産む覚悟
第3章
父が回復し、歩けるようになってから、私は家族と仲間問っしょに、彼と出会った街から出発した。しばらくして、私は自分の腹に子が宿っていることに気がついた。
食欲が落ち、一人そっと吐き戻しをしている姿に母も気づいた。秘密にして欲しいと頼んだ。父は「何か悪い物でも食べたのか? 次に大きな街に行くから、そこで薬師か医者を探そう。」と心配してくれる。
父には言えない。絶対に。父を裏切った気分でいっぱいだった。
でもだんだんとせり出してきた腹を隠しおおせるはずもなく、ついに父に全てを話した。父は驚きつつも、私を責めることはせず、街に私たち家族と仲間を残して一人、その青年に会いに、シトー派の修道院に向かった。
父と彼が何を話したかはわからない。
若い頃からさんざん自分や仲間を迫害してきた側の人間の集団に、単身乗り込むことになって、恐怖と怒りと不安に満ちていたと思う。しかし、同時に彼は命の恩人でもある。父の胸中は私にはわからなかった。
父は苦渋の決断を迫られたに違いない。カタリ派の頭目の娘が、入信前とはいえシトー派の修道士と通じて子どもを孕んだということになれば、仲間たちとの結束が崩壊する。
生まれてくる子は無かったことにしなければならない。父に言われなくとも、分かっていた。
兄弟や仲間から妊娠を隠して暮らしていたが、あとひと月で臨月というとき、私は父に連れられ、母と一緒にある村にある小さな修道院に入った。4ヶ月後にこの村をまた立ち寄るから、ここで密かに子どもを産みなさい、と言われた。
驚いたことに、私専用の部屋が用意され、世話をしてくれる召使いがいた。あの青年が密かに手配したらしい。彼はやはりそれなりの身分の人間だったのだ。
彼はここには来ない。どこの馬の骨かわからぬ一夜限りの関係の娘に、これだけの気遣いをしてくれただけで十分だった。
生まれてくる子は取り上げられるのだろう。
無事女の子を産んだ。彼が手配したのだろう、乳母がやってきた。
きっとすぐ、子どもは取り上げられるだろうと覚悟した。しかし驚いたことに、父が言うには、体力が回復するまで、子を育てながらしばらくそこで暮らしなさい、と。
彼はこない。しかし無事生まれた喜びの気持ちを綴った手紙が届いた。それだけで涙があふれた。幸せだった。
しかし子どもが1歳を迎える前に、再び父がやってきて、ローマ郊外の家に移ることになったと言われた。父と母と、ずっと世話をしてくれている召使いと下男と一緒に、乳飲み子を抱えて、ローマ郊外の家に向かった。私の体調に合わせて、ゆっくりと南下していった。兄弟と仲間たちにはどう内緒にしたのだろう?
ローマ郊外の家というのは、おそらく彼の親族が所有していたものだろう。小さいながら快適なかわいい別荘のような家だった。今思えば、そこで、父と母と永遠の別れになってしまった。
産んだ子を取り上げられずに済む代わりに、家族と仲間から決別しなければならなかった。この悲しい決断を受け入れなければならないくらいの覚悟と分別はあったつもりだった。
しかし父母が去ってしまった晩、心細さに一晩中泣いた。いつも夜泣きなどしない子も、母の不安を感じたのか、いつまでも泣き止まなかった。一緒に泣いてしまった。情けない母親で申し訳なかった。
翌朝、奇跡が起きた。彼がこの別荘のような家にやってきたのだ。2年ぶりの再会だった。