第13話 本日の催眠術
「雲雀さいみんじゅつしになる」
「おやおや」
やりたいこと、やったもん勝ち。雲雀なら。
そんな彼女による、本日の私のやりたいことリストが消化されるお時間がまたもやってきました。
その年でエンディングノート作るとか、雲雀ちゃんは人生何周目なのかな?俺は何周目だろうと引き継ぎ無しの成長リセットされちゃうから羨ましいな。
「お姉ちゃんお姉ちゃん」
「…ま、また私?」
「いえすやらいでか」
描写されておらずとも、妹がいるなら姉がいてもいいじゃない。の燕さんが、部屋の隅で縫い物をしていたところを突然名指しされ、妹の期待に満ち満ちた視線に気づいて手元を狂わせた。結果、可愛らしいキャラクターのアップリケの片目から勢い良くずぼぉっと飛び出す針。夏侯惇か伊達政宗のケモ化って言い張ればワンチャン。
「まず、この5円玉をじーっと見つめやがってください」
「う、うん…」
『猿でもかかる催眠術』・『猫でもかかる催眠術』・『催眠術師でもかかる催眠術』という本を横に置いたMs.バリックが、紐をくくり付けた5円玉を持ってお姉ちゃんと向かい合う。
何故『誰でもかかる催眠術』という本を真っ先に読まなかったのか、僕は大変理解に苦しむが、せっかくのやる気に水を差すのもあれなので、黙っていましょうそうしやしょう。
「『あなたはだんだん甘えんぼにな〜る甘えんぼにな〜る』…。と、となえます」
「えー?…あ、いや、はい」
ゆらゆら揺れる5円玉。普段の己とは程遠い内容に若干渋い顔をした燕であったが、目の前のお顔が真剣である事に気づいて慌てて口を噤む。
「たっぷりねっとり時間を使ったら次は、この胸にくすぶる夢を熱くだきしめてこうとなえます」
たかが催眠術。そう思っていませんか?
この雰囲気。威圧。これはもしかしたら、もしかしたらがあるのかもしれないぞ。
何となく横にいた俺もつい、5円玉をじっと見つめてしまう。
「『オラッ!催眠!!』」
「何か嫌な呪文…!」
バシュウウゥン!!
…と、恐らくは雲雀の中では凄まじい衝撃波とか出ているのかもしれない。
「………」
「………」
まあ、実際は完全なる無音。凪な訳ですが。
「…どうだ?」
「…まあ、正直に言ってしまうと、流石にかかる理由も無いというか…」
「……だよな……」
横にしゃがみ込んだ俺の問いに、予想を外れて…もいない何も意外でもない顔で、燕がぱちくりと瞬きする。その目は至って正気。光は宿っているし、いやらしくとろんとしてもいない。SAN値無傷。
「…しゅーん…」
「あ、いや、嘘。かかった。かかっちゃったかも。わ、わぁああ〜、お姉ちゃん、あたまが、ぐるぐる、するー」
されども目の前のお顔が沈むことだけはあってはならない。何故ならお姉ちゃんだから。雲雀が喜ぶのならば、例え今この場で裸踊りしろと言われても男らしく黙ってヤクザの最後の闘いの様に脱ぐ。それがパーフェクトシスター燕ちゃ……ごめん嘘。想像しないで。
「とっきーはかかったのに…」
「ん?ときの奴にもやったのか?」
「うん」
「あれ?雲雀ー?お姉ちゃんかかったよー。かかってるよー?」
頭に思い浮かぶのは、にこにことした微笑みをよく浮かべているのに基本目が笑ってないから誰もが初見で『あれ?ひょっとして殺されちゃう?』と思ってしまう系大和撫子。
「どんな催眠術?」
「痛いのが気持ちよくなる催眠術」
「それあいつに効果無いぞ」
「わ、わー。すごい。お姉ちゃんさいみんってるー。ぴょーんぴょんっ」
言語中枢のバグった女が、妹に何とか興味を持たれようと、手でうさ耳を作って踊っている。いやーかわ、いそう。
「でも皆でボールぶつけたら『もっとぉ…♡』って喜んでたよ?」
「それ素です」
「あの、あのぉ、私、甘え、甘えたいです。ばぶぅ」
無理すんなよ。
しかし、ときか。前にあいつと学校以外で顔合わせたのいつだっけ?
