第2話 えっ、倒せないの?よわよわ~♡
「た、助けてっ、誰か!」
無機質な灰色の廊下を一人の女性が駆けていく。
歳は二十代前半で、足がすらっと伸びた高身長。ダンジョン探索用に揃えたであろう、急所を守る軽量金属鎧。両手剣と盾を装備したその姿は、冒険者としてかなり優秀な部類だと思われた。
「お、お願い。誰か……」
しかし今は絶体絶命の窮地に立たされており、半泣き状態で魔物に追われていた。艶のある長い黒髪を振り乱し、整った顔は涙でグシャグシャになってしまっている。
どうしてこんな状況に――それは五分ほど前に遡る。
「みんな、おかエリ! 今日もダンジョン配信はっじめるよ~」
彼女の名はエリカ。
Doutubeで20万人のチャンネル登録者数を誇る、今人気のアイドル系配信者である。
「エリカちゃんねるの別に大したことのない、ごく普通の日常」――は大きな特徴もなく、ただ毎日をダラダラと過ごすだけの内容。
だが、数年を掛けて着実に視聴者を増やしてきた実力者だ。視聴者からは、肩肘の張らない気楽な配信がツボらしい。
そんなエリカが最近始めたのが『ダンジョン探索』だった。
ランキング上位を占める動画を見ているうちに、自分でもやってみたくなり、迷宮に足を踏み入れたのだ。
決して自分の配信にマンネリを感じてテコ入れをしたいとか、本業をクビになって配信業に本腰を入れ始めたとかいう理由ではない。……断じて違うのだ。
真面目な彼女の性格はダンジョン探索にも生かされた。必要以上に危険を冒さない堅実な行動で、みるみるうちに腕を上げた。
次第に彼女は日本でも指折りの探索者となり、チラホラと上級ギルドから誘いの声が上がるほど。安心感を求める視聴者からも、愛称で『エリカ様』と呼ばれるほどに愛されていた。
そうして今日やってきたのが、サキの管理するダンジョンだった。
敵も弱く、探索する旨味の無い迷宮として有名。だが開拓がまったく進んでいない。エリカがここを選んだ理由はその一点だった。
もしかしたら手付かずのお宝があるかもしれない。リスクを負わずに、そこそこの視聴者数を稼ぎたい。そんな狙いがあった。
しかし、目の前に居るモンスターは何なのか?
――ブモォオオオオッ!
「えっ、なに!? なにこれっ!?」
エリカの目の前にいるのはオーク。ダンジョン配信でもお馴染みの、二足歩行の豚さんだ。
だが普通のオークと違うところは、そのサイズが規格外の倍以上というところ。エリカの身長を優に超え、横幅も1メートル以上ある。そして――
「で、デカすぎっ!」
一番驚くのが、股間のそそり立っているブツだった。
<あれってS級の将軍オークなんじゃ……>
<アイツって下層のボスじゃなかった?>
<五人パーティで挑むレベルじゃん>
<マズくない?エリカ様死ぬやん>
<逃げて……!!>
高速で流れていくコメント欄を必死で追うエリカ。
半分以上は読めなかったが、兎にも角にもこのままでは命の危険があることだけは理解できた。
「に、逃げる? 目を逸らさずにゆっくり後退りすれば……」
――ブギャアアアッ!!
