【コミカライズ記念】聖女マリアーナの肖像画
2022年11月24日、宙出版のコミック誌『恋愛白書パステル』にてコミカライズがスタートしました! 詳細は活動報告かTwitterをご覧くださいませ。コミカライズの応援、何卒よろしくお願いいたします!
「マリアーナ、これはなんだ?」
わたしは店先の果物から目を上げて、ヴォルフの声がしたほうを見た。
「なぁに? どうしたの、ヴォルフ」
さっきまで隣にいたのに、ヴォルフはいつの間にか、少し離れた道端にしゃがみ込んでいる。なにをしているのかと思ったら、四角い敷物の上に並べられた、大小さまざまな絵を眺めていた。
ヴォルフの前には中年の男性が座っている。大きめの街だとたまに見かけるけれど、お土産用の絵を売っているのだろう。
わたしたちは久しぶりに、人間の住む街へ日用品の買い物に来ていた。
今回は双子の息子たち――グラウとナハトも一緒にやってきたのだけど、彼らは街に入るなり駆け足で姿を消してしまった。やんちゃざかりの男の子たちは、なにやら気になるものを見つけたらしい。
(でも、ふたりももう十歳だし、聖獣の血を引く子たちだもの。子供だけで行動しても問題はないわよね)
今は市場の果物売りの屋台で、旬の果物を吟味していたところだ。けれど、お肉が大好きなヴォルフには、果物屋さんは退屈だったみたい。
「なにを見ているの? 似顔絵?」
かがんだヴォルフのうしろから、わたしもカンバスをのぞき込む。
敷物の上で売られているのは、風景や街の名所の絵が多かったけれど、ヴォルフが見ているのは人物画だ。ほかの絵よりも大きくて、力作であることがわかる。
「貴婦人の肖像画かしら。……あっ!」
そのカンバスには、長い黒髪に青い瞳、白い衣装を着た女性の姿が描かれていた。
「もしかして、聖女の姿絵?」
そう、それは『聖女』の肖像だった。
大神殿で女神に祈りを捧げるその姿は、わたし自身とは似ても似つかないほど高貴で神秘的だ。
天からは、大きな白銀の狼が舞い降りてきている。女神レクトマリアの眷属神、狼の姿をしたヴォルフだった。
「すごく綺麗……」
王宮にいたころ、歴代の国王陛下や王族の肖像画を見たことがあるけれど、重々しく威厳のあるそれらの絵よりも目を惹きつけられる。神々しさと同時に慈しみやあたたかさも感じられて、思わず感動してしまった。
ヴォルフも驚いたようにつぶやいた。
「マリアーナが絵の中にいる」
絵を売っている中年の店主が苦笑した。
「そうだ、聖女マリアーナ様の肖像画だよ。マリアーナ様のお姿は言い伝えからの想像だけどね。うまく描けているだろう?」
「あんたが描いたのか?」
「ああ。これでも絵描きなんだ。以前は街の名所を描いて巡礼者に売っていたんだが、やっぱり聖女様が人気でね」
この街には比較的大きな神殿がある。安産や子授かりにご利益があると噂されているようで、周辺の町や村からの巡礼者が多い。
「どうして巡礼者が聖女の絵を買っていくんだ?」
ヴォルフは女神レクトマリアの眷属神であり、どちらかというと祀られる側。
当然お守りを身につけたこともないし、神殿で祈りを捧げた経験もなく、実感がわかないのだろう。不思議そうな顔だ。
「熱心に女神レクトマリアを信仰している人たちの心のよりどころなんだよ。あと、聖女様の姿絵を飾っておくと、赤子を授かりやすくなるんだそうだ」
「へぇ。まぁ、人間たちの営みは女神の力になるからな。どんどん励めばいいさ」
「ははっ、おまえさん、変なやつだな。そうだ、奥さんへの贈り物に一枚どうだい? 子供がどうとかってのとは別に、記念にもなるだろ」
人のよさそうな画家のおじさんがわたしを見て、にこにことしている。
のんびりしたおじさんの様子では、わたしがマリアーナだとは思ってもいないみたい。念のためスカーフをかぶっているし、『聖女マリアーナ』は十年以上前、亡くなったことになっているのだから当然かもしれない。
「なるほど、記念かぁ」
ヴォルフはなにか思いついたようだった。
「そうだ、新しく絵を描くことはできるか?」
「新しい絵かい? ああ、時間さえあればできるよ」
「俺の妻の絵を描いてくれないか? 家に飾っておきたいんだ」
優しく細められた金色の目が、わたしを見つめた。
「ヴォルフ? そんな、恥ずかしいわ」
「このオヤジの絵が気に入った。『記念』になるだろう?」
