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5.白い月の輝く夜に



 人々の期待。

 陛下の愛の言葉。

 聖女モーリーンに加護を授けた女神様……。


 わたしは、偽物。

 みんなをだまして、裏切っている。


 街を出てから、眠れない夜が続いていた。

 これまでに使ったことのないほど上等な柔らかい寝台に横たわっても、ちっとも眠くならない。

 胸が潰れるように息苦しくて、二階にある寝室の窓を開け、庭を見下ろすために造られた広いテラスに出た。

 夜空には月が煌々と輝き、静かにたたずむ木々の葉を青白く照らしている。


「……ヴォルフ……」


 神々しい白い光を見て、神殿の森の白狼を思い出した。

 つらい時、あのもふもふを想うと、少し気持ちが落ち着く気がする。


「今、どこにいるのかな……」


 林の手前に花園があり、庭のあちこちに篝火が焚かれている。目をこらすと、何人もの騎士が警護に立っているのが見えた。


「え……なに?」


 その時、ふわっと月の光が強くなった。

 視界が真っ白に染まる。

 まるで聖女選定の儀でモーリーンが聖女に選ばれた時のようだ。いや、あの時よりも強い輝き。

 まぶしくて両手で顔を覆う。

 そしてその直後、まぶたの裏がすうっと暗くなった。


 ……何が起きたの?


 怖々と目を開けると、張り出したテラスには、ぼんやりと銀色の光をまとう狼がいた。


 ええ!?


 しなやかな巨体。

 光り輝く白銀の毛並み。

 こちらをじっと見つめる金の瞳。


「……ヴォルフ!?」


 こんなところに、なぜ?

 どこから来たの?


 そうだ、ここは王家の離宮。

 突然大きな獣が現れたら、騎士たちに剣を向けられるかもしれない。


「危ないわ! 隠れて!」


 けれど、テラスの欄干越しにまわりを見回しても、護衛騎士たちは狼に気づいていないようだ。


 ……気づいていないどころか、動きが止まっている?


 違和感があった。

 騎士たちだけでなく、林に潜む虫や獣の気配も消え、風がやみ、篝火の揺らめきも月の光すらも凍りついたように止まって見える。


 しんと静まり返った夜の空気に、狼の低い鳴き声だけが響いた。


「クゥーン」


 大きな体躯に似合わない、甘えているみたいな声。

 ふっと緊張していた体から力が抜けて、わたしは狼に向き直った。


「ヴォルフ……。あ、そうだ。あなたのこと、ヴォルフって呼んでもいいかしら?」


 呼びかけると、うなずくように首を振る。


「じゃあ、ヴォルフ。……ヴォルフ、逢いたかった」


 ヴォルフに逢うのは聖女選定の儀が行われた日、神殿に向かう途中で怪我をした耳の手当てをして以来だ。


「怪我はもう平気?」

「クン」


 わたしがふらふらとヴォルフに近づくと、彼はわたしの体の匂いを嗅いだ。

 鼻を鳴らして、頭の先から足もとまでクンクン、クンクンと嗅ぎまくる。


「いやだ、わたし臭い?」

「グルゥゥゥン!」


 ヴォルフはなんだか怒ったように鳴くと、今度はわたしを舐めはじめた。

 厚い舌が顔を舐め、首筋を舐める。


「やっ、ヴォルフ、うふふ、くすぐったい!」


 わたしを押し倒し前脚で押さえつけると、薄い寝衣をお腹の上までめくりあげ、下半身から上半身までくまなく舐めまくる。

 それはまるで、自分の匂いをわたしに染みこませようとしているかのように見えた。


「やめて、やめてったらぁ」


 いや、そんな意図はないのかも。ただもう、ふざけているとしか思えない。

 ヴォルフは熱い息を吹きかけながら、わたしを執拗に舐めている。


「いやぁん……あん!」


 わたしが胸を懸命に隠そうとすると、長い鼻先を使ってころりとひっくり返される。


「キューン」


 背中からおしりにかけても、すみずみまで舐められた。

 全身、ヴォルフの唾液まみれだ。


「……はぁ、はぁ、ヴォルフ……。いくら狼でも、こんなの変よ?」

「クン?」

「なんだか……おかしな気分になってきちゃうから、もうやめて?」

「…………」

「ね?」

「キュ――――ン!」


 必死にお願いしているのに、ヴォルフはさらに興奮したように息を荒らげて、またわたしを舐めはじめた。


 ああ、もう、狼のしつけってどうしたらいいの!?






