6.聖女教育を受けています
王都の大神殿は、わたしの街の東方神殿よりも何倍も大きくて立派だった。
白い石造りで雰囲気は似ているけれども、規模が違う。背の高い壁の向こうに、さらに高い建物がそびえている。何本もの太い柱が神殿の建物を取り囲み、神々の姿が彫刻されていた。
「陛下、ここまで送ってくださってありがとうございました」
「聖女継承の儀で会えることを心待ちにしている、私の聖女……モーリーン」
わたしがお礼を言うと、国王陛下はモーリーンなら惚れ惚れしそうな男くさい笑顔で、わたしの手の甲に口づけた。
心がズキッと痛んだ。
国王陛下と別れの挨拶をしてから、内門をくぐる。
ここからは奥殿。陛下といえども入れない、聖職者のみが暮らす聖域なのだ。
手入れの行き届いた中庭を眺めながら長い回廊を歩いていくと、天井の高い豪華な建物の中に入る。いくつもの扉の並ぶ廊下はピカピカに磨かれており、あちこちに花の活けられた高価そうな花瓶が置かれていた。
その建物を通りすぎて、さらに華やかな建物へと入っていく……。
「ふわぁ……凄い」
「最初はどなたも驚かれますね」
案内の神官たちが微笑ましそうに、わたしを見ている。
大神殿は一つの街が入っているんじゃないかというくらいの広さで、町娘のわたしは圧倒されてしまった。
* * * * *
大神殿では、女性の神官数人がわたしの世話係として付けられた。
彼女たちは生活の面倒以外にも、王族や貴族に対する礼儀作法や、聖女としての心得について教えてくれる。
「ここでひと月ほど聖女様のお役目について学んでいただいたあと、王宮にて聖女継承の儀が執り行われます。その晩に初夜の儀がございます」
「……はい」
主に聖女としての教育を受け持ってくれている年長の女性神官が、にこりと笑みを浮かべた。
最初の日に挨拶した神殿長も聖女付きになった女性神官たちも、みんなとても親切で優しかった。
「初夜の儀がつつがなく調われましたら、聖女様はこの聖宮か王宮の中にあるお屋敷、または国中にある離宮のどこにでもお住まいになることができます」
大神殿の中のもっとも奥まった場所にある、この綺麗な館。聖宮と呼ばれるここが本来の聖女の住まいらしい。
「わたくしたち神官が聖女様のご不自由がないようにすべて整えさせていただきますので、お心のままにお選びくださいませ」
「ありがとうございます……」
大神殿に到着してから、数日が経った。
初めは女性神官たちが着替えや沐浴まで手伝おうとするのに驚いて、慌てて断ったりもした。
でも、神官たちの困った顔を見てあきらめた。子供のように世話を焼かれるのもまた、聖女の仕事なのだと思うしかない。
……『聖女モーリーン』が、わたしの仕事。わたしの役割。
相変わらず胸の内には罪悪感と不安がわだかまっているけれど、ここの生活には少しずつ慣れてきた。
「あの……先代の聖女様は、どちらで暮らしていらっしゃったのですか?」
わたしが聞くと、女性神官はふたたび穏やかに微笑んだ。
「お若いころは、王宮の近くにある小離宮でお過ごしでした。国王陛下がお渡りを控えるようになると、先代様はこの聖宮に移られ、そのままこちらで女神様のみもとにお帰りになりました」
「……そうですか」
つまり若い頃は国王陛下の愛人として離宮に住んでいて、年を取ったら妾のお役を解かれ、大神殿に戻って亡くなった、ということか……。
聖女の役割をまっとうした一人の女性の人生を想像して、少し切なくなる。
先代の聖女様には心に秘めた誰かがいなかったのだろうか。ともに生きていきたいと願った人が。
それとも、それは国王陛下だったのか。
「……先代の聖女様にお子様はいらしたのですか?」
「いえ、聖女様は初夜の儀の前に、『孤月の誓い』を立てることが決められておりますので」
「孤月の誓い?」
「はい。生涯お独りで女神様に仕えるという誓いです。夫はもちろんですが、お子様を持つこともありません」
「……そうですか」
聖女の特別な力で子を授からないようにするのか、子が生まれてもすぐにどこかに養子にやるという意味なのか。
わからないけれど、考えてみれば、聖女と国王の間に子ができたら王位継承権の争いの種になりそうだ。国民の幸せのため聖女になるのに、国を乱したら本末転倒だ。
けれど、聖女とはなんと不自由で孤独な身の上なのだろう……。
そして、何事もなく聖女の継承が終われば、先代の人生はそのままわたしの人生になるのだ。
聖女として国王陛下と初夜を過ごし、その後も愛人として囲われて、誰かを恋うことも子を持つことも許されず、ひたすら国民の幸せだけを祈って死んでいく。
それは代々の聖女が当たり前のように為してきたこと。
人々が――わたしたちが、安穏と豊かな生活を享受する、その陰で……。
この国は、本当にそれでいいのだろうか。
「聖女継承の儀が楽しみですわね」
女性神官が本当にうれしそうな顔をした。心から聖女の継承を喜ばしいと信じている表情だった。
わたしは何も答えられずに、窓の外の空を見あげた。
空は青く晴れわたっていた。
いずれ夜が来ることも、白い月がその暗闇を照らしはじめることも、今は誰も考えていないように思えた。
先代の聖女のことを教えてもらったマリアーナ。
今まで当たり前に思ってきた聖女と国のあり方について、疑問を覚えるようになりました。
次回「かりそめの花嫁になる日」。
とうとう聖女継承の儀、そして国王の花嫁になる夜が……!?