出会いと別れ
『シンデレラ・その後』のスピンアウト、シンデレラ=エレノアの母の物語。
本編では簡単にエレノアの出生が説明されていますが、しっかりと書きたかったので。
第1章
ずっと旅をしていた。
物心ついた時から、ずっと。
街から街へと。ひとつところにずっといることはなかった。永くても一冬超えるまでの間。普段は、二週間か三週間で、時にはたった数日の滞在で次の街へと向かってゆく。
仲間以外に親しく口をきく友人や知人などできるはずはなかった。だからあの街も、ただ通り過ぎるだけのはずだった。
そこで、あの人と出会ったのだ。出会ってしまったのだった。
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大好きな父、常に私を守り、母や兄弟の盾となってくれる父が怪我をしてしまった。
その日は、丘の上にある街の城壁に日没までに到着する予定だったのが、雨に道がぬかるみ、思うように進めなかった。街にたどりつく前に日没となってしまい、仕方なく街道沿いの畑の脇で一晩明かすことになった。
その深夜、追い剥ぎの一団に襲われたのだ。父はみなをかばい、腕を切りつけられてしまった。仲間達が飛び起きて、なんとか男衆が追い剥ぎを追っ払うことに成功したが、父の傷はかなり深手の傷で、一緒に旅している仲間の薬草治療ではとても手の終えないほどだった。
とりあえず荷車に父を寝かせ、皆でなんとか城壁の街へ登っていった。しかしその街には外科の医者はいないという。
宿でとりあえずの止血処置はしたものの、どんどん父の顔が白くなっていくのを覚えている。母は泣くばかりで、私より幼い兄弟たちは、母の側で震えるだけだった。
私がなんとかしなければ、とその宿で仲間と相談していると、ある若い青年に声をかけられた。
どこかの領主様の従者だろうか? 腰には剣を刺していたが、私より5歳くらい年上の青年だった。
彼は医術の心得があるという。騎士のような出で立ちでとても信じられなかったが、わらをもすがる思いだったので、彼に協力を求めた。
彼は私を安心させるためか、にこりと笑い、まるで居酒屋で飲み物の注文をするように言った。
「では強い酒を用意してくれ。もちろん私が飲むためではないよ、患者に飲ませて手術の痛みを少しでも和らげるためだ。あと、綺麗な水もたっぷり湧かしてもってきてくれ。」
私がすぐ仲間の男衆たちに指示を出すと、彼は感心した顔で私をじっと見たあと、私の両腕をつかみ、拒否できない口調で尋ねた。
「あと、お仲間から力自慢の人間を4人選んでくれ。手術中患者が動かないようにね。君は血を見ても大丈夫かい?それなら、私の助手をしてくれないか。」
旅から旅の生活で、私もかすり傷程度の手当はしてきたが、手術に立ち会ったことはないかった。でも怖いなんて言っていられない。私はこくん、とうなずいた。
驚いたことに、彼は代わった形のナイフや、裁縫用ではないハリと糸を持っていた。噂に聞くアラビアの医術道具だろうか。
彼に言われて、父に強い酒を飲ませ、沸騰したお湯でナイフやハリを洗い、彼の横に控えた。血の気の失せた父の顔を見ながら(とても傷口を見ることはできなかった)励まし続けた。
「よし、では始めるよ。ナイフを手渡してくれ。その調子でお父様に話し続けてくれ。」
ひどい脂汗をかきながら、歯を食いしばり、父は激痛に耐えてくれたが、一度すさまじい叫び声をあげると、気を失ってしまった。
この青年は、戦いの場でこのような処置をしてきたのだろうか、何も言わず冷静に淡々と処置をし、手術中に発した言葉は「ハリに糸を通して渡してくれ」だけだった。
父の傷の処置は無事終わったようだった。彼は、私の仲間の薬師に、術後の処置を簡潔に説明したあと、私に振り向いて「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ。」とまた、にこりと笑いかけてくれた。その瞬間、私は緊張の糸がプチンと切れ、彼の胸の中で赤子のように泣いてしまった。
翌朝、昨日の手術の傷跡を確認すると、彼はまた仲間の薬師に注意すべきことを説明してくれた。父は術後の痛みが続いていたが、酒はかえってよくないと言われ、重湯を与えるようにと指示された。
「あと数日は絶対安静だ。まだしばらく痛みと発熱は続くだろうが、体力つけるために、できるだけ食事をとらせるように。お父様は丈夫で強い方のようだから、あとは自分の力で回復できそうだ。」
母が父につきっきりなので、長女である私が代わりに彼に術後の処置について聞いた。
「あの。何とお礼を申し上げたらよいか。私どもは旅の途中で、金目のものは大した持ち合わせがなく。代わりに何かあなたのお手伝いをさせていただけませんか? つくろいものでも洗濯でも、何でもいたします。」
「いまは私も旅の途中でね。明日にはここを出立しなければならないんだ。そうだなあ、それなら、私の剣を預かってくれないかな。」
一晩の伽を求められるかもしれないと覚悟していた私は、意外な要求に驚いてぽかんと口を開けてしまった。
「そんなに驚かないでくれ。あの剣はもう私には必要ないものなんだが、かといって捨てたくないし、換金もしたくはない。誰かに大切にしてもらいたいんだ。」
「どなたかご親族の方にお譲りにならればよいのではないですか。そんな立派なものをお預かりするなんて」
「親族はいないよ。天涯孤独の身なんだ。これからこの街の先の修道院に入るんだ。修道士に立派な剣、必要ないでしょ。ただ、今まで我が身を救ってきた大切な剣だから、赤の他人に託したくはないんだ。」
「私は、あなた様と昨日お会いしたばかりで・・・」
「一目で私を信用してくれて、お父様の手術を私に頼んでくれた。それに一緒に苦難を乗り越えてくれた、同志かな。時間の問題じゃないよ。」
「わかりました。あとでお部屋に受け取りに伺います」
明日には彼がいなくなってしまう。とてつもない喪失感を感じた。
一晩で恋に落ちることなんてあるんだろうか。
その晩、剣を受け取りに彼の部屋に入ったまま、私は明け方までそこにいた。
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父の怪我は着実に快方に向かい、3週間あの街に滞在したあと、また旅に戻った。
父は、手術の礼を直接言えなかったことを、とても悔やんだ。そして、娘が立派な剣を預かっていたことに酷く驚いた。
これから修道士になるところだったという私の話に、父は難しい顔をしたのちに、こう言った。
「この町では、そんな立派な剣はなかなか買い手が見つからないだろう。もっと大きな街に行ったときに換金すればよい。とりあえずおまえが預かっていなさい。」
その9ヶ月後、私は女の子を出産した。
あの街の近くに、彼が入ったと思われるシトー派の大きな修道院があることはわかっていた。でも私は、そこへ彼を訪ねるつもりはなかった。行けるはずもなかった。
私は、彼と敵対する、カタリ派の頭首の娘だったのだから。