『ようこそ、いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ』
「…お」
何故か突っ伏していたカウンターから顔を上げると、いつの間に身に着けたのか、そこそこの接客技術をお披露目しながら働く燕がそこに。
『はい、ご注文をお伺いします』
いつもの皺の寄ったしかめっ面とは違う、余所行きの自然な笑顔と、柔らかい声。
なんだよ、中々やるじゃない。…まあ実際、ここで働くこと自体は始めてじゃないしな。お手伝いくらいのことなら、昔から何度かやっていたし。寧ろ、中学卒業して即働いていなかった事が不思議なくらい。
「どーう?お母さんの育成技術」
…何か面白くない。なんて妙ちくりんな心中を繊細な心に押し隠す俺に、向かいにいた妖怪・ワカヅクリが声をかけてきた。
「課金すんなよな」
「燕ちゃんガチャなら天井も辞さないけど、残念ながら違うのよね〜」
そうか。課金してないのか。つまりあいつは今のところフル課金燕ではなく無課金燕なのか。
課金無しでもそこそこ楽しめるのは良いゲームだから、悔しいがここは認めなくてはならないのだろう。
「まぁ?元々飲み込みは早い奴だし?」
「…ほ〜んと、意地でも素直にならないんだから。…もっかい顎、いく?」
「流石お母様。素晴らしいお手前」
でもボスに勝つには相応の育成が必要。それもまた、良いゲーム。
「あ、起きたんだ晃」
カウンターでドヤ顔を決める大人気ない大人を冷やかしていたところで、ちょうど卓を片し終わった燕が食器を持って帰ってくる。
「起きたよ晃様」
「突然膝から崩れ落ちるんだもの。びっくりしちゃった」
「へーそうなんらぁ」
「夜はちゃんと寝なさい?」
「……」
こいつにとって、人が膝から崩れ落ちるのは寝不足のせいなの?
だとしたらこの世の中、社会人の皆様もれなく膝のお皿粉々に割れてると思う。
「ふふん。どお?割と様になってたんじゃない?」
「………」
俺のクールな流し目に気付かずに、腰に手を当て、こちらもドヤ顔。前門のドヤ顔・後門のドヤ顔である。
そんなドヤ顔ちゃんのスカートは、誠に大変口惜しく、普通の長さに戻っていた。
脚が見えないやん!脚が見たいから採用したの!!
「………」
「な、何………駄目?」
俺が無言でいる事を不審に思ったのか、燕がご不安そうな目を向けている。
こちとら曲がりなりにもパイセンなんだから、もっと敬意と誠意を持って対応すべきじゃない?これは躾が必要ですね(ゲス顔)。
「燕」
「は、はい」
「ちょっと回ってみ」
「え?……う、うん…」
くるくるくるりん。
俺の意図を言わずとも察してくれたのか知らんが、いつもより多めに回るメイド燕。
長いスカートがふわりと舞い上がり、白いソックスに彩られた靭やかな脚がチラリ。
「………っ!」
両肘をついて俺達のやり取りを眺めていたおふくろのほわほわ糸目が鋭く見開かれ、熟練の職人のものへと変貌した。
「スカート持って広げて」
「え、こ、こう?」
「『お帰りなさいませ、ご主人様』。はい復唱」
「ぇ………お、お帰り、なさいませ。ご主人、様……?」
「お袋」
「給料アップ」
「やったぜ」
「何なのよ!?」
素直にやるお前も何なのよ。
知らない人のお願いは聞いちゃいけませんって、警察官のお父上から教わらなかったのかなぁ?まあ、俺は知ってる人だけど。
え?それ逆に言えば何でもお願いしていい…ってコト!?
冷たい視線でこっちを見下しながら悔しそうにスカートたくし上げ…
コッ
「あのぉ…いいんでしょうか…完全に白目剥いてますけど…」
「いーのいーの。ほら、また笑顔が固いわよ〜?楽しいことを思い出しましょう、楽しいことを」
「楽しいこと…」
「………」
「…………」
「…ふふ」
「あら〜良い笑顔っ!何思い出したの〜?」
「え?あ、いや、あの…」
「んー?」
「…あ、晃と雲雀が…仲良く遊んでる時の背中…です…」
「燕ちゃん」
「は、はいっ」
「結婚しましょう」
「ええ!?」
『ええ!?』←父