第37話 水の国の使者
風の国から帰国して2ヶ月ほど経ったある日。
その日は突然訪れた。
いつも通りアイリーンがオルフェと魔法の特訓をし、休憩時間に自室でお茶を飲んでいた昼下がり。
水の国の使者と名乗る男が、クロノス邸を訪れたのだ。
「本日はクロノス家当主アイリーン・クロノス様に、水の国イゾルデ女王殿下からの依頼をお伝えに参りました。」
水の国の使者は客間に通されるやいなや、そう言った。
「私に依頼……ですか?」
アイリーンは困惑した。確かに時の精霊クロノスの加護を受ける魔法使いの家系の現当主ではあるが……こんな14歳の他国の公爵令嬢に水の国女王から依頼が来るなんて。
(普通じゃ考えられない……。これってもしかして詐欺……?)
その考えが顔に出ていたのか、使者は言葉を続けた。
「怪しむのも当然です。
ですが私は本当に水の国女王イゾルデ女王陛下の代理でここにおります。
これが証拠の依頼書です。水の国の国印をご確認下さい。
……秘密裏に、大至急お願いしたい事柄でして……随分な略式となってしまう事を心よりお詫び申し上げます。」
そう言いながら使者は依頼書を広げた。
その依頼書には確かに、水の国の王族のみが扱えるとされる国印が押されている。
(依頼書は本物みたい。でも……“秘密裏”“大至急”……。関わりたくない……。)
同席していたアリシアが依頼書を受け取り内容を確認する。
「……これは……。この内容は本当なのですか?」
アリシアが切迫した様子で使者に聞いた。
その様子を見たアイリーンも、急ぎ依頼書の内容に目を通す。
「水の国の第一王女様が、行方不明……?!」
アイリーンは驚き声をあげてしまった。
依頼書には水の国の第一王女が現在行方不明のことと、アイリーンの魔法で手掛かりを見つけて欲しいという内容が書かれていた。
一国の姫が行方不明とは、かなりの緊急事態である。
「本当です。……そこでアイリーン様の“ノスタルジア”という魔法の力を貸して欲しいとイゾルデ陛下が仰っておりまして……。」
「!……なぜ“ノスタルジア”のことを……。」
アイリーンは一瞬で緊張状態となった。
なぜ他国の女王が“ノスタルジア”のことを知っているのだろう。
“ノスタルジア”はアイリーンが生み出した魔法で、まともに扱えるのもアイリーン本人のみだ。そしてこのことを知るのはほんの僅かな者たちのみ。
この情報がどうして他国に漏れているのだろうか。
「ええと……こんな事を言っても信じては貰えないと思いますが……。
なんでも精霊様達の間でアイリーン様の魔法が絶賛されているとのことで……。
それを聞いた水の精霊ウンディーネ様が、イゾルデ陛下にアイリーン様に依頼を出すよう命じたらしいのです。」
使者が気まずそうな顔でそう言う。
「え……。」
(水の精霊ウンディーネ様……?!)
アイリーンは風の国で出会った風の精霊シルフを思い出した。風の精霊があんなに自然に存在していたのだから、水の精霊も実在しているのだろう。
「私自身、信じられませんが……イゾルデ陛下曰く、これは精霊様からの依頼と同義のことです……。」
(ええーーー!)
この世界で精霊は、神に等しい存在だ。
伝承によると精霊はこの世界を形作り、常に管理しているらしい。
精霊が消えれば、その精霊が司るものも消えるとされている。
つまり水の精霊が消えれば、世界から水は消えるらしいのだ。
(精霊は司るものを自在に操れるともされている……。シルフ様が風を自在に操れたように、ウンディーネ様もきっと水を自在に操れる。
……つまり、この依頼を断ったら、時の国から水がなくなるかも……。)
アイリーンはそこまで考え至り、絶望感に項垂れた。
(断る選択肢なんて、初めからないってことね……。)
アイリーンは非常に弱々しい声で水の国の使者に言った。
「ご依頼……お受け致します……。」