「記念?」
なんの記念なのか、よくわからない。『記念』といっておけば、買い物の免罪符になるとでも思っているのかしら。
そこに少年たちが元気に駆け寄ってきた。黒髪と灰色の髪の双子の男の子だ。
「グラウ、ナハト、お帰りなさい。大丈夫だった?」
「うん!」
「でっかい豚がいたんだ。おいしそうだった!」
グラウとナハトはあいさつ代わりにわたしの腰にしがみつくと、パッと離れて、ヴォルフの肩越しに絵をのぞき込んだ。
好奇心満々な瞳は、すぐにおもしろそうなものを探し出す。
「これ、絵だよね? おじさんが描いたの?」
「母さんみたい!」
「……グラウ!」
わたしは慌ててグラウの口を押さえた。
「失礼よ。これは聖女様の肖像画なのよ」
画家のおじさんは、目の前にいるのが当のマリアーナだなんて疑いもせずに、ほがらかに笑った。
「そういえば、奥さん、聖女様に似ているね。これは旦那さんがベタ惚れになるわけだ」
「だろう? 名前も聖女マリアーナと同じなんだ」
「へえぇ、そうなんだな」
ヴォルフはうなずいて立ち上がった。
わたしへの視線は穏やかだけれど、大きな両の手のひらは子供たちの頭をぎゅっと押さえている。余計なことをしゃべらないようにと、無言で叱っているのだ。
「父さん、離してよ」
「もう母さんのことは言わないから。ごめんって」
じたばたともがく子供たち。
もちろん、ヴォルフも本気の力で押さえつけているわけではない。三頭の狼が遊びでじゃれているようなものだ。
(あ、いいことを思いついたわ)
そんな三人の姿を見ていて、わたしはひらめいた。
「ねえ、せっかくなら、みんなで描いてもらわない?」
「みんなって、俺たちもマリアーナと一緒に?」
「そう、ヴォルフも、グラウとナハトも。家族そろっての『記念』にしましょう」
わたしひとりの絵なんて照れくさいけど、みんな一緒なら素敵な思い出になりそうだ。
画家のおじさんも乗り気な様子で身を乗り出した。
「家族の肖像か。お貴族様みたいだが、おもしろそうだな。大丈夫かい? 代金もそれなりにもらうことになるよ」
「ああ、金は先払いするから、ちゃんとした絵が欲しい」
ヴォルフが財布を取り出して、おじさんが告げた代金に色をつけた謝礼を払った。
彼は女神の眷属神なのに、森で狩った珍しい動物の皮や肉を売ったりして、人間の世界でも稼いでいるらしい。
初めてそれを聞いた時には、感心するのと同時に、思わず笑ってしまった。わたしの夫は、意外と堅実だったみたいだ。
その金額を見たおじさんは驚いて、硬貨を返そうとした。
「こんなにいらないよ」
「いや、四人分の絵だからな。特に妻をしっかり描いてくれれば、それでいい」
「そうかい。本当におかしな男だ。わかったよ、しっかり描かせてもらうよ」
おじさんの自宅兼アトリエへそろってお邪魔して、数時間おとなしく座って描いてもらう。
グラウとナハト、それにヴォルフも動きたくてもぞもぞしていたが、おじさんに怒られてじっとしていた。
それでも絵はまだ完成しないらしい。ひと月ほど経ったら取りに来てほしいと告げられ、担保代わりに『聖女マリアーナと白銀の狼』の絵を渡された。
ヴォルフはその絵をしみじみと見て、「家族の絵ができたら、これも一緒に買い取るよ」と言った。
画家のおじさんはうれしそうに笑って、うんうんとうなずいた。
ひと月後、ヴォルフが絵を取ってきてくれた。
家族の肖像画を飾ったのは、湖の島にある我が家の暖炉の上。居間の中心にあって、一番みんなが見やすい場所だ。
「これ、グラウそっくりだー!」
「こっちはナハトそのまんまだ!」
グラウとナハトが背伸びして、絵とお互いの顔を見比べている。
ヴォルフも腕を組んで、満足そうに絵を眺めていた。
「マリアーナも綺麗だな。実物と同じくらいかわいい」
「ヴォルフったら」
肖像画の中からは、家族四人がこちらを見ていた。椅子に腰かけたわたしの両側に子供たち、そして背後には、わたしの肩を抱くようにしてヴォルフが立っている。
絵画の中の家族は、王侯貴族のような豪華な服は着ていないし、王冠や宝石もない。ふだんどおりの庶民の服装だ。
でも、みんな、にこにこと楽しそうに笑っていた。絵の中から、笑い声が聞こえてきそうだった。
「素敵な絵になったわね。また来年、描いてもらいましょうか」
わたしの言葉に、ヴォルフは首をかしげた。
