待つ準備
第8章
マリアエレナが子どもを産んだという知らせを聞いてしばらくした頃、アルファンソから、
「自分を訪ねて遠方からやってくる修道士がいるから、一晩泊まらせてあげて欲しい」
という手紙が届いた。
この家に客が来るなんて、そんなことは初めてだったので、もしかして、いずれ娘や孫達、ひ孫達に会えるようになるのではないかと希望を持ち始めた。何か状況が変わったのかもしれない。今度リッカルドに尋ねてみよう。私もいい歳になってしまった。神様のもとに行くまえに、一度でいいから機会があるかもしれない。
年甲斐もなく、期待に心が浮き立ってしまった。アルファンソが来たら、一度でいいから娘に会いたいと相談できるかもしれない。
しかしアルファンソは、その修道士がやってきた翌朝早くきたかと思うと、すぐ二人して出立してしまった。食事もせすに出かけようとする二人に、慌てて用意していた朝食を包んで渡した。
そして、その日以来、アルファンソがこの家に来ることはなかった。なぜだかとても、不安な気持ちになった。あの朝、アルファンソがこの家に現れたとき、あの剣を腰に差していたから。私は、アルファンソが、還俗したのではないかと思った。
彼はもともとシチリアの貴族階級の生まれ。その家の当主の証としての剣をわざわざ腰に帯びていた。何らかの事情で、今になって彼が家を継ぐことになったのではないかと。その場合、私は正妻として迎え入れてもらえるはずもなく、見捨てられるだろう。
彼からの支援も途絶え、日々の生活にも困るようになるのは明らかだった。心労からか、床に寝付くことが多くなり、かといって手元不如意になっていた私は、身の回りの事をしてくれる召使いと下男を手放そうとしていた矢先、たくさんの贈り物を持ってリッカルドが来てくれたのだ。
「なかなか伺うことが出来ず、申し訳ございません。さぞやご心配なされたでしょう。でも、もう大丈夫です。ご安心ください。今まで通り、こちらで安寧に快適にお住まいになられるように、私のほうですでに差配いたしました。」
「リッカルド、ありがとう。でももう私はいいの。子どもたちが無事に暮らしているのなら、私はもう これ以上何も望まないわ。もういい歳ですもの。いつ神のもとに召されてもいいのよ。」
「いいえ、どうぞ希望をお持ちください。エレノア、いえジュリエット様とお会いになれるよう、今なんとかしようとしているところです。」
ジュリエットに会えるーそれは私にとって魔法のような言葉だった。
それからリッカルドは、古くなってきたこの家の修繕だけでなく、ジュリエットが来たときに泊まれるようにと、部屋の増築も手配してくれた。元気のよい職人たちが出入りするだけで、家に活気が戻ってきたようだった。私も職人さんたちのまかないを作る手伝いまでできるようになった。
増築が完了した翌日、再びリッカルドがやってきて、その日一晩泊まっていった。というのも、ジュリエットがこの家を出て、エレノアという名になり、結婚してからどんなことがあったのか、長い長い話を聞かせてくれたのだ。
「それで、娘は幸せだったのかしら」
「それは、直接ご本人に聞いてみたらいかがですか? 確かに領主の跡取りとの幸せな結婚は世間ではおおいにうらやましがられました。しかし、エレノア様は夢物語の主人公のような、ただ運命に翻弄されるような方ではありませんでした。ご自分の運命を恨んだり、ご自分を卑下されることもなく、幸せを求めて、ご自分の愛した人や子ども達のために、いつも精一杯尽くしていらっしゃいました。品がありながらも本当に強く、美しくしなやか方です。本当に素晴らしい、唯一無二の女性だと思います。」
「そこまで娘を褒めていただいて、なんだかとても光栄だわ。リッカルド、まるで自分の恋人のことを自慢しているみたいよ。」
頬を染め、少しはにかんで横をむいたリッカルド。こんな表情をするリッカルドを初めて見たけれど、何故か、からかってはいけない気がして、私はもうすっかりおそくなったから、そろそろ休みましょう、といった。
リッカルドには、増築したばかりの寝室で休んでもらい、彼は翌朝、ヴェネツィアへの帰途についた。
リッカルドだったら、もしかしたらアルファンソの消息についても知っていたかもしれない。でも私は聞かなかった。
アルファンソはもう、私の人生とは交わらないのだとわかっていたから。ジュリエットに会えるのなら、本望だった。他に何かを望んだら、二度と娘に会えなくなってしまう気がしていた。