3.誕生日のお祝いに
朝早い時間にファンファーレの音が響き、聖女降誕祭が始まった。
街中に食べ物の屋台が並び、いい匂いをさせている。あちこちに立った物売りの市も眺めているとおもしろい。
中心部の広場には舞台が作られていて、音楽隊がにぎやかな曲を奏でる。昼には大道芸の一座が芸を披露するらしい。
「いらっしゃい! 聖女降誕祭の記念に焼き菓子はどうだい? 聖女様もお好きだった菓子だよ!」
「本当かい? じゃあ、試しに一つもらおうか」
「試しになんて言わず、家族や仲間の土産にどーんと買っておくれよ。負けておくよ」
「はは、ここの連中は商売上手だな」
聖女の生まれ故郷として有名になったこの街に、国中からたくさんの人が訪れていた。
聖女という存在がいなくなって女神の加護が消えても、人々はたくましく生きている。わたしが食べたこともないお菓子を売って。
わたしは思わず笑ってしまったけれど、その様子にほっとしてもいた。不安定な暮らしからがんばって這いあがっていこうとするこの国の民が誇らしく思えた。
「マリアーナ、本当に行くのか?」
「ええ」
「無理していないか……?」
わたしはヴォルフに微笑んでうなずいた。ヴォルフの腕の中できょろきょろしているグラウとナハトの頬を撫でる。
「大丈夫よ。陰から少し見るだけだから」
にぎわう大通りから裏路地へ、わたしはヴォルフの前に立って歩いていく。二十年近く暮らした街だ。久しぶりとはいえ迷いはない。
旧市街のはずれ、二階建ての石造りの建物が連なる一角にあるその店は、それほど大きくはない老舗の仕立て屋だ。それは、わたしの実家――今は両親と、跡継ぎにするためにもらった養子が住む店舗兼用の住宅だった。
店先では、わたしよりもいくつか若いだろう男の子が祭りにも加わらずに一生懸命掃除をしている。
両親の姿は見えない。街の噂によると、姉娘が真の聖女だと気づかずないがしろにしていた両親は肩身の狭い暮らしをしているらしい。
いくら妹のモーリーンの肩ばかり持ってわたしを見てくれなかったとはいえ、まだほんの小さなころは父さんも母さんも優しかったのだ。どうしているのか、少しだけ気になった。
両親の姿を探してヴォルフと一緒に裏口へ回ると、狭い裏庭でふたりが休憩していた。記憶よりもずいぶんと老けている気がする。
街路樹の陰からのぞくと、話が聞こえてきた。
「今日はあの子達の誕生日だわ」
「ああ」
「元気でいるのかしら……」
母さんのため息。父さんはぼんやりと空を見つめている。
「モーリーンのいる北方は、もう雪が降っているころかねえ」
「そうだな」
神官として国のはずれの北方神殿へと赴任したモーリーンがこの街に帰ってくることは二度とない。
ヴォルフと結婚し人の世から離れ、ヴォルフの眷属となったわたしも、もう両親と会うつもりはない。万が一ヴォルフや女神様のことが国民に知られたら、みんなに大きな迷惑をかけてしまうからだ。わたしのことは女神様の身許に行ったと思ってもらうしかない。
「まさかモーリーンのほうがマリアーナをいじめていたなんてね……。わたしはちっとも気がつかなかったよ」
母さん、いつ知ったの? モーリーンが王都から北方神殿に旅立つ前に一度会ったらしいから、その時のモーリーンの様子から察したのかしら。
お茶をひと口飲んだ父さんが独り言のようにつぶやく。
「考えてみれば、マリアーナが実際に悪さをしているところを見たことはなかったな……」
「そうだねえ、いつもモーリーンから話を聞くだけだった」
「女神様に選ばれるくらいだ。あれは昔から変わらず優しい子だったんだな」
「あの子に……、マリアーナに」
突然、母さんが言葉に詰まった。小じわの刻まれた目もとから涙がこぼれる。
「もう一度だけでいいから会いたい。会って……謝りたい。あんたは立派な娘だと、わたし達の誇りだと、マリアーナに伝えたかった」
「それは俺も同じだ」
「わたし達は取り返しのつかないことをあの子にしてしまった……」
嗚咽しうなだれる母さんの肩を父さんが支える。
わたしももらい泣きしそうになったけれど、ヴォルフの腕の中から不思議そうにこちらを見る二頭の仔狼の視線に、涙をこらえて微笑んで見せた。
「お祭りに戻りましょうか」
「もういいのか?」
「ええ、顔が見られてよかったわ」
その時、ヴォルフがわずかに顔を上げて空を見た。
「ヴォルフ?」
まぶしい……!
まばたきするくらいの短い時間だったけれど、ヴォルフが白く光る。狼の姿に変化する時みたい。
でも、光が収まってもヴォルフは人型のままだった。
「何があったの?」
「俺からの祝いだ」
「はい?」
「空を見て」
空――。
「……あ!」
よく晴れた空には薄い雲が漂っている。
太陽の光を受けて、その雲が七色に輝いていた。
虹のような輝きは揺らぎながら白い雲を縁取り、次から次へと色を変える。
グラウとナハトも何か感じたのか、一心不乱に空を見上げていた。
「綺麗……」
「美しいだろう?」
ヴォルフが神力を使ってくれたのだろうか。
普段姿を変える時以外に、ヴォルフがわたしの前で神力をふるうことはほとんどなかった。眷属神の決まりごとがあるのかと思っていたのだけれど。
「こんな凄いことをしてもらってよかったの?」
「ああ。女神に話は通してある」
「そう……、ヴォルフ、ありがとう」
ヴォルフは子供達を抱えたまま、わたしの額に軽く口づけた。
「マリアーナ、誕生日おめでとう。おまえがこの世に生まれてきてくれてよかった」
「……ヴォルフ」
「いろいろと腹立たしいことはあるが、その点だけはおまえの両親に感謝しないとな」
街のほうからもかすかなどよめきが聞こえてくる。みんな彩雲に気づいたのだろう。
ふと見ると、父さんと母さんも虹色の雲を見つめていた。母さんだけではなく、父さんも泣いている。
「女神レクトマリアの祝福のようだな」
「ええ……、マリアーナがこちらを見ているみたい」
父さん……母さん……。
意識せずこぼれてしまった涙をヴォルフがぬぐってくれる。
父さん、母さん。
あなた達の娘の居場所はもうここではないけれど、わたしははるか遠くの空の下で幸せになるから。
どうか父さんと母さんの心にも平穏が訪れますように。
空は青く澄んで高く、白い雲が浮かんでは流れて消えていく。
この世のものとは思えない不思議な色彩の雲も、やがてかすんで光の中にとけていった。




