第15話 在りし日の王妃
昨日と同じく、亡き王妃の部屋は美しかった。
今日も大きな窓から陽の光が降り注ぎ、部屋全体がキラキラと輝いているようだ。
「……昨日も思いましたが、美しい部屋ですね。ここだけ時が止まっているみたい。」
そうアイリーンが呟いた。
「そうだな。……母が亡くなったあの日から、本当に止まってしまったのかもしれない。」
そうセルシス王子が小さな声で返した。
その声色に深い悲しみが滲んでいて、アイリーンはずきりと胸が痛くなった。
「……殿下。早速本を拝見してもよろしいですか。」
オルフェがそうセルシス王子に声をかけた。
同時にオルフェがアイリーンに目配せする。
アイリーンはこっそりと昨日直した本を手に取り、声を潜め呪文を唱えた。
(殿下……勝手に申し訳ございません!でもこの本の記憶があなたの心を、そして私の運命をきっと動かしてくれる……。そう思うのです!実を言うとただの勘ですが!)
「集え黄金の記憶の欠片たち。織り成すは追憶の影。再現せよ、“ノスタルジア”!」
呪文を唱えた瞬間、身体から温かいものが溢れ、力が抜けていく。
同時に本から瞬く星のような黄金の小さな光が溢れてくる。
そのキラキラと輝く小さな光が群を成し、人の形になっていく。
そして、声が聞こえた。
鈴のように美しい女性の声。
『どうしたの、セルシス。なんだか嬉しそうな顔をしてる。』
その声を聞いたセルシス王子が振り返る。
そこには、本を片手にベッドに腰掛ける、美しい妙齢の女性の姿があった。
長い金の髪、少したれ目がちの優しい菫色の瞳、整った容姿を縁取る輪郭は黄金の光に包まれている。その女神のような女性を見て、セルシス王子が呟いた。
「母……様……」
セルシス王子が呆けたままその場に立ち尽くしていると、入り口の方から美しい金髪の少年が歩いてくる。
幼いセルシス王子だ。
やはり彼の身体の輪郭も黄金の光に包まれている。
『母様、今日、アイリーンが、俺の怪我を魔法で治してくれたんだ。……アイリーンは優しい子だと、思った。』
幼いセルシス王子は少し照れながら、王妃にそう言った。
『そう!アイリーンに助けて貰ったのね!素敵なことよ。ちゃんとありがとうは言えたかしら?』
王妃は持っていた本を閉じ、手を差し出しながら、嬉しそうな声でそう言った。その手を幼いセルシス王子が握る。
『あ……言ってない……。』
『じゃあ次会った時にありがとうを言いましょう。セルシス、ありがとうはね、魔法の言葉なのよ。』
王妃は両手で幼いセルシス王子の手を包み、優しい瞳でそう言った。
『魔法の言葉……?』
『そう!セルシス、誰かに優しくして貰った時はもちろん、優しい気持ちになった時にもありがとうって言ってみて。』
『俺が優しい気持ちになった時……。』
『そうよ。それから、優しい気持ちを忘れてしまいそうな時にも、ありがとうと言って頂戴。』
『えっと、どんな時?』
『苛々した時、悲しい時。そんな、優しい気持ちを忘れてしまう時よ。』
『そんな時にありがとうって言えないよ……。』
『ありがとうはね、皆の心を救ってあげられる力を持ってるの。言った方も、言われた方も救うことが出来る魔法の言葉。
苛々した時も悲しい時にも、言ってみて頂戴。
セルシスの心も、セルシスを害した相手の心も、救うことが出来るから。
大丈夫、セルシスは優しいもの!きっと出来るわ。』
そう言って優しく、柔らかく微笑んだ王妃。
その美しい姿が少しずつ黄金色の光の粒へと変わる。
「母様、待って!」
王妃が完全に消える前、セルシス王子が声を上げた。しかし全ての光は散り、黄金の光の残滓だけがふわふわと美しい部屋に浮遊していた。
それも数秒で消え、まるで何もなかったかのように、数分前の景色に戻った。