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4話 初対面なのに……?



 イーディスが起こされたのは、迷いの森を抜けた直後。

 深い森を抜けると、美しい三日月型の湖が広がっていた。


「……綺麗」


 イーディスの口から言葉がこぼれる。

 透き通った湖面は白く美しい山々やその斜面に作られたブドウ畑を反射し、静かに輝いている。つい、見惚れてしまうくらい美しかった。


「いい湖だろ、氷河が作ったんだ。んで、オレたちが向かってる街はあそこ」


 ウォルターの視線を辿れば、ブドウ畑の端に大きな集落が見える。


「スプリングフィールド。ここらで最も栄えている集落だ」


 ウォルターは、どこか得意げに話してくれた。


「スプリングフィールド」


 イーディスは名前を繰り返す。

 記憶ただたしければ、ハイランド辺境伯が治める街だった気がする。イーディスが考えていたよりも、ずっと近くまで連れてこられていたらしい。そう考えると、ぞわりと腹の底から冷える思いがした。


「ん? どうした、イーディス。震えてるぞ」


 ウォルターが不思議そうに振り返る。

 思えば、ウォルターは騎士の服装をしている。もしかしたら、本当にハイランド辺境伯に仕えているのかもしれない。いまは「イーディス=聖女」だとバレていないが、露見してしまったら――


「って、顔が青いじゃねぇか! なにかあったか?」


 ウォルターが慌てふためくのをみて、イーディスは急いで否定する。


「だ、大丈夫です。ちょっと、その……知らない街だったので、不安になってしまって」


 ウォルターの様子を見ると、噂の世にも恐ろしいハイランド辺境伯の部下には見えない。こうして、気遣ってくれる優しさは本物だと、イーディスの直感は告げていた。

 だから、恐ろしい街ではない――のだと思う。


「なんだ、そうだったのか」


 ウォルターは安堵の息をこぼした。


「心配するな、スプリングフィールドは怖い街じゃねぇ。あー、そりゃ、危ねぇ場所もなくはないが、そんなところ連れて行かねぇし、守ってやるから安心しな」


 ウォルターは「そうだな、最初は美味いものでも食わせてやるか」と楽しそうに言いながら、街の方へと進み続ける。その頃には、迷いの森から続いていた獣道は石造りの街道に変わっていた。

 街の門に近づくにつれ、人の往来も増えはじめ、ウォルターはイーディスを背から下した。


「歩けるか?」

「大丈夫です」


 少し寝たからか、足がふらつくこともなかった。


 それにしても――なるほど、たしかに素晴らしい街である。

 イーディスは、これまで、大街道の傍にある宿場町、花の栽培が盛んな町、異国人が多く集まる交易の町、魔族の国との国境の境にあった最果ての町――さまざまの場所を訪れてきたが、どの町よりも活気に溢れているように感じた。

 だから、目を見開き、まじまじと往来を眺めてしまう。

 これでも、王都生まれの王都育ち。人の賑わいには慣れている。だが、ここは王都特有の華やかなさとも異なる、元気のよい活気で満ちていた。


「こんな明るい街、初めてです」

「おっ、世辞がうまいな!」


 ウォルターは胸を張り、嬉しそうに笑った。


 街の中央に近づくにつれ、肌でさらに活気を感じた。

 売り子の顔は笑顔で、道行く人にも浮かない顔など見当たらない。世辞抜きで、王都にも負けない明るさだ。店先に広げられた露店には、主食の穀物や野菜・果物類、肉類の他、あまり見たことのない異国風味の果実やら香辛料やらが売られていた。

 交易地なのか、旅人や商人も多く、燻製肉や毛皮のマントからナイフやら短弓まで店先に並んでいた。


「よし、イーディス。こっちだ」


 イーディスが興味深げに露店を見ていると、ウォルターがイーディスの腕をつかみ、どこかへ向かって走り出した。


「ちょ、ウォルターさん!」

「この先にさ、美味い店があるんだ」


 そう言いながら連れていくのは、明らかに裏路地である。

 イーディスの胸の内に、嫌な予感が持ち上がる。

 もしやこの男、食事処と偽り、娼館かどこかへ連れて行き、そのまま自分を売り飛ばす気なのではないだろうか?

