第6話 魔法修行開始
「おはようございます、母様。……オルフェ様。」
次の日の朝食の時間。
いつもなら母とアイリーンしかいない食卓にオルフェがいた。
「おはよう、アイリーン。
早速だが、朝食後に俺の部屋に来い。今日から魔法指導を始めるからな。」
オルフェは運ばれて来た朝食を手早く、しかし礼儀正しく食しながらそう言った。
隠し子と言う割にはしっかりとマナーが身についていることに、微かな違和感を感じながらアイリーンは返事をした。
「畏まりました。よろしくお願い致します。」
(ついに魔法指導が始まるのね……。
何としても時の魔法を身につけ、今度こそ没落を回避するのよ!
もし王太子妃になれなくても、私が国に名を馳せる魔法使いになっていれば没落を回避できる可能性は十分にある。
私がクロノス家の未来を切り拓く……!)
アイリーンはそう意気込んだ。
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朝食後、アイリーンは言われた通りオルフェの部屋を訪ねた。
オルフェの滞在する客間のドアをノックし、声をかけた。
「オルフェ様、アイリーンでございます。
ご指導のほど受けに参りました。」
「入れ」
中からオルフェの声が聞こえた。
アイリーンがドアを開けると、荒廃した部屋があった。
部屋の装飾品はあらかた壊され、寝台にかかっている天蓋のカーテンは破け、窓に至ってはほぼ窓枠しか残っていない状態だった。
「これは……」
アイリーンが唖然としていると、オルフェが言った。
「アイリーン、お前はこの客間の装飾品の原型を覚えているか?」
「え……?いえ、この客間にはほとんど入ったことがないので……。覚えておりません。」
アイリーンが戸惑いながらそう言うと、オルフェはにやりと笑った。
「ならよし。
さて、ここで問題だ。アイリーンはこの部屋の装飾品の原型を知らない。
この状態で装飾品を元の姿に戻すことは出来るかどうか。
どう思う?アイリーン。」
アイリーンはいきなり問題を出題され、さらに戸惑った。
(昨日魔法を使った時は、割れた水晶玉が元の姿に戻るように強く頭の中でイメージした。
つまり、具体的なイメージが出来ないと魔法は使えない……ような気がする。
なら答えは……)
「えっと……“出来ない”が答えだと思います。
装飾品を元の姿に戻すイメージを頭に描こうにも、元の姿が分からないから出来ません。」
「そうだな。確かに魔法を使う際にはイメージがとても大切だ。
だが正解は“出来る”だ。
アイリーン、覚えておけ。物にも記憶があるんだ。
だから、その物が記憶している姿に戻すという風に考えてみろ。」
「物にも記憶がある……。」
「魔法は理論的な考えが出来れば、だいたいのことが実現できる。
まぁ本人の素質も大きく関わってくるがな。
……物の記憶を呼び覚ますイメージをしろ。そして、物自身が記憶している姿に戻るように念を送れ。」
(どこが理論的なのよ。すごく抽象的。
今魔法を使うように促されているのよね?でもどうしたらいいのか全く分からない……!もう!どうすればいいのよ!)
アイリーンは困惑し、しばらくその場に無言で立ち尽くしていた。
その時アイリーンは、見覚えのある花瓶の破片を見つけた。
(……あら?あの割れた花瓶、見たことある。どんな絵柄だったかしら。
思い出せそうで思い出せない。思い出したい……思い出して……元の姿に戻って……。)
そうアイリーンが念じると、その花瓶の破片たちがゆっくりと動き出した。
少しずつくっつき、そして気が付くと、
「戻った……。」
ダマスク柄の美しい花瓶が転がっていた。
「よくやった、アイリーン!さすがだな。」
オルフェがにかっと笑ってアイリーンの成功を喜んでいる。
その笑顔につられ、アイリーンも笑顔になる。
「はい……!ありがとうございます、オルフェ様。
まずは1歩、進めました!」
「……!」
アイリーンの笑顔を見たオルフェは一瞬、嬉しそうとも切なそうとも読み取れる表情を浮かべた。
その一瞬の表情にアイリーンの胸がきゅうっと苦しくなった。
そして何故だかは分からないが、オルフェに対しとても申し訳ない気持ちになった。
「あの、オルフェ様……」
アイリーンは気まずくなり、話を変えようと声をかけた。
それをオルフェが遮った。
「様はつけるな。“オルフェ”と呼べ。」
そう言ってオルフェはアイリーンから視線を外した。
「では、あとは反復だな。
この部屋の壊れた装飾品、今日中に全て元の姿に戻しておけ。あ、窓も忘れずにな。」
「えっ…!?全部ですか!?」
「ああ。大魔法使いになりたいんだろ。このくらい飛ばしていかないとな。
でも無理はするなよ。……まぁお前ほどの素質があれば、このくらいで魔力が尽きたりはしない。朝飯前だと思うぜ。」
そういってオルフェはそそくさと部屋を出て行った。
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夕方。
「どこが朝飯前よ……あの鬼魔法使いーー!!」
オルフェの部屋から出てきたアイリーンは叫んだ。
昼食も取らず魔法を使っていたせいで疲れ果て、足取りも覚束ない。
「随分時間がかかったな、アイリーン。」
いつの間にか隣に立っていたオルフェにアイリーンは驚いた。
「オルフェ様!?いつからそちらに……?
えっと……頂いた課題が終りました。ご確認下さい。」
アイリーンが気まずそうにそう言うと、オルフェは意地悪そうな笑顔を浮かべて言った。
「いいだろう。この鬼魔法使いオルフェ様が隅々までチェックしてやるよ。」
「う……すみませんでした。」
アイリーンとオルフェは一緒に部屋に入った。
部屋は全ての装飾品、ベットの天蓋、そして窓まで綺麗に修復されていた。
「さすがだな、アイリーン。魔法のクオリティは完璧だ。
あとは慣れだな。この時間までかかったのと、お前が感じている疲れは、ただ魔法を効率的に使う感覚が身に付いていないだけだ。
慣れれば一瞬で出来る様になる。」
そう言ってオルフェはアイリーンに手を差し出した。
「ありがとうございます。早く感覚を身につけられるよう頑張ります。
……えっと?」
差し出された手の意味が分からず、アイリーンはオルフェの手を見つめ戸惑いの表情を浮かべた。
「疲れてるんだろ?ふらついてる。食堂までエスコートしてやるから、手を取れ。」
「え……エスコート、ですか。」
あまりに紳士的でアイリーンは驚いた。うまく言葉を返せないほどに。
とりあえずアイリーンはオルフェの手を取り、エスコートを受けることにした。
まるで舞踏会にいるかのように、丁寧に手を引かれ、食堂に導かれる。
アイリーンを優しく見つめながら、後ろ向きのまま階段を降り、扉を開けてアイリーンを部屋に入れたオルフェ。完璧なエスコートだった。
(こんなに完璧なエスコートをする方が隠し子として市井の中で生きてきたなんて、あり得るのかしら?そして嬉しいはずなのに、なぜこんなに、胸が切なくなるの……。)
アイリーンは理由の分からない切なさできゅうと締まる胸に苦しみながら、食堂に到着した。