第1話 目覚めたら時が戻っていた
「アイリーン・クロノス。今日でお前との婚約を破棄する。」
「アイリーン、死ぬな……!俺が必ず、お前を助けるからな!」
ベッドから転げ落ち、少女アイリーンは目を覚ました。頭を打ち付けたせいか朦朧とする意識の中、辺りを見回し違和感を覚える。
「私……さっき死んだはずなのだけれど」
先ほど自分は乗っていた馬車ごと谷に落ちた。
夢だったのだろうか。それとも命拾いしたのだろうか。
いつも通りの朝。いつも通りの部屋……ではないことにアイリーンは気付いた。
(もしかして長いこと眠っていたのかしら。家具やカーテンがずいぶん変わったような。)
部屋を見渡しながら歩き、姿見の前で足が止まった。姿見に映る自分の姿を見て驚きで硬直した。
(私は今年で18歳。成人のはず。でも今鏡に映っているのは……幼い私……。
つまり、もしかして、時が戻った……?)
そう思い至った瞬間、頭の中に記憶が溢れ出して来た。
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「アイリーン・クロノス。今日でお前との婚約を破棄する。」
魔法学園の卒業演説の最後、婚約者である王位継承権1位、セルシス王子は冷えた目でそう言った。
「え……」
セルシス王子の斜め後ろに控えていたアイリーンは驚きのあまり絶句した。
見上げた王子の美貌は、氷のように冷たく感じた。
「俺はクロノス嬢との婚約を破棄し、ファルテッサ嬢と正式な婚約を結ぶ。」
セルシス王子が高らかに壇上で宣言すると、舞台袖から薄い水色の長い髪を靡かせ、ファルテッサ嬢が登場し、優雅にお辞儀をした。
拍手喝采が起こる講堂の中、アイリーンは言葉も出ず、ただ舞台上で立ち尽くすことしかできなかった。
それが終わりの始まりだった。
父亡き後アイリーンが主だったクロノス家は没落。アイリーンは母と共に屋敷を出て、母の実家に身を寄せることとなった。
その道中、狭い山道で山賊に襲われた。御者は殺され、暴走した馬とアイリーン達が乗っていた馬車は谷底へ。
そうしてアイリーンの生涯は幕を閉じた……はずだった。
(時が戻った。なら、やり直すまでね。)
なぜ時が戻ったのかは分からない。
しかしそれを究明する時間も、1度目の人生に囚われてくよくよしている時間もない。
まずは状況把握、そして今後の作戦を練らなければ。
(自分と母様の命がかかっている。)
アイリーンは死ぬ間際の母を思い出した。アイリーンを守ろうと必死にアイリーンの頭を抱き締めていた。父が亡くなってからアイリーンをずっと支えてくれていた、そして誰よりも愛してくれていた母。
(今度は私の番。母様は必ず私が守る。)
決意を固め、アイリーンは現状整理を始めた。
まずは自分の年齢だ。
アイリーンは自分の腕を見つめた。
アイリーンは12歳の時、事故で両腕に大きな傷を負っていた。
(傷がない。12歳以下と言うことね。)
その事故のことはもともと記憶が曖昧だ。
しかしその事故で出来た傷には随分苦労させられた。将来の王太子妃であるアイリーンに大きな傷があることが公に知られれば、それをネタに陥れようとする者達が必ず現れる。その為アイリーンは常に腕を手袋で隠して生活していた。王子にも、気味悪がられるのが怖く、ずっと隠していた。
(見た目的にそんなには幼くない。10歳か、11歳か…もしかして12歳になったばかりかしら。)
アイリーンは鏡に映る自分をまじまじと見た。肩にかかる長さの白銀の髪。黄金がかった琥珀色の瞳。そして幼さが目立つが、たしかに自分の顔だと分かる顔立ちだ。
次は現状把握だ。
10歳〜12歳と言うことは父は既に他界している。また、セルシス王子とは正式な婚約を結んだばかりのはずだ。
クロノス家は公爵位を戴いている名家。曽祖父は歴史に残る大魔法使いだったと聞いている。また亡き父も宮廷魔法使いだった。
(残念ながら母と私には魔法の才能はほとんどなかった……と思う。)
そこまで現状を思い出し、ふと気付いた。なぜか魔法学園の頃の記憶が思い出せない。15歳から18歳までの記憶がほとんど抜けているのだ。
(なんで肝心なところを思い出せないのよ!
とりあえず、15歳から18歳の間に王子との関係が拗れたのね、きっと。15歳……入学式……だめね、全然思い出せない。)
「アイリーン様、お目覚めですか?」
15歳から18歳までの記憶をなんとか手繰ろうとしていた時、部屋の外からノックと声が聞こえた。
「アイリーン様!今日は大事な日と言うことをお忘れですか?!もう!入りますよ!」
(誰!?)
とっさにベッドに走り、布団を被った。
しかし数秒後、布団を引っ剥がされた。
「アイリーン様!起きて下さいまし!!」
そこにはばあば…メイド長のモナリザがいた。
「ばあば!どうして……会いたかった!!」
ばあばはアイリーンが16歳の頃に亡くなったメイド長だ。アイリーンを育ててくれた、優しく、面倒見が良く、しかし小言の多い人。アイリーンが大好きだった人の一人だ。
勢いよく抱きつくと、ばあばは驚いて尻もちをついてしまった。
「アイリーン様!!びっくりしましたわ。
どうなさったのですか?……さては怖い夢でも見たのですね。」
アイリーンが涙目だったからだろう。ばあばは微笑み、アイリーンの頭を優しく撫でた。
「しかしアイリーン様!本日は時間がありませんのよ!怖い夢はお布団にしまって、早速準備にかかりませんと!」
「準備?今日はなんの日なの?」
「やっぱりお忘れでしたか……。今日はセルシス王子がお見えになる日でしょう!!」
「……えっ?!」
アイリーン・クロノス、12歳。この日アイリーンの2回目の人生が始まった。