 恐ろしい顔立ちから考えられないほど優しい人だとは思っていたし、そのような雰囲気はまったく感じられなかったが……と、イーディスが警戒心を強めていることを梅雨知らず、ウォルターは明るい調子で裏路地を進み続けた。


「ここだ!」


 裏路地のさらに奥に、目的の店があった。

 古めかしく、一見さんお断りのような店である。木戸の前には、薄汚れた表札が揺れている。イーディスは頭をフルに回転させ、刻まれた文字を必死に読み取った。


「眠る、山猫亭?」

「ああ! オレの行きつけの店だ」

「昼休憩中と書かれていますけど……」

「気にするな、なんとかなるって」


 ウォルターはにやりと笑うと、そのまま古びた木戸を押し開ける。

 木戸は軋むような音を立て、わずかに薄暗い店内が見えた。


「ごめんねー、いまは休憩中なのよ」


 汚らしい外観とは異なり、店の中は意外と清潔だった。

 テーブルや椅子、床に張られた木板など古めかしい印象はぬぐえないが、蜘蛛の巣もかかっていないし、埃一つ落ちていない。

 がらんとした店内に客は見当たらず、店主らしい女性の声が店の奥から聞こえてきた。


「オレだよ、連れがいるんだ」

「あんたかい!」


 すると、奥から体格の良い女性が現れた。

 年頃は三十前後だろうか。エプロンが良く似合う女性だった。


「『昼休憩』って札が読めないのかい! だいたい連れがいるなら、もっと洒落た店に――って!」


 女性はこちらを一目見た途端、さあっと顔が青ざめる。


「ちょっと! その子、どうしたの!」


 女性はウォルターを弾き飛ばすように退かすと、その勢いのままイーディスの肩をつかんできた。


「ひどい格好! あんた、この子に何をしたのさ!?」

「なにもしてないって。迷いの森で拾ったんだ」

「女の子が森に落ちているもんかい! あ、お嬢ちゃんはそこに座りな。疲れてるだろ?」


 女性はウォルターを鬼の形相で睨みつけた後、打って変わって優しい顔をこちらに向けてきた。


「温かい飲み物でも淹れてくるよ。それとも、ジュースにする?」

「オレ、酒」

「あんたには聞いてない」


 女性はウォルターの方を見向きもせず、イーディスの目線まで屈んで尋ねてきた。


「……えっと、ジュースで」

「ああ、了解したよ」


 女性はにっこり笑うと、近くの棚に手を伸ばした。


「可哀そうに。女の子が、あんなに服を汚して……つらいことがあったんだろう」


 こぽこぽとコップに深紫色のジュースを注ぎながら、彼女は心配そうに呟く。


「まずは、落ち着くことが大切だからね。はい、どうぞ」


 彼女は朗らかな笑顔に戻ると、イーディスの前にコップを置く。

 ちらっと、イーディスは彼女の目を見た。ハシバミ色の瞳には、善意と心配の色がにじみ出ている。この店のある場所が裏路地なので、悪い場所なのではと心配したが、少なくとも、この女主人から悪意を感じない。

 こういう時の感は、昔からよく当たるのだ。

 イーディスは悩むことなく、ジュースに口をつけることにした。


「……あまい!」


 イーディスは目を輝かせた。

 ブドウの甘味が喉を通り、疲れきった癒していくのが分かる。ブドウを丸ごと絞ったような濃厚すぎる甘みなのに、まったくべたつきがなく、すうっと身体に吸収されていくのだ。