…何?あいつこのまま登場せずに謎に満ちたミステリアスキャラで通すつもり?このままだとあいつ『目が怖くて子供と気が合う恋を知りたい遅刻魔ドMノーパン茶髪美人』になるけど。ミステリアス既に行方不明だけど。いいん?それで。
『え?いいよ?』とか言うんだろうなぁ。
「雲雀なにか間違えたかなぁ……?」
「…ま、精進するこった」
「まことに遺憾」
「…………ここまで無視することってあるぅ……?」
悔しそうに歯噛みしながら、我が国が誇るサムライな台詞を口にする未熟者を横目に、俺はお茶でも淹れようかと思い立ち上がり
「…っと……?」
立ち上がりかけた俺の裾を下から引っ張る、小さな手。
小さい、と言っても雲雀程ではない。当の本人は既に『馬鹿なお前らでもかかる催眠術』という本に夢中であった。作者は喧嘩売っとんのか。
「なあ、燕」
「ん?」
「離してほしいんすけど」
「え?」
お前は一体何を言っているのか。そんな視線を下から寄越す燕の視線が、俺の顔から少しずつ下へ下へ。そして漸く、己が何をしているのかに気づいて、拗ねた様な顔から一転して目を丸くした。
ずばり、『何じゃこりゃ。私のお手手が、目の前の絶世の美男子のシャツの裾を行かないでとでも言わんばかりにぎゅぎゅっと握り締めているではないか』、と。
「…あれ?いや、私全然別にそんなつもりじゃなかったんだけど…、ごめんすぐ離すね」
「おう」
「………」
「………」
すぐ離さない。
俺の裾を掴んだままの状態で、燕が腕をぶんぶんと豪快に振り回す。やめてよぉ伸びちゃうよぉ。
「……んん?あれ、何で離れな……おお?」
「はい?」
ぐいぃ。腕が離れるどころか更に力を増して俺を蟻地獄に引きずり込む。
膝を曲げた不安定な体勢でいたままの俺は、哀れ抵抗も出来ずに体勢を崩し、
「ふぁ…!?」
そのまま燕に覆い被さる様な形で倒れ込んだ。
そしてすかさず背中に回される腕。目の前の柔らかな肢体が存分にこちらへ押しつけられる。
不可解なのは、自ら抱き着いてきた痴女が心底驚いた顔で俺を見つめていること。
「…や、え?あれ??何で!?ちょちょ、ちょっと、離れてよ晃っ!?」
「ハラスメントやめてくださいわたくしは一切動いておりません」
……まさかこいつ……。
「ち、ちち、違、違う違う違うっ!別に私そんなつもり無いから!無いからね本当に!」
「うんうんそだねー」
「違うのぉ!!」
まさかまさかの。
そして、全く興味無い素振りで空返事をしております晃君でございますが、心臓ヤバいです。死ぬ。色んな意味で。
「わ、私、本当に、そんな、つもりじゃ……っ」
…こいつこんなにいい匂いしてたっけ。あれ、何だ。今日の燕はとっても可愛い、様な。
鼻先がくっつくのでは、という距離で、俺達は向かい合う。
濡れた瞳。真っ赤に色付いた頬。そして艷やかな唇。その全てが俺を惹きつけて止まない。
「ゃ、近い、よ…。晃…っ」
そうか、俺はいつの間にかこんなにも―――
「雲雀いいいぃぃ!!!」
――催眠術にあっさりかかる人間だったのか。
事ここに至り、目の前に迫るお顔で漸く目が覚めた俺は、全身にありったけの力を込めて身体を弓なりに反らせながら、全霊を込めて叫んだ。
今のこの状況を打開できる手段を唯一持ち得た、小さな天才催眠術師の名を。
「ん?」
寝転がってチョコを摘みながら本を読んでいた雲雀が、死ぬ程呑気そうな顔で抱き合っている俺達を振り返る。
「わぁ楽しそ」
「解除!!催眠解除しろ!!早く!ハリー!!」
「雲雀今忙しーんで」
「あ、晃………する、の…?」
「お願い!このままだと大変な事になるから!!後でプリン作ったげるからぁ!!」
「もーしゃあないのー。………えー………っとぉ、…かいじょ……かいじょ………かいじょ…?」
「何その最後のハテナ!!まさか分からないとか言わないよね雲雀ちゃん!!」
「え、や、分かるし。みくびんなし。雲雀ばりばりかいじょしちゃうし」
「…………っ」
「じゃあ早くして!?君のお姉ちゃん何かもう目を瞑って謎のスタンバイしてるから!もうCM明けたらおっ始まる段階まで来てるから!!」
「あわてないあわてない。一休み一休み…」
「休むな!!」
こうしている間にも力が増し、互いの距離を限りなく零にしようとする細腕。
一体どこにそんな力が秘められているのか、いつ見ても答えなど出ない疑問である。
結局間に合ったのか、間に合わなかったのか。それは神のみぞ知る。
何故なら。
「「……………???」」
全てが終わって目が覚めた時、俺達にはその時の記憶が残っていなかったからである。
願わくば、全てが夢であります様に。
鏡に映る首筋の小さな虫刺されの跡を見ながら、俺は神(本物)に祈った。
「やけにうるさいから流石に注意しにきたら、息子達が熱烈に抱き合っている……。これは明日はお赤飯かしら〜?」