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8話 朝のめざめ


 朝が来たのだろう。

 カーテンの隙間から差し込む光が、まぶた越しに眩しく感じた。


「……ん」


 イーディスはうめきながら、毛布を口元まで持ち上げる。まだあと少しだけ、眠っていたい。身体は怠くて、腕が鉛のように重かった。


「奥様、朝でございます」

「……あと少しだけ」


 耳慣れない言葉が霞の向こうから聞こえてきたが、温かな毛布と柔らかい寝具に包まっていると、いつまでもここにいたい気持ちが勝る。イーディスはそんな幸福感に浸り、ぬくぬくと惰眠を貪っていた。


「朝食の準備ができています。奥様、お支度を」

「だから、あと少し……奥様?」


 ふとした違和感に、イーディスはうっすらと目を開ける。

 前髪を含めたすべての髪の毛を後頭部できつく縛り上げた女性が二人、ベッドの傍に控えていた。二人とも年齢の差異はあったが紺色の使用人服を身に纏い、静かにこちらを見つめている。


「奥様って……誰のことですか?」


 イーディスは寝ぼけ眼をこすりながら、二人を見上げた。


「もちろん、貴方様のことでございます」

「はぁ……そうですか……っ、て、奥様っ!?」


 イーディスは湯沸かし器のように、急激に熱が頬に集まった。


 途端、昨夜の出来事が、瞬く間に蘇ってくる。 

 ウォルターが寝ている身体に圧しかかってきて、「エリシアたちを見返すことに協力してくれる」と約束してくれた。そのまま、イーディスはすっかり安心してしまって、ひとしきり泣いたあと、寝入ってしまったのである。


 昨日交わしたやりとりのなかに結婚やら今後の夫婦関係に関する話題は一切なく、むしろ、彼は結婚には消極的で、イーディスを安全なところまで逃がそうとしてくれていた。そう考えると、ウォルターはイーディスの協力してくれる人ではあれ、旦那とは呼べないし、彼の方もイーディスを妻だとは思っていないに違いない。

 それなのに、奥様として扱われるわけにはいかないし、なにより、イーディス自身が「奥様」なんて自分に似つかわしくない単語は、ひどくむずかゆく思えてならなかった。


「わ、私はイーディスでかまいません。奥様ではありませんし、ただのイーディスですから」

「かしこまりました、奥様」

「いや、そういうことではなくて……せめて、イーディスさんにしてください」

「かしこまりました」


 女性は短く答えたが、なんとなく聞き入れてもらえない気がする。

 イーディスがどうするべくか悩んでいると、彼女は淡々と話を続けた。


「当家の侍女頭をつとめています、リリーと申します。こちらは奥様付きの筆頭侍女のローザ。以後、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 二人に一礼をされたので、イーディスもぺこりと頭を下げる。すると、リリーは鋭く整った眉をくいっとあげた。


「我らは使用人でございます。使用人にそのような態度はお控えください」

「あ……すみません」

「すぐに、お支度に移らせていただきます」


 リリーとローザは完璧な礼をすると、てきぱきと動き始めた。


「まずは着替えましょう、こちらへ」


 ローザが隣室につながるような扉を開け、こちらへどうぞと促してくる。

 イーディスはちょっとしり込みしたが、なるべく背筋を伸ばして後に続いた。


「……すごい!」


 思わず、イーディスは息をのんでしまった。

 案内された部屋は、衣装だけがクローゼットのようにずらりと勢ぞろいしていたのだ。ざっと見て、パーティーに着るようなドレスだけでも数十着、そろいの靴や鞄からなにまで綺麗に並んでいる。きらびやかな別世界に迷い込んだような感覚に圧倒されていると、リリーが申し訳なさそうに頭を下げた。


「奥様、申し訳ありません。急なことでしたので、この程度しか用意することができませんでした」

「い、いいえ! 十分すぎます!」


 イーディスは慌てて首を振った。

 その日暮らしの継ぎはぎだらけの服だけで生活していた身からすれば、贅沢以外のなにに当たるだろう!


「でも、どれを着れば……」


 これまでの質素倹約から一変、こんな豪奢な世界に放り込まれても、なにをどう選べばいいのか分からない。イーディスがうんうん悩んでいると、ローザが声をかけてきた。


「よろしければ、奥様にお似合いそうなものをお選びしましょうか?」

「あ、ありがとうございます」


 ローザは淡い青色のドレスを選ぶと、そのまま支度をさせてもらった。

 侍女とはいえ知らない人に着替えの支度をしてもらうなんて、普段だったら恥ずかしさのあまり縮こまってしまっていたかもしれないが、あまりに違い世界に圧倒されてなにも考えることができなかった。

 ようやく、イーディスに言葉が戻ってきたのは、鏡の前に腰を下ろし、ローザがイーディスの髪を結い始めた頃だった。


「そういえば、昨日、私が着ていた服はどうなったのでしょう?」


 鏡に映った少し赤面した顔から眼をそらし、ローザに問いかけてみる。


「シャンディさんから貸していただいた服なんです」

「随分と汚れてしまっていましたので、洗濯しておきました。今日はよく晴れていますし、午後には乾くと思いますよ」


 ローザは髪を丁寧にとかしながら、明るい口調で返してくれた。


「明日、お召しになります?」

「いえ、借りた服ですので……できれば、返しにいきたいのですが……」


 きっと、外出は許されないのだろうな……と思いながら、ダメもとで尋ねてみる。すると、ローザはリリーの表情をうかがうように目をちらりと動かした。


「旦那様が許可してくだされば可能でございます」

「……と、リリーさんも言っておりますので、大丈夫だと思いますよ」


 ローザはにっこりと微笑んだ。


「旦那様はお優しい方ですから」

「優しい方……」


 ぽつりと呟く。

 額に角が生えていて、目つきもぞくっとするほど恐ろしい見た目で言葉遣いも粗雑なのに、話している内容や雰囲気は相手を重んじる優しさを感じる。


「……そうね、とても優しい方」


 その言動に裏表はない。

 少なくとも、ほとんど見ず知らずの怪しい少女に対し、嘘をつくことなくまっすぐ対応してくれた。こういう人物は、アキレスや母以外に見たことがない。



 貧民街で精いっぱい生きているときも、聖女として扱われるようになってからも。







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