「わたしね、妹の代わりに聖女になったの。ううん、違う。聖女のふりをしているの……」

「クゥン」


 ヴォルフがやっと、ようやく、なんとか落ち着いたので、わたしたちはテラスの端にある階段に腰かけて庭園を眺めていた。

 相変わらず無音で、何一つ動かない、不思議な夜の世界……。


 もしかしたら。

 これはヴォルフの力なのかしら。


 ただの白狼にしては大きすぎる体と、銀色と言ったほうがいいくらいに神々しく輝く毛並み。

 野生の獣ではないとしても、闇の力をまとうと言われる凶暴で残忍な魔獣でもないだろう。

 だとすると、ヴォルフはいったい……?


 澄んだ黄金色の瞳は深い知性さえ感じさせる――、かな?


「キュゥン?」


 うーん、それは保留で。

 ヴォルフは絶対、成犬……成狼だと思うのに、甘えん坊すぎない?


「はあ……」


 ちょっとため息をつくと、ヴォルフはわたしを慰めるように鼻先で肩をつついた。


「うん、ありがとう」


 わたしはなんとなく今の苦境をヴォルフに打ち明けはじめていた。こんなことを話せる相手は、もうこの子しかいない。


「女神様はね、わたしたちの国を守護してくださっているの。聖女はその加護を受けて、国民を幸せにする役割があるんだって。でもね……」


 国を豊かにするためには、王に女神の加護を渡す必要があること。

 そして、その方法――王に、処女を捧げなければならないこと。


 聖女の初夜権は王のもの。

 聖女はほかの誰にも、愛するひとがいても、国王以外に初めてを差し出すことはできない……。


 妹はそれをいやがって、双子の姉のわたしが身代わりとなり王都へ行くことになった。

 でも、聖女はあくまでも妹。

 わたしは偽物にすぎないのだ。


「こんなことが公になってしまったらと思うと、わたし……。ううん、それだけじゃない」

「…………」

「罪が暴かれなかったとしても、女神の加護を得られなかった国王陛下や国民はどうなってしまうのかしら」

「クゥン……」


 気落ちして沈みこむわたしに、そっとヴォルフが寄り添ってきた。


 あたたかい……。


 ずっと強ばっていた心に穏やかなそよ風が吹いた心地がした。


「ふふ、少し気が楽になったわ。話を聞いてくれてありがとう、ヴォルフ」


 今だけは独りじゃないと思えた。

 ヴォルフはわたしを見てくれる。気遣ってくれる。

 聖女でも、モーリーンでもない、わたしを。マリアーナを。


 そして、ヴォルフはごろんとその場に横たわって、ふさふさした毛皮でわたしを包みこんだ。


 ……幸せ。

 幸せって、こういう気持ちなのかもしれない。


 ずっとここにいたい。

 聖女なんか知らない。初夜権なんてどうでもいい。

 ただ、ヴォルフと一緒にいたい……。


「すごく気持ちいいわ。もふもふ、大好き」

「…………」

「ヴォルフが好き。大好きよ」

「クン、クゥ――――――ン!」


 また、押し倒された……。

 のしかかってきたヴォルフに、強引に舐めまわされる。


「んもう、困った子ね」

「クン、クン、クゥン!」

「うふふ……」


 凍りついた白い月が、その時だけ、柔らかく、あたたかく瞬いた気がした。





白銀の巨狼ヴォルフとの再会。

不思議なもふもふに、沈んだ心を癒されたマリアーナでした。


次回「聖女教育を受けています」。

王都に到着したマリアーナが知った聖女の謎とは?



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続きも頑張りますので、どうぞよろしくお願いします♪

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