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掌編置場

春待つ風

作者: 須藤鵜鷺

『こちらは現在の上野公園の様子です。東京では先週桜の開花宣言がありましたが、ご覧ください、ここ上野公園の桜はちょうど今満開となっています。今週末までは穏やかな晴れの天気が続き、絶好のお花見日和となるでしょう。では全国のお天気をお伝えします……」

 ニュースの天気予報のコーナーを見ながら、あぁ、東京は暖かいのだな、と思った。

 三年ほど前から、この時期が来るたびにスプリングコートを買おうか悩んでるけど、結局買わないままに春が過ぎ去っていく。三月といってもこの辺はまだまだ寒いから、冬に着るコートをしまうことができない。そして花見のシーズンが終わるころには、たいてい暑くてコート自体を着ることがなくなる。一シーズンに着られる頻度は高くないのに、クローゼットにしまうと妙に存在感を発揮してしまうその類の服と、私は上手く距離感がつかめないでいる。

 靴を履き、金属製のドアを開けると、ふわ、と風が吹きこんできた。そこに真冬のような肌を切る冷たさはなく、もわ、という擬音が似合うような少し温い風。

 あぁ、今日は南風が吹いてるんだ。風の温度にそう思った。

 風が温まってきても体感ではまだまだ寒い。私が寒がりというのもあるのだろうけど。足早に外階段を降りてアパートを出た。

 住宅街の細い路地を歩きながら、街路樹として植えられた桜を見上げる。ようやくつぼみがそれとわかるくらいに色づいてきたくらいで、まだ開花はしそうにない。この辺りに引っ越してきた年の春、花が咲いてようやくこれらの街路樹が桜であることに気がついた。気づいてみるとやたらとたくさん桜が植えられていることがわかった。どこかへ出かけていかなくても、この辺りで十分花見ができてしまうほどに。

 それほど暖かかった記憶もないのに、去年の今頃にはここの桜も咲いていた。時期を鮮明に憶えているのは、ある人を偲んで見上げて歩いたから。

 あれからもう一年も経ってしまった。

 笑って生きなければならないと思った。前を向いて、しっかり地に足をつけて。でも、それはどんどん難しくなった。しまいには自分が今笑っているのか、ただ顔を引きつらせているのかわからなくなった。

 明るい表情なんて、つくれるはずがない。胸の奥にこの正体不明の重りを抱えたままでは。

 その苦しみが、その人を失ったことで生まれているというなら、まだ話は単純だったかもしれない。その単純を、今のこの時世は許してくれない。

 悲しめばいいのか。怒ればいいのか。それは何に、誰に対してなのか。「行き場がない」とよく言うけれど、それがこれほどの苦痛を植えつける。

 もし、あなたが生きていたら。この世界をどう渡っていったのだろう。

 ほころばない堅いつぼみをつけた桜の枝を、南風がさらさらと揺らす。早く咲け、と急かすように。

 あと一週間もすれば、この道も春の色に染まるのだろう。風にさらわれた花びらは道端に吹き溜まり、雪のように解けることもなく、色を失って塵となるのだ。

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