「む、無理っ!!」
背負いのリュックを投げ捨て、踵を返して全速力で走り出す。
こんなモノと戦闘なんて絶対に無理! 後ろから追いかけられている恐怖に怯え、必死に足を前に出すエリカ。
だが不運にもその先にあるのは、ただの行き止まりだった。
「あっ……!?」
気付いた時にはもう遅い。手には武器はなく、出口への道も分からない。
ちなみにだが、出入口からここまでは歩いて1時間程度の距離。いずれにせよ、逃げ切れる距離ではなかった。
「は、はは……はははは……」
<あ、終わった>
<そんな、エリカ様が……>
<ごめ、俺落ちるわ>
<俺も。これ以上は見てらんない>
続々と去っていく常連たち。対照的に知らないIDの新参者たちが、グロい結末を期待してなだれ込んでくる。
だがエリカにとって、もはやそれはどうでも良くなっていた。
『いい、エリカ。いくら比較的安全な上層だからって、危険なのは変わりないんだから。ダンジョンの心得をキチンと覚えておきなさいよ』
迷宮研修で先輩から教えてもらった言葉が、走馬灯のようによみがえる。
ダンジョン探索者が心得ておくこと、その1。パニックになっても装備は手放さないこと。
その2。マップに頼り過ぎない。脳内で常に逃亡ルートを構築しておくこと。
そしてその3。死ぬときは運が悪かったと潔く諦めること。
「い、いや……」
一歩ずつ着実に歩み寄る将軍オーク。エリカはその場から動けず、恐怖のあまり腰を抜かしてしまう。
それを見てオークの股間はさらにイキり勃っていた。エリカの腕よりも太く、ひと突きで彼女を破壊するだろう。それが今、エリカに狙いを定めて迫りくる。
「いやぁああああああっ!!」
ブモォオオッ!と雄叫びを上げ、大きな拳を振り上げる魔物。エリカは己の運命を受け入れ、目をギュッと瞑った。
◇
「お姉さん、大丈夫?」
「……え?」
床でへたり込むお姉さんの前に滑り込み、オークの拳を片手で受け止める。
私はお姉さんの無事を確認すると、オークをグイッと押しのけた。
「ブ、ブモォオオッ!?」
邪魔された怒りからか、今度は私を潰そうと腕を振り上げるオーク。ダンジョンマスターでも構わず襲ってくるのが、モンスターの特性だ。
――けどまぁ、その方が気にせず殺せるけどね。
私は右手の指先をピンと伸ばし、迫りくるオークの首元に向けて一閃した。
スパッ!っと小気味良い音を立てて、オークの首が宙を舞う。よし、討伐完了っと。
「お姉さん、怪我はない? 立てそう?」
「え? あ、あれ? あっ、はい……」
その声を聞き、「そっかっ♪」と笑顔を向ける私。
そんな私にお姉さんは、ポカーンとした表情を浮かべていた。
<え、なに今の>
<一撃で首が飛んだんですけど!?>
<ていうか、誰この子>
<誰か特定はよ!>
<悪魔のコスプレ? どこかで……>
ふぅ、危なかったぁ。
ダンジョン内はフロアごとに転移できるとはいえ、ポイントを指定することはできない。だからダンジョンの入り口に転移してから全速力で走ってきたんだけど、かなりギリギリだったみたい。
(でも予想外だったなぁ。サプライズのつもりで、ちょっとだけ強いオークを置いてみたんだけど)
まさか来たのが初心者さんだったとはね。見た目は強そうだと思ったのになぁ。いやー、危うく事故が起きるところだったよ。
「余計に探索者が遠ざかるところだったデビね~」
「まだまだ人間の観察が必要だね。それにしても気付いてくれて助かったよ、デビちゃん」
「ふししし、ご褒美は悪魔プリンで妥協してやるデビ」
胸の部分に収まるデビちゃんは、満足そうに笑った。
むっ、私が作戦会議室の冷蔵庫に取っておいたプリンの存在がバレている。まぁいいや、それぐらいで済むなら安いものだ。
「じゃ、そういうことで。気を付けて帰ってね、お姉さん」
「え? あの、貴女のお名前は? そうだ、お礼を……」
「あー、気にしないで。このダンジョンに来てくれれば、きっとまた会えるだろうし。私はそれで満足だよ」
できれば口コミで、他の探索者さんを呼び込んでほしいところだけど。きっとあの弱さじゃ、彼女は自分と同じ底辺配信者だろうし期待はできないよね。
あ、いつかはお友達になれたらいいな。売れない配信者の苦労を分かち合えるかもしれないし。
そんな事を考えながら、私はカッコよくその場を去るのであった。
この間にも、ダンジョン掲示板で物凄い騒ぎが起きているとも知らずに――。
⇒第3話 掲示板回 サキっちょ、バレる