「なんのために? 同じような絵が欲しいのか?」
「ううん。違うの」
少しため息をついて、窓から湖を見つめる。
聖域の湖は今日も美しく、午後の陽を受けてきらきらと輝いていた。湖のまわりには緑豊かな森が広がり、遠くには真っ白な雪の冠をいただいた山々が連なっている。
何年も、何百年も変わらない風景。
「わたしたちは、このまま年を取らないわよね」
「ああ、まあそうだな」
眷属神であるヴォルフも、彼の眷属となったわたしも、いつか消滅の時が来るまで年老いることはない。
「でも、子供たちは変わっていくでしょう?」
「たしかに成獣になって成長が止まるまでは、見た目が変化する」
「だから、子供たちの『記念』にしたいの。こんな小さいころがあったんだって思い出して、みんなでまた笑顔になりたいな」
わたしなんかよりずっと長い時間を生きているせいか、ヴォルフは人の変化にそれほど興味がないようだった。それでも、わたしの希望は受け入れてくれた。
それからわたしたちは毎年、決まった時期に絵を描いてもらうようになった。描いてくれるのは、いつも同じ街の、あの画家のおじさんだ。
家族の絆を感じられるようなあたたかい絵画が、我が家の壁面に増えていく。
それを見ながら、わたしは毎回思っていた。
(おじさんも、そろそろ疑問に思うんじゃないかしら……)
肖像画の中の子供たちはどんどん成長していくのに、ヴォルフとわたしは変わらない。
きっと画家のおじさんも、途中からは不思議に思ったことだろう。
それでも彼はなにも言わず、二十年近く家族の肖像画を描きつづけてくれたのだった。
二十年後、おじさんはわたしに言った。
「おまえさんたちを描くのも、今年で最後になるな」
おじさんの家の扉の建て付けが悪いと聞いて、ヴォルフと子供たちが修理を手伝っていた。
待っている間、おじさんとふたり、あたたかいお茶をいただく。
「え? どうして? 来年もまた描いてほしいわ」
おじさんは風邪でも引いたのか、少し咳き込みながら、ゆったりと頬笑んだ。
「体にガタが来ていてね。いやなに、病気や怪我というわけじゃない。ただ……もう寿命なんだよ」
「寿命?」
「そうなんだ。人には、天から授かった命の時間がある」
ふだんはあまり気にしていなかったけど、そういえば彼の顔にはいつからか、深いしわが刻まれていた。
「十分長生きしたんだよ。子供たちは大きくなったし、かわいい孫もひ孫もいる」
絵筆を操る手もしわだらけで、腰が曲がり、背もずいぶん低くなった気がする。
「妻も何年か前に看取ったし、やり残したことはない」
のんびりした笑顔はそのままだけれど、おじさんはいつの間にか、おじいさんになっていた。
「幸せな人生だったよ」
「おじさん……」
「それにあの日、おまえさんたちに出会えてよかった。絵描きとして、最高の仕事をさせてもらったよ」
彼は、ふっとおもしろがるように笑った。
「本物の聖女の肖像画を描いたのは、世界広しといえども俺だけだろう。女神レクトマリアに感謝を」
「え?」
返す言葉が見つからなかった。
その時、にぎやかな笑い声を響かせて、ヴォルフと、二十代の青年の見かけになった子供たちが戻ってきた。
おそらくそろそろ、彼らの成長は止まるだろう。
変わっていくもの。
変わらないもの。
「おじさん」
「なんだい?」
「おじさんに描いてもらった絵は、ずっとわたしたちの宝物よ」
空になったおじさんのカップにお茶をつぐ。
おじさんはわたしたち家族を順番に見つめて、くしゃっと笑った。
「ああ。ありがとう」
ひとりの人間の画家に描きつづけてもらった何枚もの絵は、流れ去る時間の中の変わらない幸せの象徴だ。
(去ってしまった思い出も、それを描いてくれた人のことも……わたしはずっと忘れないわ)
ヴォルフに目を向けると、深い金色の瞳がわたしをつつみ込むように見下ろしていた。
翌年から、その街に行くことはなくなった。
それでもきっと変わらずに、市場ではおいしい果物が売られているだろう。大きな豚が小屋から逃げて、子供たちがおいかけて。男も女も、老いも若きも、笑ったり泣いたりしながら、命の時間を駆け抜けていく。
そして街角では、市井の画家が、人々の小さな希みを白いカンバスに描きつづけていることだろう――。
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