2.ふるさとの街へ
久しぶりに訪れた故郷は華やかに彩られていた。
「わあ、凄い! この通りがこんなに綺麗になっているの、初めて見たわ」
新市街と旧市街を分ける城壁を越えて中心地に入ると、主要な街路が色とりどりの花や旗で飾られている。祭りは明日――わたしの誕生日から始まるはずなのだけれど、もう準備は万端のようだ。
「ふぅん、少なくとも形のうえではきちんと祝うつもりらしいな」
ヴォルフが少し目を細める。この街の人に対して不信感があるようだ。
わたしも彼らを無条件に信じるつもりはない。
幼いころから陰気で愚図なマリアーナは双子の妹のモーリーンに意地悪ばかりしていると、嫌な目で見られてきた。もちろんモーリーンに嫌がらせをした覚えなんてないけど、なぜかそういうことになっていたのだ。
いつまで経っても花の咲かない『蕾のマリアーナ』。わたしはずっとそんなあだ名で呼ばれていた。
「宿は取ってある。行こう」
「まあ、いつの間に? お祭りの日は混みあうでしょうに」
「こういうことはルナールが得意だからな」
そっか、ルナールが先に来て予約をしておいてくれたのね。
ヴォルフだけなら走れば速いのだけれど、子供もいるので、わたし達はのんびりとヴォルフの借りた馬車に乗ってきた。馬車は街の入り口の馬宿に預けてある。
子供達は今、ヴォルフの腕の中で興味深そうにあちこちを見まわしている。たぶん人間には好奇心旺盛な仔犬のように見えるだろう。
「グラウとナハトも一緒に入れるわよね?」
「当たり前だろう。こいつらを泊まらせない宿など、こっちからお断りだ」
ヴォルフが二人を軽々と持ちあげると、急に目線の高くなった子供達はキャンキャンと喜びの声を上げる。男の子だからか、少し乱暴に扱われるのがうれしいみたい。
静かな森の中とは違うにぎやかな街の風景を楽しみながら、わたし達は今夜の宿に到着した。
日が暮れはじめると、宿の半地下にある食堂兼酒場は活気づく。
ここはそれなりに景気のいい商人が泊まるような宿で、下町の酒場みたいに荒くれ者がくだを巻いたりすることはない。けれど、祭りを控えた街には浮かれた雰囲気が漂っていて、この食堂も例外ではなかった。
「奥さん、注文は何にする?」
女将さんが威勢よくわたしに声をかける。
ちょっと照れてしまった。奥さんなんて呼ばれたの、初めてかも……。
「マリアーナ、そんな可愛い顔するな」
「わたし? どんな顔?」
ヴォルフがなぜか眉間にしわを寄せて、周囲を威嚇していた。
そんなヴォルフを見て女将さんが笑う。
「綺麗な嫁さんを持つと、心配で大変だあね」
まわりの客からどっと笑い声が上がった。
あんまりにぎやかで子供達が起きてしまうんじゃないかと、隣の椅子に置いた籠の中をそうっとのぞく。グラウとナハトは大きめの籠の中で寄り添って眠っていた。
よかった。昼間興奮してはしゃいでいた彼らは、部屋でごはんを食べてからもうぐっすりだ。
「おまえら、勝手に俺のマリアーナを見るな」
席から立ち上がったヴォルフが、わたしの頭越しに抑えた声で抗議する。
そこそこいい年齢の商人達は若く見えるヴォルフをからかって次々と話しかけた。
「兄さん、そんなこと言ったって、男は美人を目で追っちまうもんだろうが」
「俺はマリアーナ以外見ないぞ」
「そりゃ、そうだ。俺だって自分の嫁がこんな美女なら、ほかの女なんか目に入らないさ」
「あはは、違いない!」
「グルルルル……」
ヴォルフ、狼みたいなうなり声が出てるわよ。
袖を引いて小さく注意を促すと、ふてくされた様子で腰かける。
「まあまあ、兄さん、悪かったよ。今日はおごってやるから、この街の名物を食べて行きな。女将さん、麦酒も追加で頼むよ」
「はいよ!」
奥に引っこんだ女将さんが麦酒の大杯をどんどんと運んできて、みんなの前に置いた。
そのうちの一つを商人がヴォルフに勧め、無理やり乾杯する。おじさんはわたしには果実水をご馳走してくれた。
「いや、今夜はいい夜だ。明日の聖女降誕祭が楽しみでしょうがない。そういえば、あんたの奥さんは聖女様と同じ名前なんだな?」
「…………」
「マリアーナさんか。まあそれほど珍しい名前じゃないしな。でも、縁起はよさそうだ!」
大忙しの女将さんが食事ののった大皿をわたし達に差し出した。
「このあたりの名物だよ。おごりだっていうから、たくさん食べておくれ」
片目をつぶってニヤリと笑う女将さん。
