訓練って大事だよね
久しぶりにスポーツ新聞に目を通した。
一面は一時代を築いたスター選手の引退について。
チームウェアに袖を通した彼の大きな笑顔の隣には、太く浮かび上がる大見出し。
その下にある記事に私は唸った。「一面を飾るのに相応しい文章だな」
記事によると引退を決めた彼はすっぱりと、選手として競技から離れることを決めたという。
文章のお陰か、決意した際の彼の気持ちの潔さが手に取るようにわかった。
一面を飾る記事を書く記者の書いた物なら、
素人の私にだって「良い文章」と思わせるのは当たり前かもしれない。
スポーツ新聞の一面を読み終えた次に目を通したのは、週刊誌。
芸能人による不祥事を扱ったものだ。
こちらの文章も素晴らしかった。
導入部分の記事は、まるで今から事件が起こるドラマの映像さながらだ。
扱っている内容はともかく、有名週刊誌による世間の耳目を集める内容の記事。
どんどん読み進めていきたくなる表現たち。
「やっぱ、すげーな」と感嘆の思いで舌を巻いた。
記事を書いた二人が、元々どのような文章を書いていたかは全く分からない。
とはいえ始めから、ここまで完成された物を書けたかどうかには疑問が残る。
先輩に教わりながら、徐々に身に付けていったのだろうと想像している。
どれだけ文章が元々うまくとも、マスメディアに利用される記事と普段使いの文章とは違うだろうから。
読者に読ませる技術と言い換えてもいいだろう。
彼らは事実を言葉を使って誰かにかに伝えるために技術を磨いている。
きっと取材をしている現在もだ。
ふと、小説を書くときやエッセイを書くとき、詩を作ったときなど、
私の文字はそれぞれに対応出来ているだろうか。
自己満足ではなく、読んで頂くための言葉選びになっているだろうか。
そんなふうに思い至った。
最後までお読み下さりありがとうございました。