 イーディスがあまりの美味しさに動揺していると、女性はからっと笑いながら隣に腰を下ろした。


「気に入ってもらって、なによりだよ。このあたりのブドウ園でとれたものだけをつかった一級品なんだ!」

「オレにサービスないのか?」

「あんたは金を払え。がっぽり持ってんだろ」

「ちぇっ、冷たいな」


 二人とも口喧嘩が絶えないが、険悪な雰囲気はなく、むしろ仲が良い感じがした。

 だから、イーディスは思わず尋ねてしまう。


「お二人は、夫婦ですか?」

「「ありえない!!」」


 二人は同時に噴き出した。


「こんなおばさんと? イーディス、冗談も大概に――ッ痛!」

「おばさんで悪かったわね」


 女性はウォルターの頭に拳骨を落とすと、楽しそうに笑いかけてきた。


「あたしはシャンディ。ここの店主の嫁さ。旦那はいま食材の買い出しに行ってる。

 あんた、どこから来たんだい? ここらじゃ見ない顔だけど……」

「その、いろいろありまして」


 イーディスは乾いた笑みを浮かべた。すると、シャンディは心配そうに目を細めた。


「もしかして――……」


 シャンディが続けて何かを言おうとしたとき、イーディスの腹の虫が鳴ってしまった。ぽっと頬のあたりに熱が集まる。

 イーディスが縮こまると、シャンディは笑った。


「恥ずかしがらなくていいんだ。ここは食事処。腹が減った奴の来るところなんだからね。なにか作って来るから待ってな」

「気前がいいじゃん」

「お嬢ちゃんの分だけだよ」


 数分後、テーブルの上にサンドイッチが数枚置かれた。


「おいしい……!」


 世辞抜きで美味しい。

 普通の黒パンに、野菜とハムを挟んだだけ。味付けだって素朴で凝ってるわけではないのに、どうしてこんなに美味しいのだろうか?

 城で食べたフルコースも文句なしの美味しさだったが、こちらの方が温かみを感じる。

 この街の雰囲気にしろ、食べ物にしろ、何故こんなに包み込むような暖かさなのだろうか。


 ここの領主は、地獄の悪魔すら逃げ帰るほど怖い男だと聞くのに。


「ありがとう、お嬢ちゃん」


 シャンディは嬉しそうに微笑んだ。


「せっかくだから、着替えない?

 私の若い頃の服だけど、いま着てるものよりマシさ」

「あ、ありがとうございます」


 ちらりとウォルターに視線を向けると、そうしろと手を振られる。イーディスはシャンディについて、店の二階に進んだ。


「さあ、ここだよ」


 シャンディは部屋に入ると、タンスを漁り始めた。


「私のお古だけど、これなんかどう?」

「ありがとうございます」

「いいんだよ、着替え終わったら下に戻ってきな」


 イーディスはシャンディが出て行くと、着替え始めた。

 普通に町娘の服だった。小綺麗な赤い上着と青いスカートは、イーディスには少しぶかぶかだったが、先ほどまで着ていた泥だらけのワンピースよりずっと着心地が良い。


「どうして、こんなに優しいんだろう?」


 ウォルターにしろ、シャンディにしろ、初対面なのに、何故ここまで優しいのか。

 彼らの眼には、悪意の欠片も感じない。

 イーディスには、あまり理解できなかった。


「……あれ?」


 着替え終わった頃、窓が音を立てながら揺れる。

 イーディスは窓に近寄ってみたが、特になにも変わったことはない。


「風かな……あっ!」


 そのとき、イーディスの眼に路地の様子が飛び込んできた。

 数名の男が麻袋を抱えながら歩いている。路地前に停まった馬車に、運ぼうとしているのだ。



 ただの麻袋なら配達の仕事かと思ったが、配達員にしては腰に剣を提げている。おまけに、麻袋は中でなにか動いているかのように、もごもごと不自然に揺れていたのだ。




 まるで、子どもが閉じ込められているみたいに。





「どうしよう」


 イーディスは戸惑った。

 すぐに、ウォルターやシャンディに助けを求めるべきだろう。

 だけど、その間に見失ってしまったら……?


「……やるしかない」


 少し寝たし、ちょっとだけ魔力も回復している。


 イーディスは覚悟を決めると、大きな窓に体重をかけるように押し開ける。

 窓から吹き込む風が、イーディスの赤い髪を揺らした。



「大丈夫、いまの自分なら大丈夫」



 イーディスは自分に言い聞かせるように呟くと、一思いに跳躍した。







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