目の前には懐かしい料理が並んでいた。濃い色の麦酒によく合う、ゆでた腸詰めの肉に酢漬けの葉野菜。腸詰めは種類が多く色も味つけも様々だ。うちでもたくさん作っていた、冬の間の保存食にもなる伝統的な食べ物だった。
「マリアーナは……おっと、いけねえ、今は聖女様か。小さいころは地味な子でねえ、まさかあの娘が本物の聖女様だったなんて思いもしなかったよ」
商人達の一人がしみじみとつぶやいた。
どうやらこの街の住人も食事に来ているようだ。見覚えはないけれど、わたしを知っている人らしい。
それなのに、わたしがそのマリアーナ本人だってなぜ気づかないのかしら。
「奥さんみたいに明るい美人さんだったら、すぐに聖女様だってわかったのなあ」
ちょっと複雑な気分。
確かにヴォルフと結婚してグラウとナハトが生まれ、わたしは穏やかな幸せに包まれている。いつも暗い気分だったあのころとは見かけも違っているかもしれない。でも、この街にいた時も今も、わたしはわたしなのに。
おじさんはわたしを見て深くため息を吐いた。
「マリアーナはつらい目にあわせちまった」
「え? ……そうなんですか?」
「あの子は引っ込み思案だったけど、優しい子だった。うちの息子が外で怪我をした時によく薬を塗ってくれたんだ。今考えれば、街のやんちゃ坊主達はさんざん世話になっていた。聖女にふさわしい心根のいい子だったのに、それなのに俺は……俺達はマリアーナを愚図でのろまな厄介者として酷い扱いをしていた」
「…………」
「それが、国を救うために女神様のみもとに行ってしまうなんて……」
にぎやかに麦酒を飲んでいた面々が一気にしんみりと黙りこくる。
そういえば、国の人々は聖女が女神の御使いに連れられていった、つまり死んだと思っているのだった。
それは間違いなんだけど訂正するわけにも行かず、わたしは聞いているしかなかった。
「みんな、後悔してるよ。最初はマリアーナの双子の妹のモーリーンが聖女に選ばれたって信じこんで……、マリアーナを貶めるようなことを言ってしまった。マリアーナは命を賭けて我々を守ってくれたのに、もう謝ることもできないんだ」
「それは……でも、聖女様も恨んではいないでしょう。今は女神様のみもとで幸せに暮らしていると思いますし」
「そうかそうか、奥さん、あんたも優しいなあ」
大の男達が目に涙を浮かべて、今にも泣き出しそうだ。少し酔いが回っているのかもしれない。
「俺達、この街の人間はな、せめて盛大に祭りを開いて聖女マリアーナの魂を慰めようと、今回聖女降誕祭を企画したんだよ」
「そうだったんですね。明日のお祭りがもっと楽しみになってきました。皆さん、お祭りの裏方がんばってくださいね」
「おおよ! おんなじ名前だからか、奥さんがマリアーナに見えてきたよ。ありがとうな」
じゃあ、また乾杯するかという声がどこからか上がり、女将さんが両腕に麦酒を抱えて持ってくる。ふたたび酒宴の盛りあがりが戻ってきて、わたしはほっと息を吐いた。
「大丈夫か?」
何も言わずわたしを見守っていてくれたヴォルフが、頬をそっと撫ででくれる。わたしは大きな手のひらに頬をすり寄せて夫を見上げた。
「わたし、そんなに変わった?」
「いや、マリアーナはずっと綺麗で可愛いマリアーナのままだ」
「ふふ」
溺愛としか言えないような身びいきだけど、わたしのすべてを受け入れてくれているようで安心する。
別人のように見た目が変化したのだとしたら、たぶんそれは心の持ち方が変わったせいなのだろう。ヴォルフや子供達や女神様、眷属神のみんなにいっぱい幸せをもらって、わたしはありのままの自分を許すことができるようになった。
「全部ヴォルフのおかげね」
静かに微笑むと、ヴォルフは少し顔を赤らめた。
「なんだかわからないが、何かいいことがあったなら、それはすべてマリアーナががんばったからだぞ」
「うん。ありがとう、ヴォルフ。愛してる」
「こ、ここでそんなこと言うな! すぐ部屋に戻ろう」
「あら、わたし、やっと食欲がわいてきたの。腸詰めを食べ終わるまで待って」
「くう――! おまえはやっぱり小悪魔だな!!」
「もう食べ飽きたと思ってたけど、久しぶりに食べたらおいしいわ」
「……ゆっくり食べろ。もっと頼むか?」
「ヴォルフったら、そんなに食べられないわよ」
食堂の喧騒の中で、ヴォルフの優しい視線に赤ちゃんごと包まれて、わたしはなぜか少し泣きそうになってしまった。




